一般公開寺院

正伝寺の見どころ・御朱印・拝観ガイド|枯山水・狩野山楽襖絵・血天井が有名(拝観料金・拝観時間・拝観レビュー・交通アクセス)

京都市北区にある正伝寺(しょうでんじ)は、江戸初期に小堀遠州作庭し昭和初期に重森三玲が復元した枯山水や狩野山楽の障壁画、血天井が残る知る人ぞ知る禅寺です。

観光客も少なく静寂の中枯山水や文化財に触れられる貴重な空間です。

本記事では写真をたっぷり使いながら公式サイトより詳しく正伝寺を紹介していきます。

目次を開いて気になる項目から読み進めてください。
(項目をクリック/タップすると該当箇所に移動します)

基本情報

公開日時・拝観料・公開内容・拝観エリア

正伝寺(しょうでんじ)
公開日 通年(無休)
拝観時間 9:00~17:00
※最終受付時間は不明なので心配な場合は問い合わせがオススメ
拝観料 ・大人500円(高校生以上)
・中学生300円
・小学生200円
拝観エリア・
公開内容

【有料エリア】
・本堂(方丈)
→狩野山楽筆の障壁画「西湖の図(山水図)」(重要文化財)
→広縁(廊下)の血天井
→「大涅槃図」辯栄上人・筆
・方丈庭園「獅子の児渡しの庭」
→江戸初期に小堀遠州作庭と伝わり昭和に重森三玲が修復
【無料エリア】
・鐘楼

・八幡宮
公式サイト http://shodenji-kyoto.jp/

※当サイトに掲載の内容はすべて掲載時点での情報です。変更となる可能性がありますのでお出掛け前に公式情報をご確認ください。

境内図で拝観エリアを紹介

(↑PCはクリックで拡大可能)

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正伝寺境内のうち「本堂(方丈)」と「庭園」が有料拝観エリアになります。境内の鐘楼しょうろうや八幡宮は自由に見学できます。ちなみに庫裡くりは非公開です。

所要時間

  • 17~60分
    →有料エリアのみサクッと見るなら17分ほど
    →境内も含めゆくりみるなら30~60分
    ※三門から拝観受付までサクサクあるいて6分ほど(往復12分)
    ※方丈内の障壁画や庭の見学もサクッと見るだけなら5分~10分で見られる規模

(↑PCはクリックで拡大可能)

上記の境内図でみると三門から拝観受付まで非常に遠く感じますが、なだらかな坂道と階段でサクサク歩けば5~6分ほどの距離です。

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記事作成のために私は写真をとりまくるので有料エリア以外も散策して一時間ほど滞在しました。京都の他の有名な寺院に比べると展示している寺宝や境内の建物は少ないのです。

撮影の可否

  • 庭園のみ撮影可
    ※方丈(本堂)の室内から庭を撮影するのはNGで広縁(廊下)からの撮影のみ
    ※三脚不可
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方丈の室内から庭を撮影したいところですが、それはNGなのでご注意ください。秋は紅葉、春は桜、初夏はサツキの花、冬は雪景色といろんな表情が見られるので撮影好きな方にもオススメスポットです。

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拝観ルートと寺宝

拝観ルートと寺宝(有料エリアの間取りあり)

  1. 枯山水庭園「獅子の児渡しの庭」
    →江戸時代初期に小堀遠州作と伝わり、昭和初期に重森三玲が修復
    →京都市指定名勝
  2. 広縁(廊下)の天井:「血天井」
    →1600年の伏見城の戦いで自害した徳川の将士らの供養のために血で染まった廊下を天井にし保存
    →京都府内に血天井があるお寺は7つあり正伝寺はそのひとつ
  3. 方丈内障壁画・絵画など
    ・水色エリア:狩野山楽の障壁画「西湖の図(山水図)」
    →襖絵や、床脇の戸袋、帳台構えなど複数の形状がある
    ・図のA:作品名不明
    →複数の四角い色紙絵を貼ったもの
    ・図のB:辯栄上人の筆「大涅槃図
    →絵の線がお経の文字になっている
    →辯栄上人はおそらく山崎弁栄(1859~1920)のこと

