大徳寺塔頭・龍源院(りょうげんいん)は、一般公開している寺院ですが、今回京の冬の旅で、普段は非公開の「開祖堂」が公開されているとのことでさっそく行ってきました。
こちらの記事では「京の冬の旅」公式サイトやパンフレットだけでは分からない、実際に拝観したからこその詳細情報をお届けします。
こんな方に向けて詳しく書いていきますね。
- 拝観に行くかどうか迷ってる方
- 拝観に行く前に予習したい方
- 拝観に行ったけどあれなんだっけ?と振り返りをしたい方
では、目次を開いて気になる項目から読み進めてください。
(項目をタップ/クリックすると該当箇所にスクロールします)
基本情報|龍源院・大徳寺塔頭【京の冬の旅】
公開日時・拝観料
龍源院・大徳寺塔頭 特別公開(第58回 京の冬の旅2024) | |
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公開期間 | 2024年1月6日(土)~2024年3月18日(月) |
公開時間 | 10:00~16:30(16:00受付終了) |
拝観料 | ・大人(中学生以上)800円 ・小学生500円 |
公開エリア | 書院・方丈・庭園・開祖堂内部 ※通常非公開の「開祖堂」内部が京の冬の旅では特別公開される |
公式情報 | ・京の冬の旅公式サイトはこちら ・龍源院の公式サイトなし |
京の冬の旅などの特別公開期間以外の拝観は次の通りです。
■龍源院・通常拝観情報
・拝観料:大人350円/高校生250円/小・中学生 200円
・拝観時間:9:00~16:20
・拝観休止日:4月19日(その他、法要時も拝観休止)
・公開エリア:書院・方丈・庭園
撮影の可否
龍源院・大徳寺塔頭 特別公開(第58回 京の冬の旅2024) | |
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建物内 | ・撮影OK:本堂内の襖絵、開祖堂内の天井画 ・撮影NG:本堂内のご本尊、開祖堂内の木造、書院内の寺宝 |
庭園 | ・撮影OK |
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通常の拝観と特別公開の違い|龍源院・大徳寺塔頭【京の冬の旅】
1.開祖堂の内部が初公開!
通常拝観の時には本堂(方丈)の廊下から外観を見るだけの「開祖堂」の内部が、京の冬の旅では初公開されています。
しかも堂内の天井画の撮影もOKですよ!
開祖堂に向かう途中の庭園「鶏足山」も普段は入れないエリアなので貴重な機会です。
2.書院の掛け軸が辰年仕様の2幅!
- 床の間の右側:「龍の図」曾我蛇足・筆と伝わる
- 床の間の左側:「観音図」作者不明
通常公開のときには、書院の床の間の掛け軸が「達磨図」のみなのですが、辰年ということで今回の京の冬の旅期間中だけ、龍が描かれた2幅が掛けられています。
・曾我蛇足(生没年不詳):室町後期の画家。経歴・生没年ともに未詳
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拝観ルート・公開内容|龍源院・大徳寺塔頭【京の冬の旅】
当日の拝観ルートを間取り図で紹介
京の冬の旅期間は、拝観受付が書院の手前側の部屋に準備されます。
(通常の拝観時は玄関入ってすぐ・下駄箱の向かい側)
受付後は、次の順路で拝観していきます。
1.書院
↓
2.書院南庭「滹沱底(阿吽の石庭)」
↓
3.本堂南側「室中の間」「礼の間」「檀那の間」
↓
4.方丈南庭「一枝坦」
↓
5.開祖堂前庭園「鶏足山」・開祖堂内部
↓※本堂北側を見てからの見学でもOK
↓
6.本堂北側「衣鉢の間(上間の間)」「眠蔵」「書院の間(下間の間)」
↓
7.方丈北庭「龍吟庭」
↓
8.坪庭「東滴壺」
特別公開期間以外の通常拝観時は、書院が2間(8畳と4畳)が公開対象なのですが、京の冬の旅期間中は書院の4畳の部屋が拝観受付に使われていました。
