紫式部の邸宅跡にあるお寺として有名な「廬山寺(ろざんじ)」は一般公開されている寺院ですが、たびたび非公開エリアの特別公開が行われます。
2024年は「第58回京の冬の旅」で「元三太師堂」内部が公開されたので行ってきました!
こちらの記事では「京の冬の旅」公式サイトやパンフレットだけでは分からない、実際に拝観したからこその詳細情報をお届けします。
こんな方に向けて詳しく書いていきますね。
- 通常の拝観と特別公開の違いを知りたい方
- 前回の特別公開との違いが知りたい方
- 拝観に行くかどうか迷ってる方
- 拝観に行く前に予習したい方
- 拝観に行ったけどあれなんだっけ?と振り返りをしたい方
では、目次を開いて気になる項目から読み進めてください。
(項目をタップ/クリックすると該当箇所にスクロールします)
基本情報|廬山寺(紫式部邸宅跡)
公開日時・拝観料
廬山寺(ろざんじ)|特別公開(第58回 京の冬の旅2024) | |
---|---|
公開期間 | ・2024年1月6日(土)~1月31日(水) ・2024年2月10日(土)~3月18日(月) ※3月3日(日)は拝観休止 |
公開時間 | 10:00~16:30(16:00受付終了) |
拝観料 | ・大人(中学生以上)800円 ・小学生400円 |
公式情報 | ・京の冬の旅公式サイトはこちら ・廬山寺の公式サイトはこちら |
節分会追儺式鬼法楽(通称:鬼おどり):2024年2月3日(土)
撮影の可否
廬山寺|特別公開(第58回 京の冬の旅2024) | ||
---|---|---|
室内の撮影 |
本堂玄関 | 紫式部座像:撮影可能 |
本堂内部 | 不可 | |
庭園の撮影 |
可能 |
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通常拝観と特別公開の違い
上の境内図で「黄色い点線枠」が通常拝観エリア(拝観料500円)で見られる範囲です。
そして、通常拝観エリアにと「赤い点線枠」の特別公開エリアが今回の京の冬の旅(拝観料800円)で見られる場所になっています。
通常拝観との大きな違いは次の2点です。
- 元三大師堂の内部が見られる
- 特別拝観の為に入れ替えられた寺宝が見られる
前回の特別公開との違い
前回の特別公開は2023年11月17~26日の第59回京都非公開文化財特別公開でした。
今回の第58回京の冬の旅との大きな違いは次の3点です
- 拝観料が200円安い
前回:1000円(第59回京都非公開文化財特別公開)
今回:800円(第58回京の冬の旅) - 公開期間が長い
前回:9日間(第59回京都非公開文化財特別公開)
今回:約3か月(第58回京の冬の旅) - 与謝野晶子直筆の和歌が見られる
今回:寺宝の与謝野晶子直筆「源氏物語礼賛(巻物)」が特別展示される
残念ながら今回の京の冬の旅だけ実際に拝観したので、公表されている情報からわかる違いになります。
調べてみると元三大師堂の内部が初めて特別公開されたのは2007年の様ですね。
また、元三大師の誕生日9月3日と命日の1月3日は元三大師堂内にお詣りができるようですが、御前立以外の仏像は見れないようになっていみたいです。
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拝観ルート・公開内容・所要時間|廬山寺(紫式部邸宅跡)
当日の拝観ルートを間取り図で紹介
エリアごとの寺宝一覧
廬山寺|特別公開寺宝 | |
---|---|
ルート① 元三大師堂 |
1:兜跋毘沙門天 2:鬼大師像(鬼面坐像) →鎌倉時代 3:元三大師座像 →鎌倉時代 4:暹賀童子 5:聖救童子 6:不動明王 7:蔵王權現像 →日本独自の山嶽仏教「修験道」の本尊 8:地蔵菩薩挫像・不動明王立像・毘沙門天立像 →明智光秀の念持仏 9:聖観音菩薩 10:毘沙門天像 |
ルート②本堂 左から1番目 |
11:華瓶 12:食籠 13:貝合わせ 14:百人一首 15:御所車 |
ルート③本堂 左から2番目 |
