今も人気の高い昭和の作庭家・重森三玲が京都で作庭・修復した庭22スポットの公開情報をまとめました!
各スポットをお寺、神社、美術館や邸宅で分けた一覧と、各スポットの庭園を写真で紹介しています。
京都で重森三玲の庭園めぐりをされる方の参考になれば幸いです!
では、目次を開いて気になる項目から読み進めてください。
- 一覧(所在地・作庭年・公開時期・拝観料)|重森三玲・京都
- 1.東福寺(東山区)|重森三玲の庭・京都
- 2.光明院・東福寺塔頭(東山区)|重森三玲の庭・京都
- 3.芬陀院・東福寺塔頭(東山区)|重森三玲・京都
- 4.霊雲院・東福寺塔頭(東山区)|重森三玲・京都
- 5.龍吟庵・東福寺塔頭(東山区)|重森三玲・京都
- 6.泉涌寺(東山区)|重森三玲・京都
- 7.善能寺・泉涌寺塔頭(東山区)|重森三玲・京都
- 8.瑞峯院・大徳寺塔頭(北区)|重森三玲・京都
- 9.正伝寺(北区)|重森三玲・京都
- 10.光清寺(上京区)|重森三玲・京都
- 11.真如院(下京区・堀川五条)|重森三玲・京都
- 12.正徳寺(丹後市)|重森三玲・京都
- 13.松尾大社(西京区)|重森三玲・京都
- 14.貴船神社(左京区)|重森三玲・京都
- 15.石清水八幡宮(八幡市)|重森三玲・京都
- 16.重森三玲邸庭園美術館(旧重森邸)(左京区)|重森三玲・京都
- 17.竹中邸(左京区)|重森三玲・京都
- 18.浅野邸(北区)|重森三玲・京都
- 19.八木邸(東山区)|重森三玲・京都
- 20.田茂井邸(丹後市)|重森三玲・京都
- 21.河田邸(丹後市)|重森三玲・京都
- 22.四方邸(海印山荘)(長岡京市)|重森三玲・京都
- 作庭・修復年表(京都版)|重森三玲・京都
- おすすめ本|重森三玲
一覧(所在地・作庭年・公開時期・拝観料)|重森三玲・京都
【一覧】お寺の庭園
社寺名 (所在地) |
庭園名・ 作庭/復元年 |
公開時期・ 拝観料 |
1.東福寺 (東山区) ⇒詳細へ |
・方丈庭園「八相の庭(東福寺本坊庭園)」 →1939年(昭和14)作庭・枯山水 →方丈の東西南北4か所 ※重森の代表作 |
【通年公開】 大人:500円 小人:300円 |
・開山堂・普門院前庭「常楽庵庭園」 ※市松模様庭園の着想得た庭園 →1939年(昭和14)修復・池泉鑑賞式と枯山水の2つの庭 |
【通年公開】 大人:600円 小人:300円 ※11/11-12/3は金額UP |
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2.光明院・ 東福寺塔頭 (東山区) ⇒詳細へ |
・主庭「波心庭(波心の庭)」 →1939年(昭和14)作庭・枯山水 |
【通年公開】 300円 |
・前庭「雲嶺庭」 →1962年(昭和37)作庭・枯山水 |
【通年公開】 無料 |
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3.芬陀院 ・東福寺塔頭 (東山区) ⇒詳細へ |
・南庭「鶴亀の庭」 →1939年(昭和14)復元修復・枯山水 ※雪舟(1420~1506年)の作庭 |
【通年公開】 大人:500円 小人:300円 |
・東庭 →1939年(昭和14)作庭・枯山水 |
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4.霊雲院 ・東福寺塔頭 (東山区) ※オススメNo2 ⇒詳細へ |
・書院前庭「九山八海の庭(霊の庭)」 →1970年(昭和45)復元修復・枯山水 ※「都林泉名勝図会」に従って修復 |
【通年公開】※不定期 大人:500円 中学生:300円 ※12歳以下の拝観不可 |
・書院西庭「臥雲の庭」 →1971年(昭和46)作庭・枯山水 |
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5.龍吟庵 ・東福寺塔頭 (東山区) ※オススメNo3 ⇒詳細へ |
・方丈西庭「龍門の庭(西庭)」 →作庭:1964年(S39)・枯山水 |
【春と秋の特別公開】 大人:500円 小中学生:300円 |
・方丈東庭「不離の庭」 →作庭:1964年(S39)作庭・枯山水 |
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・方丈南庭「無の庭」 →1964年(S39)作庭・枯山水 |
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6.泉涌寺 (東山区) ⇒詳細へ |