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エリアごとの襖絵・寺宝一覧
書院内・書院横廊下 | 本堂内 | 開祖堂内 |
龍源院・大徳寺塔頭 特別公開(第58回 京の冬の旅2024) | |
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書院 | ①火縄銃2丁(片方が日本最古の火縄銃) →日本最古の火縄銃は、銃の床尾(射撃の際に肩に当てる部分)に戦国時代の天正11(1583)年の年紀あり →種子島に火縄銃が伝来したのは1543年/天文12年 ②四季草木蒔絵碁盤と碁笥 →徳川家康と豊臣秀吉が伏見城で対局したと伝わる囲碁の盤と囲碁入れ →金森長近が秀吉から拝領したものと伝わる ③掛け軸「龍の図」(伝:曾我蛇足の筆) →曾我蛇足の作と伝わる龍の図 ④掛け軸「観音図」(作者不明) →作者不明・観音、龍、善財童子が描かれてい ⑤龍のパネル |
本堂「室中の間」 | ⑥本尊:釈迦如来挫像《重文》 →鎌倉時代・胎内に1250年/建長2年7月行心造の墨所があり、京都八釈迦の一体 ⑦宝冠釈迦如来像 ⑧襖絵18面「竜と波」(作者不明) |
本堂「礼の間」 | ⑨襖絵8面「列仙の図」(等春・作) |
本堂「檀那の間」 | ⑩襖絵8面「タイトル不明」(作者不明) |
本堂「書院の間」 | ⑫「白蔵主と月にむら雲」(日本画家・鈴木松年の筆) |
開祖堂 | ⑪天井画「龍の図」(南画家・井上石邨の筆) ⑫東渓宗牧の木像 →大徳寺72世住持で龍源院開祖の木像 |
5つの庭園一覧
龍源院には、室町時代と現代に作庭された庭が全部で5つあります。
龍源院・大徳寺塔頭 特別公開(第58回 京の冬の旅2024) |
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1.一枝坦:方丈南庭(前庭) |
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・1980年(昭和55年)作庭 ・喝堂和尚が設計・監督した現代の枯山水庭園 ・蓬莱山、鶴島、亀島で構成 |
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2.龍吟庭:方丈北庭 | |
・室町時代に相阿弥の作庭と伝わる ・大海、須弥山が表現されている |
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3.東滴壺:方丈東庭(坪庭) | |
・1960年(昭和35年)作庭 ・作庭家は重森三玲の弟子・鍋島岳夫 ・日本最小の庭園(4坪) ・一滴のしずくが、やがて大河となり、大海原へと流れる様子(一滴潺々碧水煙る)を5つの石で表現 |
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4.滹沱底(阿吽の石庭):書院南庭 | |
・作庭年、作庭家不明 ・聚楽第の礎石と伝わる「阿吽」の石が配置されている |
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5.鶏足山:開祖堂前庭 | |
・作庭年、作庭家不明 (作庭はおそらく昭和以降) |
所要時間|龍源院・大徳寺塔頭【京の冬の旅】
- 拝観所要時間:15分~60分
ガイドさんの説明は不要でサクサク見るだけでいい方なら、15分もあれば十分見学は可能な規模です。
ガイドさんの説明は聞いたうえでサクサク見るなら、30分程。
説明も聞いてじっくり見るなら60分くらいを目安にするのが良いと思います。
- ガイドの案内所要時間(目安):約12分
・書院:約3分
・本堂南側:約7分
・開祖堂内:約2分