16:紫式部口記絵詞(複製) 18:源氏絵「若紫」 →住吉廣尚(江戸時代後期の住吉派の画家・御用絵師) 19:源氏絵「絵合」 →住吉廣行(江戸時代後期の住吉派の画家・御用絵師) 20:源氏絵「浮舟」 →絵:土佐光起(江戸時代後期の土佐派の画家・宮廷絵所預職) →讃:中院通茂(江戸前中期の公卿・歌人) 21:源氏物語礼賛(巻物) →与謝野晶子自筆の和歌集 →源与謝野晶子が源氏物語の各帖に対する見解や感想を1首ずつ和歌にした巻物 ※21の隣にもうひとケース展示物があったはずなのですが、メモし忘れたので割愛しています |
ルート④本堂 中央(仏間) |
以下は本尊「阿弥陀如来及両脇侍坐像」《重要文化財》 22:阿弥陀如来像 23:勢至菩薩像 24:観音菩薩像 |
ルート⑤本堂 1番右 |
25:源氏物語屏風 宿木(三) →林司馬(昭和の京都画壇の画家) 26:源氏物語屏風(本間六曲一隻) →室町時代 27:扇面古写経(模本) |
ルート⑥庭園 「源氏庭」 |
28:源氏庭 →作庭昭和40年(1965年) |
※上記は拝観時にメモした内容なので会期中の展示替えが発生する場合もあります。
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所要時間
拝観所要時間:20~90分
公開エリアをさらっと見るだけであれば20分より短い方もいると思います。
もし、案内ガイドさんの解説をすべて聞いてから全体を1周するのであれば40~50分くらいかかると考えておくのがいいと思います。
寺宝をひとつひとつじっくり見たり、庭園をゆっくり眺めるなら60~90分くらい滞在できる規模の公開です。
なお、廬山寺の特別公開(京の冬の旅)では、次の3か所で案内ガイドさんの解説があります。
- 元三大師堂の解説13分
- 本堂での解説約10分
- 庭園での解説5~10分
※庭園の解説は終了時刻前に行ったため、実際には聞けなかったので予測値です
元三大師堂、本堂、庭園の解説をすべて聞く場合、それだけで約30分かかります。
寺宝も多いので、拝観日のスケジュールは余裕を持たせるのがおすすめです。
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三門(入口)から拝観受付までのルート|廬山寺(紫式部邸宅跡)
ルートを境内図で紹介
上の境内図のルートで拝観受付まで行くのがおすすめです。
なお、廬山寺は三門の右隣りにも門があり、そちらからも入ることができます。
廬山寺 入口1(三門) | 廬山寺 入口2 |
三門から受付までを写真で紹介
1.廬山寺の入口(三門)
こちらが廬山寺の正面の入り口「三門」です。
前述していますが廬山寺は三門の右隣りにも門があり、そちらからも入ることができます。
2.三門から元三大師堂前へ
三門の真ん前にある建物が今回内部が特別公開される「元三大師堂」です。
門をくぐると右側に「手水舎」があります。
「元三大師堂」は京の冬の旅で内部が公開されてるので堂内でお参りすることもできます。
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3.元三大師堂から鐘楼横へ
拝観受付までのルートとしては、上の画像にある2つの植木辺りまで来たら右斜め前を向きます。
上の画像にあるように、宝塔の後ろの柵の間を通り抜けます。
柵を抜けた右側にあ鐘楼があります。
このまま拝観受付の本堂玄関を目指してもいいのですが、せっかくなので「筆塚」を通るルートを紹介します。
4.鐘楼横から筆塚へ
鐘楼を右側に見て前方を見ると木に囲まれた部分に石が立っているのでそこまで進みます。
こちらが日本画家・池田遥頓の筆塚です。
筆塚:使いふるした筆の供養(くよう)のために、筆を地にうめて築いた塚
池田遥頓(1895-1988):1987(昭和62)年に文化勲章を受章した岡山県倉敷出身の日本画家。大阪の松原三五郎の天彩画塾で洋画を学んだのちに日本画に転向し京都の竹内栖鳳の竹杖会に入門する
5.筆塚から紫式部歌碑へ
筆塚を右側に見て左前方を見ると上の画像の石碑が見えるのでその前まで進みます。
紫式部の歌碑には、紫式部と娘の大弐三位(賢子)の歌が書かれています。
- 紫式部の歌碑:1995年(平成7年)建立
→有馬山 いなのささ原 風吹けば いでそよ人を忘れやはする(大弍三位)
→めぐりきて みしやそれとも わかぬまに 雲隠れにし 夜半の月かな(紫式部)
石碑に刻まれた歌は、廬山寺が紫式部邸址であることを考証した、考古学者 角田文衛博士が選んだものです。