・妙応殿(錬成道場前)庭園「仙山庭」 →1973年(S48)年作庭・枯山水 |
【原則非公開】 ※妙応殿で華道展などのイベント開催時に見学可能 |
7.善能寺 ・泉涌寺塔頭 (東山区) ⇒詳細へ |
・「遊仙苑」 →1972年(昭和47)作庭・池泉回遊式 ※現在は漏水で涸池 |
【通年公開】 無料 |
8.瑞峯院 ・大徳寺塔頭 (北区) ⇒詳細へ |
・方丈南庭「独坐庭」 →1961年(昭和36)作庭・枯山水 |
【通年公開】 400円 |
・方丈北庭「閑眠庭(十字架の庭)」 →1961年(昭和36)作庭・枯山水 |
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・方丈西庭「露地庭」 →1961年(昭和36)作庭 |
作り替えられ現存せず | |
9.正伝寺 (北区) ※オススメNo1 ⇒詳細へ |
・方丈庭園「獅子の児渡し庭園」 →1935年(昭和10)補修・枯山水 ※補修=後から足された石を取り除く ※補修年が書籍により異なる |
【通年公開】 大人:500円 中学生:300円 小学生:200円 |
10.光清寺 (上京区) ⇒詳細へ |
・方丈前庭「心和の庭」 →1967年(昭和42)・枯山水 |
【春と秋の特別公開】 大人:800円 小中高生:400円 ※スマホ以外で撮影したい場合2000円 |
・庫裏前庭「心月庭」 →1974年(昭和49)・枯山水 |
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11.真如院 (下京区) ⇒詳細へ |
・本堂前庭「真如院庭園」 →1961年(昭和36)移築復元・枯山水 ※寺院移転時「都林泉名勝図会」に従って修復 |
【秋の特別公開】 600円 |
・三門横の小庭(2か所) →おそらく1961年(昭和36)作庭・枯山水 |
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12.正徳寺 (丹後市) ⇒詳細へ |
・山門前庭園 →作庭年不明 ※前住職により石組が改修された |
【通年公開】 境外のため無料 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
※作庭・復元年は「重森三玲庭園の全貌(田中勝康・著)」「シリーズ京の庭の巨匠たち1重森三玲」や各スポットのパンフレットの情報をもとに記載しています。
■都林泉名勝図会
1799年(寛政11年)刊行された京都の名庭園を紹介したガイドブック。文章を京都の俳諧師・秋里籬島が担当し、挿絵を絵師の佐久間草偃、西村中和、奥文鳴の3人が描いた。全5巻・1巻は上下巻の2冊。
【庭園の呼び方の違い】
・枯山水庭園:水を一切使わず砂や石、苔だけで山や水の景色を表現した庭園の呼び方
・石庭:枯山水庭園のいちジャンル(植物を使わずに石や砂、岩で造った庭の呼び方)
・池泉式庭園:池を中心的な要素とした庭園の呼び方
・池泉鑑賞式庭園:書院などの建物に座って眺める池泉庭園のの呼び方
・池泉回遊式庭園:物内から眺めるのではなく実際に歩き回遊して鑑賞する池泉庭園の呼び方
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【一覧】神社の庭園
社寺名 (所在地) |
庭園名・ 作庭/復元年 |
公開時期・ 拝観料 |
13.松尾大社 (西京区) ※重森三玲の遺作 ⇒詳細へ |
・松風苑三庭①「曲水の宴」 →1975年(昭和50)作庭・池泉式 |
【通年公開】 大人:500円 学生:400円 小人:300円 ※庭園・神像館共通拝観券 |
・松風苑三庭②「上古の庭(磐座の庭)」 →1975年(昭和50)作庭・石庭 ※重森三玲の遺作 |
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・松風苑三庭③「蓬莱の庭」 →1975年(昭和50)設計・池泉式 ※完成前に他界したため施工は長男(完途) |
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・「即興の庭」 →1975年(昭和50)作庭・石庭 ※当初の予定になかった庭 |
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14.貴船神社 (左京区) ⇒詳細へ |