拝観受付を済ませて本堂(方丈)に向かうと最初に枯山水が目に飛び込みます。

庭園は広縁からの見学です。

正伝寺の本堂(方丈)は室内に入れます。

「礼の間」「室中」「檀那の間」は自由に行き来して障壁画を見ることができます。

その他の部屋は入口手前で中を覗き込む形で障壁画を見るスタイルです。

枯山水庭園と血天井(広縁の天井) 狩野山楽の障壁画(襖絵)
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正伝寺の御本尊は特に冊子やパンフレットにも詳細が記載されていないので文化財として有名なものではないようです。寺宝の多くは美術館に預けているそうです。

見どころ(有料エリア)

1.枯山水「獅子の児渡し庭」:小堀遠州作庭・重森三玲修復

(2024年8月10日撮影)

  • 江戸初期に小堀遠州が作庭と伝わる
  • 昭和初期(昭和10年・1935年)に重森三玲が修復
  • 白砂とサツキの刈り込み(753配列)で構成され、比叡山を借景とした枯山水庭園
  • 面積約263㎡

正伝寺の1番の見どころは比叡山を借景とした枯山水「獅子の児渡し庭」です。

江戸初期に小堀遠州が作庭と伝わり、昭和初期(昭和10年・1935年)に重森三玲が修復しています。

「獅子の児渡し庭」の写真をもっと見る

正伝寺の「獅子の児渡し庭」は、1980年(昭和55年)に宝酒造の焼酎「純」のテレビCMに起用されたデビットボウイが、枯山水の庭園に感動して撮影地に指定した場所でもあります。

小堀遠州こぼりえんしゅう(1579-1647年)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家、書家。小堀遠州は通称で本名は小堀政一こぼり まさかず。代表作「二条城二の丸庭園」
重森三玲しげもりみれい(1896年-1975年)
昭和の作庭家・庭園史研究家。日本美術学校で日本画を学び、華道と茶道を習得後、独学で日本庭園の世界へ。国内に約200の庭園を作庭。代表作は「東福寺の八相の庭」。全国の庭園を実測し『日本庭園史大系』全33巻(別巻2巻)を完成させるなど庭園史に多大な功績を残す。
■デビットボウイ(1947~2016年)
英国出身のミュージシャン。グラムロックの先駆者として台頭し、ポピュラー音楽の分野で世界的名声を得た人物。日本好きで有名。

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写真だけ見ると「どこがそんなにすごいの?」と思うかもしれませんが実際にこちらの庭を目にするとその美しさに感動します。私が拝観した日に来ていた他の方も庭を見た瞬間に「すごい!すごい!」と思わず声が漏れていました。これは行った人にしかわからない感動だと思います。庭からの景色に電線や近代的な建物が一切見えない、とても貴重な空間です。

3月は塀の右側に桜が咲き、5月はサツキの花が咲き、秋の紅葉シーズンは借景の草木が色づき季節ごとにいろんな表情が楽しめます。

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京都は黄砂がピークの4月中旬頃は、山がかすんで見える日が多いので、比叡山をきれいに見たい場合は、暑いですが8月中旬はオススメです!

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2.狩野山楽の襖絵・障壁画:重要文化財


(上記図の水色部分が拝観時に見られる障壁画)

  • 狩野山楽の障壁画
    ・「西湖の図(山水図)」58面

    ・違い棚天袋「菓子の図」4面
    →落款はないが山楽の作品として重要文化財に指定されている
    →1997年(平成9年)から美術院国宝修理所で4年がかりの修復を実施

    →江戸初期(慶長10年・1605年頃)に伏見城本丸御殿の修理時に徳川家康が発注
    ※正伝寺の本堂(方丈)は伏見城の「御成殿」と呼ばれる広間を移築して使用

正伝寺の2番の見どころは、狩野山楽が描いた本堂(方丈)内の障壁画です。

重要文化財の襖絵などが間近で見られます。

上の図のAには複数の四角い色紙絵を貼った作品が置かれてますが作品名不明です。

Bには絵の線がお経の文字になっている辯栄上人べんねいじょうにんが描いた「大涅槃図だいねはんず」があります。

涅槃図の前には虫メガネが用意されているので線のお経の文字を確かめることができます。

なお、辯栄上人はおそらく浄土宗の僧侶・山崎弁栄やまざきべんねい(1859~1920)のことだと思われます。

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2024年の8月にうかがった際は、室中と礼の間の間の襖は取り外されていました。「礼の間」の奥の部屋の右側にL字型に襖が展示されていたので、これが取り外されている襖だと思われます。上の図のBの部分は、大涅槃図が展示されているので残念ながら襖絵が見えません。