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拝観順路に沿って見どころを紹介|龍源院・大徳寺塔頭【京の冬の旅】
順路1:龍源院の表門から拝観受付へ
- 龍源院:大徳寺塔頭の中で最古の寺院・文亀2年(1502年)創建
- 表門:創建当時のもので重要文化財・室町時代最古の様式
こちら↑が大徳寺塔頭の龍源院の表門です。
1502年(室町時代)の創建当初のもので重要文化財に指定されています。
表門をくぐると道が2本に分かれているので、庫裏に続く右側の道を進みます。
(左側は唐門に続く道になっていますが、途中で立ち入り禁止になっています)
玄関の手前に傘立てが用意されているので雨の日はこちらに預けます。
玄関の下駄箱に靴を預け、拝観受付に進みます。
通常公開時にはこちらの玄関右側が拝観受付になるのですが、京の冬の旅期間中は書院の4畳の部屋が受付として使われています。
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順路2:拝観受付でチケット購入
拝観券以外に次の2つの購入が可能
- 御朱印(300円・書置きのみ)
- 京の冬の旅ガイドブック(1冊300円)
こちら↑が京の冬の旅期間中の拝観受付。
龍源院の御朱印(書置き・300円)や京の冬の旅ガイドブック(1冊300円)もこちらで購入できます。
龍源院さんのチケットは本堂(方丈)にある襖絵「竜と波」の龍でした。
京の冬の旅スタンプラリーの台紙ももらえます。
ほかの拝観場所ですでに台紙をもらってる方は自分で受付の方に提示してスタンプを押してもらいます。
順路3:拝観受付横の書院へ
こちら↑が最初の拝観エリア「書院」です。
京の冬の旅期間中は寺宝の撮影がNGなので、お庭側から書院を撮影しています。
書院には案内ガイドの方がいらっしゃり、寺宝とお庭の説明をしてくださいます。
解説は書院横の庭も含めだいだい3分くらいです。
書院内の寺宝①~④
- 火縄銃2丁(片方が日本最古の火縄銃)
→日本最古の火縄銃は、銃の床尾しょうび(射撃の際に肩に当てる部分)に戦国時代の天正てんしょう11(1583)年の年紀あり
→種子島に火縄銃が伝来したのは1543年/天文12年 - 四季草木蒔絵碁盤と碁笥
→徳川家康と豊臣秀吉が伏見城で対局したと伝わる囲碁の盤と囲碁入れ(碁笥)
→金森長近が秀吉から拝領したものと伝わる
→蒔絵の絵柄は梅・柳・燕子花・蝶・菊・松・竹・水仙花
→2個の碁笥には、それぞれ桐と葵の紋 - 掛け軸「龍の図」
→室町後期の画家・曾我蛇足の作と伝わる
→今回の京の冬の旅限定公開 - 掛け軸「観音図」
→作者不明・観音、龍、善財童子が描かれている
→今回の京の冬の旅限定公開
書院に展示されている寺宝の内、①の火縄銃と②の碁盤と碁笥は通常の拝観時にも展示されています。
床の間の掛け軸③④は、今回「辰年」ということで限定的に展示されている寺宝です。
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順路4:書院横の庭園「滹沱底(阿吽の石庭)」へ
- 「滹沱底」(阿吽の庭)
→庭の左右に阿の石と吽の石が配置されている
→阿吽の石は聚楽第の礎石と伝わる
→宗祖の臨済禅師が住んでいた中国河北の鎮州城の南に流れる滹沱河から名付けられた
書院内の寺宝を堪能後は、縁側に出てお庭を鑑賞します。
こちらのお庭の名称は「滹沱底」といい、別名「阿吽の庭」と呼ばれています。
滹沱は、龍源院の宗派「臨済宗」を作った臨済禅師が住む中国河北の鎮州城の南に流れる「滹沱河」からつけられたもの。
臨済禅師:中国の唐時代の僧・臨済義玄(?~866年)のこと。臨済宗・黄檗宗の宗祖
別名の「阿吽の庭」は、庭の左右に「阿」と「吽」をあわらす石が配置されているためです。
阿の石 | 吽の石 |
こちら↑の「阿吽の石」は、豊臣秀吉の京都における邸宅「聚楽第」の礎石と伝わっているそうです。