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6.紫式部歌碑から本堂玄関(拝観受付)へ
紫式部歌碑に向かって左を向けば拝観受付がある本堂玄関なので、直進します。
入口で靴を脱いで室内左手前の拝観受付に進みます。
なお、靴の取違防止のために「靴用番号札」が用意されています。
本堂玄関内には金色の「紫式部像」が置かれています。
こちら↓
金の紫式部像は撮影できます。
2024年 | 2018年 |
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拝観順路に沿って見どころ・鑑賞ポイントを紹介|廬山寺(紫式部邸宅跡)
順路1:拝観受付でチケット購入
廬山寺さんの京の冬の旅のチケットは江戸時代後期の御用絵師・住吉廣尚が描いた「若紫」の写真でした。
受付では京の冬の旅スタンプラリーの台紙ももらえます。
すでに他の拝観場所でスタンプを押印してもらってる方は自分で受付の方に提示してスタンプを押してもらいます。
なお、「御朱印」が欲しい方は受付の奥側に朱印所があるので拝観前に朱印帳を渡しておくのがおすすめです。
下の図の「朱印所①」が拝観もする方用の朱印所です。
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順路2:元三大師堂へ
受付を終えたら、まず最初に「元三大師堂」に向かいます。
「元三大師堂」は、三門正面にあった↓こちらのお堂のことです。
- 元三大師堂
→天明大火後の天保六年(1835)の再建
→本尊は開基の良源(元三大師)像
元三大師堂内は薄暗く、仏像がある場所のみ少し明るくなっていました。
堂内には案内ガイドさんいらっしゃり、約13分ほど各像の説明してくれます。
元三大師堂内の仏像について
上の間取りにある1~10の仏像について紹介していきますね。
当日の楽しみにしたい方は読み飛ばしてください。
なお、元三大師堂内の仏像は、蘆山寺周辺の末寺から集めたものが安置されています。
①兜跋毘沙門天
1:兜跋毘沙門天
→毘沙門天の異形で兜跋国(中国の西域にある国)が攻められた時に現れたと伝えられる
→両足を地天女に支えられている
通常の毘沙門天邪は鬼を踏みつけているものが多いですが、兜跋毘沙門天は地天女と二鬼(尼藍婆、毘藍婆)の上に立っているものが一般的です。
廬山寺の兜跋毘沙門天は地天女のみが足を支えています。
残念ながら引用できる画像がないので、どんなお姿なのかはぜひ蘆山寺でご覧ください。
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②鬼大師像・③元三大師座像
2:鬼大師像(鬼面坐像)
→鎌倉時代
3:元三大師座像
→鎌倉時代
元三大師座像 | 鬼大師像(鬼面坐像) |
元三大師堂の本尊が元三大師座像でその御前立が鬼大師像(鬼面坐像)です。
どちらも廬山寺の開基・良源(元三大師)の姿です。
本来、御前立は本尊と同じ姿のものを置くのですが、元三大師座像の御前たちは鬼の姿をしています。
・開基:寺院や宗派を創立すること又はその僧のこと
・良源(919-985):平安時代の僧。近江の国浅井郡(現在の滋賀県長浜市)に生まれ、比叡山延暦寺を発展させ「延暦寺中興の祖」と崇められる人物。1月3日なくなったことから「元三大師」と呼ばれる。
・御前立:秘仏が安置されている厨子の前に置く秘仏の形を写してつくった像のこと
④暹賀童子・⑤聖救童子・⑥不動明王・⑦蔵王權現像
4:暹賀童子
5:聖救童子
6:不動明王
7:蔵王權現像
→日本独自の山嶽仏教「修験道」の本尊
こちら↑の4点は特にガイドさんの解説はなく、名称が書かれているのみでした。
⑧明智光秀の寺念仏(地蔵菩薩挫像・不動明王立像・毘沙門天立像)
8:地蔵菩薩挫像・不動明王立像・毘沙門天立像
→明智光秀の念持仏
明智光秀の念持仏は、岩窟のような厨子に、地蔵菩薩、不動明王、毘沙門天の三尊が納まっています。
こちら↓
地蔵菩薩は取り外しができるため、明智光秀は戦の時に肌身離さず持っていたとされています。
念持仏:武将が戦地で携帯していた、戦勝祈願のための小型の仏像