正伝寺の本堂(方丈)は伏見城の「御成殿」と呼ばれる広間を移築して使用しているため、障壁画が狩野派のものとなっています。

本堂(方丈)内は、お城の広間だっただけあり帳台構があったり、違い棚の金具に葵の紋があったりで見ごたえありです。

障壁画の写真をもっと見る

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狩野山楽の作品でこれほど大展開で描かれたものは稀とのことで、美術史上からみても非常に貴重な遺品だそうです。仏間には狩野山楽の「草花の図」3面があるそうですが残念ながらこちらは見られません。

狩野山楽かのうさんらく(1559-1635年)
安土桃山時代から江戸時代初期の狩野派の絵師。狩野一族ではなく16歳の頃に父の君主豊臣秀吉の推薦で狩野永徳の門下に入り改姓。豊臣秀吉・秀頼父子の2代に渡り絵師として仕えた。豊臣家滅亡後、残党狩りの対象となるが九条家や徳川秀忠の助命活動により救われる。その後は徳川家の仕事にも従事。江戸へ移った狩野派と疎遠になり、京都に留まり「京狩野」の祖となる。
■帳台構
書院造の上段の間(框によって床を高くした座敷)に設けられる装飾的な出入り口

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3.「血天井」:自害した徳川武士の供養

  • 血天井
    →伏見城の戦いで自害した徳川の武士380余名の血がしみついた床板を供養の為に天井に張り替えたもの
    →血天井(伏見城の床板)は京都府7寺院にあり正伝寺はそのひとつ
    ※正伝寺の本堂(方丈)は伏見城の「御成殿」と呼ばれる広間を移築して使用

正伝寺のみどころ3番目は「血天井」です。

「血天井」を初めて知る方も多いかもしれませんが、京都には伏見城の戦いで自害した武士の血が染みついた床板を天井に張り替え、供養している寺院が8カ所あります。

正伝寺はそのひとつです。

上の画像の右側の白黒写真の赤丸部分が血の付いた手の後なのですが、このような跡が天井のいたるところにあります。

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血天井がある7寺院のうち拝観可能な5寺院すべてに行きましたが、正伝寺の血天井は”指先の腹”のようなものが多く、ぱっと見ではどこが血の跡がよくわからないかもしれません。赤黒くなっている部分のうち、指の後みたいなところを探してみてください。

■血天井
主に日本の戦国時代の武将が戦いで絶命した際の血痕が付いた建物の床板・縁板を、供養などのため天井に張り替えたもの。
■伏見城の戦い
1600年8月26日(慶長5年7月18日)から1600年9月8日(8月1日)まで行われた豊臣VS徳川の戦い。関ヶ原の戦いの前哨戦ぜんしょうせん

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正伝寺の血の跡は、血液学の権威・古畑種基博士(1891~1975年)が調査し人間の血液であることを鑑定したという話が見受けられますが、紹介している記事により内容にばらつきがあり、正式な文書は見つけられませんでした。

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4.「本堂(方丈)」:伏見城の広間「御成殿」の移築

  • 本堂(方丈):重要文化財
    →伏見城の広間「御成殿」を承応2年(1653年)に移築
    →元聚楽第邸舎の一部が伏見城に移築され、南禅寺塔頭の金地院に移された後に正伝寺へと移建された
    →構造は桁行けたゆき三間、梁間はりま四間、単層、屋根は入母屋造いりもやづくり杮葺こけらぶき

正伝寺の見どころ3番目は本堂(方丈)です。

伏見城は、もともとは元聚楽第邸舎の一部で、それがが伏見城に移築されたのち、南禅寺塔頭の金地院に移された後、承応2年(1653年)に正伝寺に移築されて本堂(方丈)となりました。

なお、伏見城は、現在の京都市伏見区の桃山丘陵にあったお城で、豊臣秀吉が2回、徳川家康が1回の合計3回築城されています。

本堂(方丈)には、障壁画以外にも拝観ポイントがいくつかありますが現地に説明書きなどはないのでこちら↓をみながらぜひチェックしてみてください。

【本堂(方丈)の拝観ポイント】

  1. せみとしがね
    →本堂(方丈)正面の中央の扉(双折両開桟唐戸もろおりりょうびらきさんからど)の下のあたりにある金具(落とし金)に蝉のデザインが施されている
  2. 欄間らんまのネズミ通し
    →欄間の端にねずみが通れる穴がデザインとして施されている
    →ネズミが欄間をかじらないようにするための対策(殺生をしない工夫でもある)
  3. 方丈の扁額へんがく
    →張則之筆