阿吽:梵字の12字母の初めにある開口音「阿」と終わりにある閉口音「吽」。万物の始まりと終わりの象徴、息を吸って吐くことを意味する。
聚楽第:安土桃山時代、関白になった豊臣秀吉の政庁兼邸宅。1586年(天正14年)2月に着工、翌1587年(天正15年)9月に完成、1595年(文禄4年)にとりこわされた。
「滹沱底」はこちら↑のように書院の横一帯にあるので結構長いです。
(京の冬の旅で公開されているのは8畳の1室だけですが、書院は3室くらいで構成されています)
順路5:書院横の廊下から本堂へ
書院の寺宝と庭園を堪能した後は、廊下に出ます。
初心の廊下の壁には龍のパネルが展示されています。
作者やなぜここに展示されているのかは確認するのを忘れてしまいました。
おそらく新しいものだと思われます。
パネルを見たら、そのまま直進します。
書院前の廊下を抜けたすぐ右側に2つ目の庭「東滴壺」があります。
「東滴壺」はこのポジションからガイドブックなどの写真がとられているので、ここから眺めるのが正解なのかもですが、順路の一番最後で詳細を紹介しますね。
「東滴壺」の反対側には、創建当初からある井戸「担雪井」があります。
- 担雪井:創建当初からの野井戸
坪庭と井戸の間を抜けたこちら↑の本堂(方丈)南側の広縁へ進みます。
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順路6:本堂南側「室中の間」「礼の間」「檀那の間」へ
- 龍源院「本堂(方丈)」:室町時代・1502年(文亀2年)の建立。1964(S39)-1966(S41)年に方丈解体修理。日本最古の禅院方丈建築の遺構を残す重要文化財
本堂(方丈)南側にも案内ガイドさんがいらっしゃるので3つのお部屋とお庭の解説をしていただけます。
解説は3つの部屋と庭園でだいたい7分ほど。
なお、龍源院の本堂(方丈)は創建当初のもので重要文化財に指定されています。
本堂「室中の間」
こちら↑が本堂南側中央のお部屋「室中の間」です。
- 室中の間:方丈の中心の部屋。住持(和尚)が禅の教えを説いたり法要を行う部屋
龍源院「室中の間」の寺宝は、こちらです。
|
ご本尊含む仏間の撮影がNGだったので写真で紹介できずです。
ぜひ龍源院さんで確認してください。
襖絵「竜と波」 | |
こちらが「室中の間」の襖絵「竜と波」。
部屋の中央の仏間の右側が龍、左側が波になっています。作者は不明とのこと。
本尊の入口の上部には「龍源院」とかかれた扁額があります。
案内ガイドの方に扁額の文字は誰のものかと聞いたらよくわからないといわれたので調べてみました。
扁額の左下にある「方梅厓書」の文字を手掛かりに調べると、こちら↓の資料に記載がありました。
明使のなかで方梅厓によった扁額は大徳寺塔頭の龍源院や妙顕寺などで見ることが出きるが、(以下略)
引用元:妙喜庵「金をめぐって」
室町時代の異国使節のうち「明使」の「方梅厓」という方が書かれたようです。
方梅厓:中国・寧波(浙江省)の文人(16世紀中葉に活躍)
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本堂「礼の間」
こちらは本堂南側の右の部屋「礼の間」です。
- 礼の間:和尚と修行僧たちが一衆和合、公式の茶礼公礼などを行った部屋。昔は大名や公家のお供が控えた部屋。(一衆和合:心を一つにして行動を共にすること)
礼の間の寺宝は襖絵「列仙の図」です。
襖絵「列仙の図」(等春・作) | |
こちらの襖絵の作者は戦国時代の画家・等春です。
等春(?-?):室町時代末期から安土桃山時代にかけて活躍した画家。奈良の大工の子で雪舟の弟子。長谷川等伯の養父・長谷川宗清の師匠にあたる人物。
「列仙の図」は、中国の道教にまつわる説話集『列仙伝』をモチーフに描かれた仙人図です。
この部屋の襖絵だけ、なぜか写真を2枚しか撮ってこなかったので、仙人がどこにいるのかよくわからない写真の紹介になります。