ちなみに、廬山寺は1571年9月の織田信長による比叡山延暦寺の焼き討ちの際、同じ天台宗系ということで焼き討ち対象でした。
その際に当時の天皇・正親町天皇が「廬山寺は戒律を守る寺なので焼き打ちしないように」と求めた書状を光秀を通して信長に渡し、焼き討ちを免れたとのことです。
正親町天皇:室町時代後期の戦国時代に即位した第106代天皇
→在位:1557年11月17日- 1586年12月17日
→織田信長や豊臣秀吉をはじめとする戦国大名との駆け引きを通し力を失っていた朝廷の立て直しを図った人物
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⑨聖観音菩薩・⑩毘沙門天像
9:聖観音菩薩
10:毘沙門天像
こちら↑の2点も特にガイドさんの解説はなく、名称が書かれているのみでした。
元三大師堂内を堪能したら、来た通路を戻り本堂へと向かいます。
順路3:本堂1番左の部屋へ
廬山寺の現在の本堂は、寛政6年(1794年)に光格天皇の仙洞御所の一部を移築して再建されたものなので、一般的な本堂(方丈)とは部屋の構成が異ります。
・光格天皇:江戸時代後期に即位た第119代天皇(在位1780-1817年)
・仙洞御所:退位した天皇(上皇)のための御所
廬山寺は明治維新まで宮中の仏事を司る四ヶ寺のひとつで皇室と関わりが深いお寺だったため、皇室に関係する寺宝も多く残されています。
こちらのお部屋に展示されている寺宝はこちら↓でした。
11:華瓶
12:食籠
13:貝合わせ(江戸時代に作成されたものを昭和に修復)
14:百人一首(読み札)
15:御所車
本堂内にも案内ガイドの方がいらっしゃって、寺宝について解説をしてくれます。
ただ、こちらのお部屋で解説があったものは、貝合わせと百人一首のみでした。
載仁親王妃智恵子(1872-1947):日本の皇族。閑院宮載仁親王の妃。
閑院宮載仁親王(1865-1945):日本の皇族。陸軍軍人。
寺宝の解説が終わると隣の部屋に促されます。
じっくりと見たい場合は後で戻る感じですね。
順路4:本堂左から2番目の部屋へ
先ほどのお部屋のお隣へ移動し、寺宝の解説を聞きます。
なお、こちらのお部屋の寺宝はこちらです。
16:紫式部口記絵詞(複製)
18:源氏絵「若紫」
→住吉廣尚(江戸時代後期の住吉派の画家・御用絵師)
19:源氏絵「絵合」
→住吉廣行(江戸時代後期の住吉派の画家・御用絵師)
20:源氏絵「浮舟」
→絵:土佐光起(江戸時代後期の土佐派の画家・宮廷絵所預職)
→讃:中院通茂(江戸前中期の公卿・歌人)
21:源氏物語礼賛
→与謝野晶子自筆の和歌集
→与謝野晶子が源氏物語の各帖に対する見解や感想を1首ずつ和歌にした巻物
21の隣にもうひとケース展示物があったはずなのですが、メモをし忘れたので割愛しています。
こちらのお部屋はかなり見ごたえありです。
なお、源氏絵「若紫」「絵合」「浮舟」と与謝野晶子の「源氏物語礼賛」についてはガイドさんから説明がありました。
源氏絵:源氏物語を主題にした絵画
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源氏絵「若紫」
源氏絵「若紫」は、江戸時代後期の住吉派の画家・住吉廣尚の作品。
こちら↓
光源氏が紫上を見初めたシーンが描かれています。
紫上が飼っていた雀を子をお付きの童女(犬君)に逃がされて悲しんでいる様子を光源氏が垣間見ています。
住吉廣尚(1781-1828):江戸時代後期の画家で住吉派6代目。父(廣行)の跡を継いで幕府の御用絵師となる。和画(大和絵)の鑑定に優れていた。
源氏絵の「絵合」
源氏絵の「絵合」は、住吉廣行の作。
帝の御前で梅壺女御と弘徽殿女御が「絵合」をしているシーンが描かれています。
「絵合」は、2チームに分かれて絵を出し合って優劣を競う平安時代の遊びです。
残念ながら「絵合」は引用できる画像がないので廬山寺でご覧ください。
・住吉廣行(1754-1811):江戸時代後期の画家で住吉派5代目。住吉派の4代目・廣守の養子となり1781(天明1)幕府の御用絵師となる。寛政の内裏新造にあたって紫宸殿の賢聖障子などを描いた。
住吉廣行と住吉廣尚は実の親子で、廣行が父です。
源氏絵「浮舟」
源氏絵「浮舟」は、土佐光起の作品。