残念ながら建物の写真撮影はNGなので、正伝寺の冊子にあった写真を紹介します。

左:扁額 右:蝉の落とし金 欄間のネズミ通し(赤丸部分)
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扁額以外は家に帰って冊子を呼んでから知ったで次回訪問時にしっかり見てきたいと思います!

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見どころ(無料エリア)

1.鐘楼

鐘楼はいつごろのものなど詳細が冊子やパンフレットにも書かれていないので不明です。

2.八幡宮

正伝寺の三門を入ってすぐの駐車場の奥に八幡宮があります。

お時間ある方はぜひお詣りしてみてください。

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お社の隣には池があったので弁才天が祀られてるのかな?と思いながら見に行くと八幡宮でした。お社の台座の石組がとても美しかったです。八幡宮のエリアにはたくさんの灯篭が置かれていました。変わった形の灯篭もありなかなか興味深かったです!

八幡宮の写真をもっと見る

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3.随所に置かれたミニタヌキ

↓庭園の塀部分にある門(北門)前のタヌキ ↓トイレ前の手水鉢とタヌキ
↑庭園北側壁植え込みのタヌキ(庭園の外) ↑唐門横のタヌキ(庭園の外)

正伝寺には門や植え込みの中に狸の置物が潜んでいます。

小さくて顔立ちが愛らしい子がいるのでお時間ある方がぜひ探してみてください。

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御朱印・授与品

御朱印(種類・値段・場所・受付時間)

種類と値段

正伝寺 御朱印
文字 佛心
値段 300円
タイプ 直書き

正伝寺の御朱印は1種類で「佛心」です。

読み方は「ぶっしん」で「仏のように慈悲深い心」という意味です。

右上の朱印は前住職・山崎伝宗さんが描かれた「托鉢たくはつ」のイラストで、お坊さんが日本髪で着物姿の女性からお布施を受け取ってるシーンだと思われます。

本堂(方丈)の「礼の間」に前住職が描かれた「托鉢たくはつ」の絵の欄間額がありました。

托鉢たくはつ:禅宗寺院の修行僧が行う修行のひとつ。主に早朝に近隣の街中をめぐり、お布施をしたい人が現れれば、ただそれを受け取る修行。

欄間額らんまがく:和室の欄間のスペースを飾る額

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御朱印の当て紙にも托鉢のイラストがかかれていました。(上の写真朱印帳の左側)可愛いです。ちなみに京都では南禅寺周辺で早朝に「オー」言って歩くお坊さんの姿が見られるようです。親戚が東山に住んでいて朝に来るからお布施するよといってました。ちなみに正伝寺は南禅寺派です。

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朱印所の場所と受付時間

正伝寺 御朱印
場所 拝観受付
受付時間 9:00~17:00

正伝寺さんの御朱印がいただける場所は拝観受付になります。

来訪者が少ないので、誰もいないときは入口の鐘を2階鳴らします。
実際の鐘は↓こちら。

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京都のお寺では鐘を鳴らすスタイルがよくあります。初めて鳴らすときはドキドキしますが、常識の範囲で勢いよく鳴らしましょう!余談ですが、お寺は何か行事などがあるときは鐘で合図する習慣があります。

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授与品(種類・値段・受付時間)

正伝寺 授与品
絵葉書 値段不明
正伝寺冊子「正伝寺とその文化財」 1,000円
格付け(木製のストラップ) 1,000円
※柄3種
本金しおり 2,000円(虎柄)
※伊藤若冲が模写をしにきた虎の絵がモチーフ