ぜひ、龍源院で確認してください。
本堂「檀那の間」
こちらは本堂(方丈)南側の左の部屋「檀那の間」です。
檀那の間:経済面で寺や和尚を外護し世話する檀越、檀家の方と和尚がお茶などをのみながら親しく会う部屋(外護:仏道修行の人に修行に必要なものを供給して身心に安穏を与えること)
檀那の間の寺宝は襖絵なのですが、タイトルも作者も不明になっています。
正面の襖絵には鳥(雉?)が描かれていますね。
鳥(雉?)の顔立ちや姿がとてもかわいく癒されます。
ちなみに「檀那の間」は龍源院(お寺)にとって大切なお客さまを通す部屋なので、ここからの庭の眺めが1番良いものになっているそうです。
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順路7:本堂南側庭園「一枝坦」
こちらが本堂(方丈)の南側にある庭園「一枝坦」です。
一枝坦:1980年(昭和55年)作庭。当時の住職が設計・監修。仙人が住む不老長寿の吉祥の島「蓬莱山」・鶴島・亀島で構成されている。庭の名前は開祖の東溪宗牧が師である実伝和尚から賜った室号「霊山一枝之軒」に由来する。
・実伝和尚(1434-1507):室町時代後期の臨済宗の僧・実伝宗真のこと。大徳寺56世。
・室号:書斎や家などにつけた名前
亀島 | 蓬莱山 | 鶴島 |
作庭は昭和55年(1980年)と新しいものになります。
かつて龍源院の方丈前庭には樹齢約700年の山茶花「楊貴妃」が真紅の花を咲かせていたそうなのですが、昭和55年(1980年)に枯れてしまい今の庭に作り直したそうです。
当時の龍源院住職・細合喝堂和尚の設計・監修とのことです。
細合喝堂和尚:大徳寺龍源院元住職。平成17年没。
鶴島の苔は「ウマスギゴケ」だそうです。
順路8:本堂南側から開祖堂へ
本堂(方丈)南側の室と広縁からの愛でる庭園を堪能したら、上の写真にある渡廊下を通って「開祖堂」を目指します。
まず渡廊下を歩くために↑こちらのクロックスに履き替えます。
2つだけですが、子ども用サイズも用意されています。
クロックスを履いたら↑こちらの渡廊下を直進します。
渡廊下から見る庭園はかなり迫力があって素敵でした。
渡廊下が終わったら、そのまま開祖堂まで順路に従って進みます。
こちらが「開祖堂」です。
昭和期に建てられたのでまだまだ新しい建物です。
開祖堂の前の庭は「鶏足山」と名付けられています。
苔地に石畳、灯籠で構成されています。
こちらの庭については特に解説などもないので、作庭された年や作庭家は不明です。
ただ庭の名前は、おそらく禅宗の発祥の地ともいわれる中国仏教八小名山のひとつ「鶏足山」からつけられたものだと推測されます。
鶏足山:中国雲南省にある山の名前。山頂の峰が鳥の爪に似ていることからこの名がつけられた。釈迦の大弟子である摩訶迦葉が鶏足山に入定したと推定されている仏教の聖地。
前庭を通り抜けたら、いよいよ開祖堂の中へと入って行きます。
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順路9:開祖堂の中へ
- 開祖堂:龍源院の開祖・東溪宗牧のお墓の上に昭和期に建てられた建物。建物は南北朝時代・鎌倉時代・室町初期時代の禅宗様の粋を取り入れてつくられた。天井には龍が描かれている(南画家・井上石邨の筆)
開祖堂内にも案内ガイドさんがいらっしゃって解説してくださいます。
解説は約2分ほどです。
開祖堂に入って正面には龍源院の開祖・東溪宗牧の木像と「霊山一枝軒」の扁額があります。
東溪宗牧の木像は撮影NGなので京の冬の旅ガイドブックより引用しています。
こちらの木像の下には東溪宗牧のお墓があり、墓石を少し見ることができます。
開祖堂の天井には今回の見どころ、龍が描かれています。
うれしいことにこちらの天井画の龍は撮影がOKでした。
- 開祖堂天井画「龍図」:南画家・井上石邨の筆