光源氏が亡くなったあとの物語「宇治十帖」から、浮舟と匂宮が小舟で隠れ家に向かう様子が描かれています。
残念ながら「浮舟」も引用できる画像がないので廬山寺でご覧ください。
土佐光起(1617-1691):江戸時代初期の土佐派の画家。室町末期以来中絶していた宮廷の絵所預に復帰し、土佐派を復興した人物。
与謝野晶子「源氏物語礼賛」
与謝野晶子が源氏物語の各帖に対する見解や感想を1首ずつ和歌にした巻物です。
こちらも引用できる画像がないので廬山寺でご覧ください。
与謝野晶子(1878-1942):近代歌壇を代表する明治-昭和時代前期歌人、作家、思想家
2部屋にわたって寺宝を堪能した後は、仏間のある本堂中央のお部屋の前へ進みます。
順路5:本堂中央「室中」の前へ
今度は仏間がある本堂中央のお部屋です。
廬山寺の本尊「阿弥陀如来及両脇侍坐像(重要文化財)」が安置されています。
- 「阿弥陀如来及両脇侍坐像」(重要文化財)
中央:阿弥陀如来像
左側:勢至菩薩像
右側:観音菩薩像
→13世紀初め(平安末~鎌倉時代)の作と推定されている
→来迎阿弥陀像といわれ臨終を迎える人のもとに現われた阿弥陀如来と観音菩薩、勢至菩薩をあらわした彫像
勢至菩薩像と観音菩薩像は前かがみになっていてすぐに動ける姿勢になっています。
ご本尊までの距離は遠く、単眼鏡がないと細かい部分は見れません。
京都の寺院を巡るときは、単眼鏡を持ち歩くのがおすすめです。
私はこちら↓を愛用しています。
今度は本堂一番右のお部屋へ進みます。
尚、仏間のあるお部屋の右隣は写経の部屋となっていて写経用の机といすが置かれています。
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順路6:本堂右奥の部屋へ
25:源氏物語屏風 宿木(三)
→林司馬(昭和の京都画壇の画家)
→源氏物語49帖宿木がモチーフ
26:源氏物語屏風(本間六曲一隻)
→室町時代
27:扇面古写経(模本)
本堂1番右のお部屋には「屏風」3つと「外居」2つが展示されています。
「外居」は26番の屏風の両サイドに置かれていました。
こちらの屏風と外居も引用画像がないので廬山寺でご確認ください。
屏風はどれも大きくこのお部屋は圧迫感のある中での鑑賞でした。
林司馬(1906-1985):昭和時代の日本画家。嵯峨美術短期大学(京都嵯峨芸術大学)教授。
外居:食物を納める移動用の調度。塗物で円筒形、蓋と外へ反った三つの脚がある。
本間:座敷で用いられる屏風のことで175cmくらいの高さがある大型の物。来客時などに使われる。
六曲一双:折りたたむ面が六面あり、左右2隻※で一揃えになる屏風のこと。六曲一双の屏風は室町時代から江戸時代にかけて多く見られる。
※「隻」は屏風を数える単位
屏風絵を堪能したら、広縁にでて「源氏庭」の鑑賞をします。
順路7:本堂前庭「源氏庭」へ
こちらの画像は本堂の1番右の部屋から広縁に出たときに見える風景です。
- 源氏庭:1965/昭和40年に作庭
→廬山寺のある土地が紫式部の邸宅だったと明らかになった年に整備された
→苔の島部分は源氏物語絵巻に出てくる雲を形
→苔の島には6月から9月初旬に約1,000株桔梗が咲く
こちら↑は右端から見た源氏庭。
廬山寺の庭園は、苔の部分の形が特徴的で、源氏物語絵巻に描かれる雲をモチーフにしているそうです。
この苔の部分には、紫式部に因んで紫色の桔梗が約1,000株植えられています。
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ちなみに、桔梗が見ごろになると蘆山寺の山門前に「桔梗見ごろ」の看板が出ます。
こちらは本堂中央あたりから見た源氏庭。
廬山寺は↓このように庭園にせり出した部分があり広縁に座ってゆっくり眺めることができます。
ちなみに、現在の蘆山寺がある場所が紫式部の邸宅跡だと分かったのは昭和40年(1965年)と半世紀ほど前のこと。
歴史学者の角田文衛博士の考証によって廬山寺は紫式部邸宅址であると発表されたそうです。
このことに合わせて、昭和40年に本堂前の庭を紫式部や源氏物語をモチーフにした「源氏庭」として整備されました。
こちら↓の庭園左奥の苔の島には、紫式部の邸宅址を記念する顕彰碑があります。
「紫式部邸宅址」が彫られていますが、見えますか?