残念ながら写真を撮ってこれませんでしたが、正伝寺さんでは上記の授与品が販売されています。

販売場所は、本堂(方丈)と拝観受付の間のスペースにある棚です。

【参考】伊藤若冲が模写しにきた虎の絵

伝・李龍眠りりゅうみん「猛虎図
中国・北宋の画家・李龍眠の筆と伝わる虎の絵。(朝鮮絵画説もあり)
伊藤若冲が当時日本に虎がいないためこの絵を模写した。正伝寺の虎の絵より若冲の「虎図」の方が有名になる。
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正伝寺さんの授与品のデザインに虎が使われているので、ご住職にこの虎はなんですか?と聞いたところ、正伝寺さんには伊藤若冲が模写をしにきた中国の虎の絵があるそうです。現在は、博物館で保管しているため本物は拝観時に見ることはできません。印刷物が授与品の見本と一緒に飾られています。

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歴史・由緒

  • 臨済宗南禅寺派の諸山の格式を持つ寺で山号は吉祥山
    →諸山は五山制度に基づく寺格のひとつ
  • 本尊は釈迦如来
  • 鎌倉時代の1273年(文永10年)に東巌慧安禅師とうがんえあんぜんじが師の兀庵普寧ごつたんふねいを開山として、烏丸今出川に祭殿を建立したのが始まり
  • 兀庵普寧の正伝の額を揚げたことから「正伝寺」と称された
  • 鎌倉時代の1323年(元亨3年)に後醍醐天皇の勅願所となる
    →勅願所は天皇の命令によって国家鎮護・玉体安穏などを祈願する社寺
  • 鎌倉時代の1283年(弘安5年)に賀茂社の社家しゃけ 森経久の援助を受け現在地に移る
    →社家は代々神社の神職を務める家
  • 室町時代 の1340年(興国元年/暦応3年)に足利義満の祈願所となり、十刹に加えられる
  • 室町時代の1467~1477年の応仁の乱の兵火により荒廃
  • 豊臣秀吉が天下統一後、桃山時代の1585年(天正13年)に再興をはかるが果たされず
  • 徳川家康の援助を受け金地院祟伝こんちいんすうでんにより復興

現在の正伝寺は、本堂(方丈)と庭園、庫裡、鐘楼のみですがかつてはもっとお堂が建っていたようです。

東巌慧安とうがんえあん(1225-1227):鎌倉時代中期の臨済宗の僧
兀庵普寧ごったん ふねい(1197-1276):鎌倉時代中期に南宋から渡来した臨済宗の僧

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拝観ルートに沿って写真で紹介

三門から中門

こちらが正伝寺の山門です。
8月中旬にいったのでサルスベリが咲いていますね。

三門左側には、お寺の由来が書かれています。

山門をくぐったら直進します。

じゃりみちになっても直進です。

分かれ道になったら「参道←」と書いた看板に従って左に曲がります。

曲がると門があるので直進します。
この門の前で左側を見ると八幡宮のお社が見えます。

こちら↑の中門の年代や詳細はパンフや冊子を見ても不明でした。

八幡宮にも拝観後にぜひ立ち寄ってみてください。

中門から拝観受付

中門をくぐるとすぐに小さな橋があり、緩やかな階段が続きます。

階段の左側にはお地蔵さん↑がいます。

お地蔵さんを通り過ぎ階段を上まであがります。
階段1段1段の幅が広いので登りは、階段右側の坂を上がる方が楽でした。

他のお寺(知恩院)で階段の幅を馬の幅に合わせて広くしていると聞いたことがあるので、もしかしたら正伝寺の階段も馬の歩幅に合わせているかもしれません。

階段を上がりきると道が二手に分かれますが、進行方向と同じ方向に歩きます。

上の写真では分かりにくいですが「<墓地 本堂>」と書かれた看板がたっているのでそれを見れば迷わずいけます。

しばらく砂利道を直進します。

また道が2つに分かれるので、左の階段へ進みます。

階段上に建物が見えてきますが、こちらは正伝寺の庫裡くりです。

階段をのぼっていくと左手にダイナミックな石垣が現れます。

石垣の上のエリアには鐘楼があります。拝観後にこちらにもぜひ立ち寄ってみてください。

こういう石垣がある場所は、かつてお堂が建っていたと思われます。
どんなお堂がたっていたのか気になりますね。

階段を上がったら、目の前の建物(庫裡)に向かって進みます。

庫裡の手前で左側を見ると庭園の塀と北門が見えます。
北門前に何やら置物があるので近寄って見ましょう。

北門の前にラブリーなタヌキの置物がいました。

頭の赤い布はハチマキなのかリボンなのかどちらでしょうか?
木の彫り物が羽衣のようにも見えますね。

正伝寺の拝観受付は、庫裡の横の建物にあるので庫裡の前を左に進みます。

下駄箱が見えるのでそこまで進みます。

下駄箱に靴を預けます。
拝観人数が少ないので靴札などはありません。

靴を脱いだ後は、建物内の拝観受付に人がいるか確認しましょう。

もし、拝観受付に人がいなければ「拝観二打」とかかれた鐘↑を2回たたきます。

京都のお寺は人を呼ぶのに鐘をたたくシステムはよく使われます。
初めてだとドキドキするかもですがお寺の方に聞こえるようしっかり2回たたきましょう!