井上石邨(1893~1975):明治生まれの画家。1912年(大正元年)から南画家の田近竹邨に師事し水墨画を得意とする。戦後に一時中断されていた日本南画院の再興に尽力した人物。
個人的にこちら↑が龍の尻尾の先なのか何なのかが気になっています。
開山堂の脇から本堂(方丈)北側の庭園「龍吟庭」を見ることもでき、今回の京の冬の旅でしか味わえない光景です。
開祖堂の扁額は、龍源院の開祖・東溪宗牧の諡号「仏恵大円禅師」の「大圓」の文字。
諡号:貴人や僧侶の死後にその人の生前の行ないをほめたたえておくる名前
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順路10:開祖堂から本堂へ戻る
開祖堂内部を堪能したら、再びクロックスを履いて本堂(方丈)へ戻ります。
本堂(方丈)をここから見られるのも今回の京の冬の旅だけのレア体験です。
禅寺の敷石は、だいたい仏法の守り神である龍の背中をモチーフにしているので、龍の背中に乗って移動しているイメージをするとテンション上がります。
本堂に戻る際にも開祖堂に向かうときとはまた違った「一枝担」の姿が見られます。
雨が降った後に拝観したので石が黒々としています。
やはりこの距離で見る庭園は迫力が違いますね。
さて、唐門横の下駄箱まで戻ってきました。
ここからの眺めもレアですね。
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順路11:本堂南側から北側へ
今度は本堂(方丈)の北側に向かって進みます。
先ほど拝観した開祖堂が左側に見えます。
北側の庭が見えてきました。
本堂(方丈)北側の庭「龍吟庭」は苔がメインのお庭になっています。
こちらのお庭については後ほど詳細を紹介しますね。
順路12:本堂北側「衣鉢の間」「眠蔵」「書院の間」へ
本堂北側は「衣鉢の間」「眠蔵」「書院の間」が見られるようになっています。
北側には案内ガイドさんがいらっしゃらないので、各部屋に掲げられた解説パネルで部屋の特徴を知る程度になります。
本堂(方丈)北側「衣鉢の間」
こちらは本堂北側の「衣鉢の間」です。
- 衣鉢の間(上間の間):居間にあたる部屋。衣鉢の衣は僧侶が身にまとう三衣 (3種類の袈裟 )のことで、鉢は食器を指すし、僧侶にとっての生活必需品を表す。
解説パネルによるとこちらの部屋は「狸窟」と名前がついているようなのですが、読み方は「りくつ」が正解なのか分からずです。
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本堂(方丈)北側「眠蔵」①
こちらは「眠蔵」です。
- 眠蔵:納戸にあたる部屋。物を眠らせて蔵うところという意味から眠蔵という名前になっている。
本堂(方丈)北側「眠蔵」②
こちらもおなじく「眠蔵」です。
こちらの部屋には畳が敷かれています。
本堂(方丈)北側「書院の間」
こちらは「書院の間(下間の間)」です。
- 書院の間(下間の間):公式な訪問者を迎える部屋(応接間)
書院の間には、僧の姿のキツネを描いた2曲1双屏風「白蔵主と月にむら雲」があります。
作者は明治から大正にかけて活動した日本画家の鈴木松年です。
・鈴木松年(1848-1918):鈴木派の祖・鈴木百年の長男。弟は鈴木百翠、鈴木万年。上村松園の最初の師としても知られる。
・2曲1双屏風:折りたたむ面が六面あり左右2隻で一揃えになる屏風のこと。室町時代から江戸時代にかけて多く見られる。
「白蔵主と月にむら雲」 | |
- 白蔵主と月にむら雲:日本画家の鈴木松年作。
描かれているのは僧の姿に化けたのキツネで、狂言『釣狐』の題材となった白蔵主の伝説がモチーフになっています。
2つの屏風でひとつの作品です。
白蔵主の伝説は諸説あるようなのですが、南北朝時代・永徳元年(1381年)に和泉にある少林寺塔頭の耕雲庵の僧侶・白蔵主が飼っていた三本足の白狐が妖力で僧侶に化け、説法したりするお話です。