以上が、「京の冬の旅」廬山寺・有料拝観エリアでした。
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拝観レビュー|廬山寺(紫式部邸宅跡)
行ってよかったこと・残念だったこと
行ってよかったこと
- 兜跋毘沙門天を支える地天女が見れたこと
- 持念仏の取り外して持ち出すシステムが興味深かったこと
- 与謝野晶子の美しい字が見られたこと
蘆山寺は2018年の通常拝観で1度伺っていて、今回は元三大師堂の内部が見れるかつ拝観料が800円とのことで伺いました。
2018年に行った時も「お庭がきれいで見るもの(寺宝)も多く満足」とメモしていたのですが、今回はその時より満足度が高かったです。
特によかったなと思ったのが上記にあげてる3点です。
前述していますが、「兜跋毘沙門天」という通常の毘沙門天と違う様式があることを今回初めて認識し、廬山寺さんの兜跋毘沙門天の足を支える「地天女」の造形が印象に残ったので、見られてよかったと思っています。
明智光秀の持念仏も、地蔵菩薩だけ取り外せる点に日本の臨機応変に形を変えて使う工夫が見られてとても興味深かったです。
そして、与謝野晶子に対するイメージ(文字は荒々しいのではないかというイメージ)が覆されたのもよかったですね。
残念だったこと
- 「阿弥陀如来及両脇侍坐像」が近くで見られないこと
せっかくの重要文化財が近くで見れないことだけは残念でしたね。
拝観料800円の価値はある?
- 800円の価値あり!
通常本堂と庭園で500円なのに元三元大師堂内部も見られて800円はお得!
個人的には、元三大師堂内部の拝観で800円と言われても価値があったといっても過言ではないと思っています。
ただし、前回の特別公開に行っている方は差があまりないので与謝野晶子ファンでなければ800円は高いと感じるかもしれません。
設備案内|廬山寺(紫式部邸宅跡)
トイレの有無・場所
- 拝観ルート内に観光用のトイレあり(男女別・洋式)
廬山寺には観光用のトイレがあります。
男女で別れていて、女性用は洋式でした。
場所はこちら↓の図にある通りです。
交通アクセス|廬山寺(紫式部邸宅跡)
最寄りの駅(電車・バス)
廬山寺|最寄り駅 | |
---|---|
最寄り駅 (バス) |
・市バス「府立医大病院前」下車、徒歩約5分 |
最寄り駅 (鉄道) |
・京阪電車「出町柳」駅3番出口より、徒歩約13分 ・叡山電車「出町柳」駅改札口より、徒歩約17分 |
住所 | 京都府京都市上京区北之辺町397 |
京都駅から行く場合は、バスがおすすめです。
京都タワーがある方のバスターミナルでA2乗り場に行き、4、17、205系統のいずれかに乗車します。
どの系統に乗っても「府立医大病院前」までの乗車時間は23~24分(11駅)で運賃は230円です。
相国寺にも行く場合
京の冬の旅で「相国寺」「光源院(相国寺塔頭)」「慈雲院(相国寺塔頭)」も特別公開されていますが、「相国寺」と「光源院(相国寺塔頭)」であれば蘆山寺まで20分くらいなので歩けない距離ではありません。
相国寺の法堂からは徒歩約20分、光源院からは徒歩約17です。
(どちらも相国寺の総門からでて京都御苑の中を通らずに行く場合の時間)
「慈雲院」は相国寺の境内からちょっとはなれているので、蘆山寺まで歩くと30分くらいかかります。
なのでちょっと面倒ですが地下鉄烏丸線の「鞍馬口」駅から「今出川」駅まで1駅電車に乗って、今出川駅3番出口から約17分歩くのがいいかもですね。