拝観受付を済ませたらそのまま直進し、本堂(方丈)に向かいます。
本堂と拝観受付の間には授与品の見本があるのでぜひ帰りにチェックしてみてください。

枯山水「獅子の児渡しの庭」

本堂(方丈)の広縁(廊下)に足を踏み入れると左側に枯山水庭園が広がります。

こちらの枯山水を写真で見ていた時は「ロックミュージシャンのデビットボウイが涙したそうだけど、そこまでいい庭なのか?」と思っていたのですが、かなり美しく心奪われました。

これまで京都の名だたる庭園を見てきましたが、こんなにも心奪われたのは初かもしれません。

雨どいの下にはオシャレな陶器↑が置かれていました。

京都の禅寺はどこにいってもお寺の中に置かれるものが洗練されていてオシャレな印象です。

こちら↑は広縁中央から庭を見た写真です。

2024年の8月半ばに行ったのですが、この日は天気がよく風も吹いていてとても心地よい空間でした。

普段は庭園をじっくり座ってみるタイプではないのですが、正伝寺の枯山水はそんな私も広縁に座って長い時間見つめてしまいました。

正伝寺の枯山水「獅子の児渡しの庭」は横に広く広縁(廊下)からの撮影ではすべてを収めることができないのが残念。
※本堂(方丈)の室内から庭を撮影するのはNGです

こちら↑は庭園左側にある北門です。
この裏に先ほどの赤いリボンをしたタヌキちゃんが置かれています。

広縁の奥側から見た庭園はこんな感じ。

庭園右奥にあるのは唐門です。

唐門から本堂(方丈)までは敷石があります。

さすが禅寺しっかり廃材を活用されています。

奥の山は比叡山です。
比叡山を見ると心が和むのはなぜでしょうか。

廊下の「血天井」


(建物は撮影NGなの、庭を撮影したときに写り込んだ天井の写真を選びました)

広縁(廊下)の上を見上げると、血天井があります。

下の画像の赤丸部分を見ていただきたいのですが、指先のあとが点々と残っているのが分かりますか?

正伝寺の血天井は、このような指の跡がたくさんありす。

血天井があるお寺は京都に8カ所あるのですが、お寺によって足跡や手形がくっきりしていたり、人が横たわっていた跡がくっきり残っていたりします。

正伝寺の場合、先ほど描いたような予備知識がないとどこが血の跡か分からないかもしれません。

私もどれが跡なのかわからず、ちょうどいらっしゃったご住職に質問した次第です。

本堂(方丈)の扁額と落とし金

本堂(方丈)内に入る前にぜひ、中央の扉で「蝉の落とし金」をさがしてください。

私は、家に帰ってからこの存在をしったので次回探そうと思います。

京都のお寺は扉の金具に虫や生き物の意匠が施されていることがあるので、行く先々で探してみるのも一興ですね。

ちなみに知恩院は、御影堂の大扉に亀、河童、蝉がいます。

本堂(方丈)狩野山楽の障壁画

本堂に入ると、狩野山楽の障壁画「西湖の図(山水図)」があります。

西湖は現在の中国浙江省杭州市の西に位置する湖のことです。

拝観の為に一部の襖をあけたり、取り外しているので上の図のように一枚の絵のように見えるところは少ないですが、重要文化財の本物を間近でじっくり見ることができます。(2024年8月10日現在)

こちら↑は本堂(方丈)の右側手前の部屋「礼の間」の障壁画「西湖の図(山水図)」です。

「礼の間」の奥には違い棚があり、上部の戸袋が狩野山楽の「菓子の図」です。

違い棚がある部屋には入れないので薄暗い中目を凝らしてみることになります。

「草木が描かれているのでなぜ菓子?」と思って調べてみました。

菓子には「食事以外に食べる嗜好本位の食べ物。多くは甘い。」とあり、他の寺院に「菓子図」と名がつく果物と野菜が描かれた天袋があったので、桃山時代の果物などが描かれてるようです。