こちの屏風には狐が化けた僧侶・白蔵主が描かれています。
こちらの屏風には満月が描かれています。
なお、この屏風が龍源院に奉納された理由も不思議なものになっています。
龍源院さんの解説パネルにも詳細が書かれてるのですが、ウィキペディアの内容が1番分かりやすかったので引用します。
1960年(昭和35年)。大阪府に住む人物が龍源院を訪ねた。その者が言うには、家業不振が続くので、行者に見てもらったところ、もし家にキツネを描いた掛け軸や屏風があれば、そのキツネは修行中の身でもっと修行をしたがっているので、早くどこかの寺に収めるようにと言われたという。家には確かに堺の伝説を描いた白蔵主の屏風があったが、収める先の見当がつかなかったところ、行者はキツネの望む寺が京都にあるかもしれないと助言した。そこで京都まで来て歩き回ったところ、龍源院の前で足が動かなくなり、意を決して訪ねたとのことだった。
龍源院でも、かつての和尚が下間に狐窟(こくつ)と銘した逸話があり、キツネと少なからず縁があったため、龍源院の住職は、キツネの屏風に因縁を感じ、申し入れを承諾した。以来、元の持ち主だった家は平穏に暮らすことができた。
(引用元:ウィキペディア)
この部屋の名前「狐窟」が屏風の上の扁額に書かれています。
屏風を保護するためか、こんな感じ↑で割と狭い隙間から室内を除く感じになっています。
部屋の右側には掛け軸もあるのですが、こちらは作者や作品名の解説は無くわからずです。
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順路13:本堂北側廊下から庭園「龍吟庭」
本堂北側の3つのお部屋を見学した後は、庭園「龍吟庭」をじっくり愛でます。
- 龍吟庭:相阿弥によって作庭されたと伝わる庭。大海、須弥山、三尊石、龍が表現されている。
・相阿弥(生年不明-1525):室町幕府第八代将軍・足利義政のお抱え鑑定士(同朋衆)、絵師、連歌師。
・同朋衆:室町時代以降将軍の近くで雑務や芸能にあたった人々のこと。 1866年(慶応2年)に廃止された。
龍源院の5つの庭のうち1番古い作庭の庭です。
全体を覆う苔が大海原を表します。
中央の背の高い石が須弥山を表します。
須弥山:仏教世界の中心にそびえたつ神聖な山。古代インド仏教の世界観。
1月にうかがったからか、苔の色があまりよくないのが残念です。
順路14:庭園東側へ
本堂(方丈)北側の庭は、横からも眺められます。
本堂の北側廊下にこちら↑の廊下が続いているのでこちらに移動します。
ゆっくり座って見られるようになっています。
横から見た「龍吟庭」はこんな感じ。
手前の石と植木が亀にしか見えないのですが、これは相阿弥が作成したころからあるのか気になります。
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順路15:庭園東側から「東滴壺」へ
先ほどの廊下を戻った先が「東滴壺」です。
方丈と庫裏との間の4坪ほどの空間につくられた壺庭。
個人的にはこちらからみた「東滴壺」の方が神秘的に感じます。
横から見るとこんな感じ。
ポスターなどに使われるのはこちらから見た「東滴壺」です。
- 東滴壺:1960年(昭和35年)に鍋島岳生によって作庭。日本最小の庭園(4坪)。
一滴のしずくが大河となり、大海原へと流れる様子(一滴潺々碧水煙る)を、5つの石で表現し、現代の壺庭の傑作と言われているそうです。
鍋島岳生(1913/T2-1969/S44):昭和時代の庭園研究家。佐賀鍋島藩の末裔。重森三玲を中心に行われた全国一斉古庭園実測調査の実測製図を担当。重森三玲の下で全国200の庭園を実測。
すべての寺宝とお庭を堪能したら、玄関に戻ります。
以上が、龍源院・京の冬の旅でした。
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拝観レビュー|龍源院・大徳寺塔頭
行ってよかったこと・残念だったこと
行ってよかったこと
- 開祖堂の中が見られるだけでなく天井画の撮影もOKだったこと
- 解説付きで拝観できたこと
- 通常拝観とは違う寺宝があったこと
1番良かったことはやはり開祖堂の中を拝観できたことと天井画の撮影もできたことです。
普段非公開のところに入って拝観するのはテンション上がります。
京の冬の旅では案内ガイドの方が立たれるので方丈や庭園についての知識が増えたのでとてもよかっったです。
そして、今回の特別公開用の寺宝が展示されていたこともよかったですね。
残念だったこと
- 寺宝の撮影がNGだったこと
- 書院が1部屋のみの公開だったこと
こちらの2つは、強いてあげるならの残念な点です。
通常公開の時は寺宝も撮影できるようなので今回NGだったのは残念でした。
通常の拝観時には書院が2部屋(8畳+4畳)の空間でゆったりみられるところ、今回は8畳のみだったのでちょっと圧迫感があったのは残念な点でしたね。
とはいえ、これらは強いてあげればなので今回の京の冬の旅の公開は大満足でした!
拝観料800円の価値はある?
- 800円の価値あり!
通常公開時は350円で開祖内部以外の場所が拝観できます。
通常より450円アップするだけで、ガイドさんの案内も聞け、開祖堂内部を見たり、今回のみの掛け軸も展示されていることから800円の価値は十分あると思います。
京都の特別公開は時には1つのお堂だけで拝観料が1000円のときもあるので、お安い方です。
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トイレの有無・場所|龍源院・大徳寺塔頭
トイレの有無・場所
トイレの有無
- 拝観エリア内にトイレあり
→男女兼用のトイレ(ひとつの空間に男性用小便器と個室がある)
→男性用小便器はトイレの入り口を開けるとすぐ見える位置にあり
最近は男女別のトイレを設けている寺院も多いですが、龍源院さんは昔ながらのトイレなので、気になる方は大徳寺の総門の外にあるトイレを使用されるのをお勧めします。
トイレの場所
方丈北庭「龍吟庭」に向かって右側の通路の突き当りにトイレがあります。
受付後にすぐ向かう場合は坪庭「東滴壺」の横を通って向います。
(この場合、順路を逆流することになります。)
本堂(方丈)北側の庭園「龍吟庭」の横のこちら↑の廊下の奥がトイレです。
大徳寺のトイレの場所
男女別のトイレを使いたい場合、上の図の赤丸印のトイレに行く必要があります。
観光用トイレ | 東門前公衆トイレ |
個人的には総門横の駐車場にある観光用トイレがおすすめです。冬場も便座が暖かくしてあるので快適です。
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交通アクセス|龍源院・大徳寺塔頭
最寄りの駅(電車・バス)
龍源院・大徳寺塔頭 特別公開(第58回 京の冬の旅2024) | |
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最寄り駅(バス) | ・市バス「大徳寺前」下車、徒歩約5分 ・市バス「北大路堀川」下車、徒歩7分 ※どちらもバス下車後、総門から龍源院に向かう場合 |
最寄り駅(電車) | ・地下鉄「北大路」駅2番出口から徒歩約19分 ※北大路駅バスターミナルからバスで「大徳寺前」までは乗車時間5分 |
住所 | 京都府京都市北区紫野大徳寺町82-1 |
(大徳寺境内の入り口は★A~Eの5か所)
「大徳寺前」バス停で降りた場合、「総門」を通るルートAと「南門」を通るルートBのどちらかで向かいます。
拝観前にトイレなどに寄る必要がなく時間短縮したい場合、ルートBの方が若干早くたどりつけます。
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