違い棚には葵の紋がデザインされています。

納戸もお伝えしていますが、正伝寺の本堂(方丈)は、伏見城の広間「御成殿」を移築したものです。

伏見城はもともと豊臣秀吉がつくり、伏見城の戦い以降に徳川家康が再建しています。
その際に秀吉の桐紋はすべて葵の紋に変えられたそうです。

こちら↑は仏間の前の障壁画「西湖の図(山水図)」4面です。

正伝寺の冊子には↑このように4面で掲載されていますが、実際の拝観の際には中央の2枚が開いて↓のようになっています。

仏間の中央には、本尊の阿弥陀如来像が安置されています。

同じく仏間には、開山かいさん兀庵普寧ごつたんふねいの木像と創立者の東巌慧安とうがんえあんの木像も安置されています。

ただ、仏間近くで下からのぞき込まないと見えず、中も暗いので良くわかりませんでした。

開山かいさん:寺院を創始した僧。

↑こちらは本堂(方丈)の左奥の部屋の帳台構ちょうだいがまえ「西湖の図(山水図)」4面です。

こちらの部屋も中には入れないので薄暗い部屋を覗き見る形になります。

帳台構ちょうだいがまえ
書院造の上段の間(框によって床を高くした座敷)に設けられる装飾的な出入り口

なお、正伝寺の本堂(方丈)は伏見城の広間「御成殿」を移築しているので、書院造に設けられる帳台構があります。

こちらは本堂(方丈)の左手前の「檀那の間」にある「西湖の図(山水図)」4面です。

本堂(方丈)の中に入ったら、ぜひ欄間の左右の端に空いた穴「ネズミ通し」もチェックしてください。

ネズミに欄間をかじられないための工夫です。殺生せず共存する工夫でもあります。

鐘楼へ

庭園や障壁画を堪能したら、けいだい散策がオススメ。

まずは、庫裏の前の階段の途中にある石垣の上に鐘楼を見に行きます。

階段の途中に↑このような入り口があるので中に入ります。

石畳の横には鉢に入った水と水草がありました。
蛙がかわいいです。

こちらが、正伝寺の鐘楼です。
いつ頃に造られたものなのかは、パンフレットでも購入した冊子にも書かれていないので不明です。

瓦屋根ではないので古そうですね。

鐘はこんな感じ。

鐘楼の周りをぐるっと回って、階段に戻ります。

八幡宮めざして参道をくだる

鐘楼の次は、三門横の駐車場の奥にある八幡宮を目指し階段をおります。

見事な石垣です。きっとかつては大きなお堂が建っていたのでしょう。

階段を下りて砂利道を下っていきます。

行きはきづきませんでしたが灯篭がありますね。

京都の神社仏閣には結構古い灯篭がさらっと置いてあるので、ねんのため写真におさめました。

砂利道を進んだら、中門に続く階段をくだります。

中門をくぐったら、砂利道を進み最初の三門の方まで下ります。

駐車場が見えたら、中に入り上の矢印の方向に進みます。

八幡宮と書かれた灯篭があるのでそちらに進みます。

八幡宮のお社が見えました。

八幡宮

こちらが八幡宮です。

台座の石組がとても美しいです。

参拝するために立つポジションの石大きくなっているのがまたいいですね。

お社の周りをぐるっと回るとこんな感じ↓。

八幡宮があるエリアには、いろんな灯篭や蹲踞が置かれていました。

           

個人的にはこちらの灯篭が変わっていて印象的でした。

三門へ戻る

八幡宮もお参りしたので、三門に戻ります。

駐車場の入り口にも灯篭がありました。

以上が、拝観ルートに沿った正伝寺の紹介でした!

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拝観レビュー

行ってよかったこと

  1. とにかく枯山水の美しさに感動
    →写真と実物のギャップがすごい!
    →デビットボウイが涙したのも分かる!
  2. 貸し切り状態で静寂を堪能できた
    →私の滞在時間に渡し含め3組だけ、一人だけの時間の方が長かった
  3. 狩野山楽の障壁画が間近で見られた
    →重要文化財になると室外から見る場合も多いが室内でじっくりみられた

正伝寺は、マニアックな方しか来ないお寺なので人が少なくゆっくり拝観できて最高でした。

枯山水の「獅子の児渡しの庭」は、事前に見ていた写真とは比べ物にならないくらい美しく、デビットボウイが涙したと言われるのも納得でした。

京都にある枯山水はもう数えるのが大変なくらいみてきましたが、1番心を奪われた庭園です。

この庭の真の素晴らしさは、実際にその場に行った方にしかわからないものだと思った次第です。

京都の寺院にある障壁画が複製へと差し替えられる中、本物の狩野山楽の作品を間近で見られたのもよかったです。

行って残念だったこと

  1. 狩野山楽の障壁画前に別の作品「大涅槃図」が展示されている
    →展示方法を工夫いただきたかった

せっかく本物の狩野山楽の作品を間近で見られる機会なので、大涅槃図は別の場所に展示していたければうれしかったな。と感じたのが残念な部分です。

とはいえ、500円で重要文化財の60面近い襖絵が見られ、庭の美しさに感動したので行って大満足です!

トイレ情報

外観写真とトイレの数など

  • 水洗ではなく汲み取りトイレ(ぼっとん便所)
  • トイレットペーパーあり
  • 男性用:2個(便器を隠すものがない状態)
  • 個室:和式1個、洋式1個(和式に洋式便座をかぶせたタイプ)
Kico
Kico
京都の来訪者が少ないお寺あるあるですが、昔ながらの男性用トイレは丸出しで個室のトイレも汲み取り式(ぼっとん便所)タイプです。このタイプだとトイレに行くのを躊躇しますが、正伝寺の周辺はトイレを借りられる施設(コンビニやスーパー)が少ない住宅地です。一番近いスーパーが三門から7分ほどのエムジーショップ西賀茂店です。喫茶店やカフェも少ないのでここで行くしかない感じですね。

トイレの場所

トイレの場所は、庫裏に向かって右側です。

拝観受付を出てまっすぐ進んで右手に「東司(お手洗い)」の看板があります。
実際には↓こんな感じ。

交通アクセス

最寄り駅

正伝寺 最寄り駅
バス 市バス「光神院前」下車、徒歩約15分
※市バス1・9・37番のいずれか
※上記は山門までの分数で、山門から拝観受付まではプラス約6分
住所 京都府京都市北区西賀茂北鎮守菴町72

■市バス1番:出町柳駅、下賀茂神社前、大徳寺、健勲神社などに停車するバス
→北大路バスターミナル(地下鉄北大路)も通る

■市バス9番:京都駅、西本願寺、二条城、清明神社など有名寺社前に停車するバス
→上賀茂神社から徒歩約10分の「上賀茂御薗橋かみがもみそのばし」も通る
■市バス37番:三条京阪、四条京阪、四条河原町、北大路バスターミナル(地下鉄北大路)など主要な駅に停車するバス
→上賀茂神社から徒歩約10分の「上賀茂御薗橋かみがもみそのばし」も通る
※バスのルートが変更になる可能性もあるのでお出かけ前に公式情報ご確認ください。

正伝寺から近い鉄道駅は地下鉄「北大路駅」か「北山駅」ですが、駅から徒歩だと40分くらいの距離があります。

地下鉄「北大路駅」であれば、市バスの37番か1番に乗れば「神光院前」まで行けるので、来た北大路駅のバス停からバスに乗って18分、そこから徒歩約15分で正伝寺です。

下鴨神社に近い「出町柳」から市バスの1番に乗っても「神光院前」まで行けます。

なお、市バス9番は京都駅、西本願寺、二条城、清明神社など有名寺社前に停車するバスです。

最寄りバス停からの道案内(写真付)

こちらの記事をご覧ください。

正伝寺の行き方・アクセス|最寄りバス停「光神院前」から山門、山門から拝観受付まで小堀遠州作の枯山水で有名な「正伝寺」の最寄り駅・市バス「光神院前」からのルートを写真付を使って紹介します。 バス停から正伝寺までは...

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周辺のオススメスポット

世界遺産・上賀茂神社

正伝寺の最寄りのバス停「神光院前」から9番の市バスで2つ京都駅側に戻った「上賀茂御薗橋」で降りれば、徒歩10分で上賀茂神社です。

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