・石庭「天津盤境の庭」 →1965年(昭和40)作庭・石庭 |
【通年公開】 無料 |
15.石清水八幡宮 (八幡市) ⇒詳細へ |
・社務所書院前「書院石庭(社務所の庭)」 →1952年(昭和27)作庭・枯山水 |
【予約日か11月の第3土・日*】 無料 *11月は八幡市主催「秋の文化財一斉公開」開催日 |
・三の鳥居参道両脇「鳩峯寮の庭」 →1966年(昭和41)作庭・石庭 |
【通年公開】 無料 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
※作庭・復元年は「重森三玲庭園の全貌(田中勝康・著)」「シリーズ京の庭の巨匠たち1重森三玲」や各スポットのパンフレットの情報をもとに記載しています。
【庭園の呼び方の違い】
・枯山水庭園:水を一切使わず砂や石、苔だけで山や水の景色を表現した庭園の呼び方
・石庭:枯山水庭園のいちジャンル(植物を使わずに石や砂、岩で造った庭の呼び方)
・池泉式庭園:池を中心的な要素とした庭園の呼び方
・池泉鑑賞式庭園:書院などの建物に座って眺める池泉庭園のの呼び方
・池泉回遊式庭園:物内から眺めるのではなく実際に歩き回遊して鑑賞する池泉庭園の呼び方
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【一覧】個人宅・美術館の庭園
邸宅名 | 庭園・ 作庭/復元年 |
公開時期・ 拝観料 |
16.重森三玲庭園美術館・旧重森家 (左京区) ⇒詳細へ |
・「無字庵庭園」(書院前/書院東・茶室好刻庵前) →書院前:1970年(昭和45)作庭・枯山水 →書院東・茶室好刻庵前:1960年代 ・「坪庭」 →1969年(昭和44) ・「前庭」 →作庭年不明 |
【通年公開】 1000~1500円 ※事前予約 ※料金は時期により変動 |
17.竹中邸 (左京区) ⇒詳細へ |
・竹中邸庭園 →1970年(昭和45)作庭・枯山水 |
【非公開】 - |
18.浅野邸 (北区) ⇒詳細へ |
・浅野邸庭園 →1967年(昭和42)作庭 |
【非公開】 - |
19.八木邸 (東山区) ⇒詳細へ |
・八木邸庭園 →1974年(昭和49)作庭 |
【非公開】 - |
20.田茂井邸 (田勇機業株式会社) (丹後市) ⇒詳細へ |
・「蓬仙壽(蓬仙寿)の庭」 →1970年(昭和45)作庭・枯山水 |
【通年公開】 無料 ※事前予約 ※工場見学と合わせて庭園の見学が可能 |
・田茂井邸庭園 →1959年(昭和34)作庭 |
【非公開】 - |
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21.河田邸 (丹後市) ⇒詳細へ |
・河田邸庭園 →1955年(昭和30)作庭・枯山水 ※元の庭にあった石を使い作庭 |
【非公開】 - |
22.四方邸(海印山荘) (長岡京市) ⇒詳細へ |
・四方邸(海印山荘)庭園 →1934年(昭和9)作庭・枯山水 ※家主が第7代・小川治兵衛に発注したが途中で他界したため設計図と材料を元に重森が仕上げた |
【非公開】 - |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
※作庭・復元年は「重森三玲庭園の全貌(田中勝康・著)」「シリーズ京の庭の巨匠たち1重森三玲」や各スポットのパンフレットの情報をもとに記載しています。
【庭園の呼び方の違い】
・枯山水庭園:水を一切使わず砂や石、苔だけで山や水の景色を表現した庭園の呼び方
・石庭:枯山水庭園のいちジャンル(植物を使わずに石や砂、岩で造った庭の呼び方)
・池泉式庭園:池を中心的な要素とした庭園の呼び方
・池泉鑑賞式庭園:書院などの建物に座って眺める池泉庭園のの呼び方
・池泉回遊式庭園:物内から眺めるのではなく実際に歩き回遊して鑑賞する池泉庭園の呼び方
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1.東福寺(東山区)|重森三玲の庭・京都
方丈庭園「八相の庭(東福寺本坊庭園)」【通年公開】
方丈庭園「八相の庭(東福寺本坊庭園)」 | |
南庭 | 西庭「井田の庭(井田市松)」 |
・方丈前庭園には白砂を使うというルールに基づき、古典的である枯山水をモダンにデザイン | ・伝統的な市松模様を立体的にデザイン |
東庭「北斗七星の庭」 | 北庭「小市松」 |
・日本庭園史上初めての星座を表現 | ・伝統的な市松模様のデザイン |
- 東福寺の方丈庭園は重森三玲の名を世に知らしめた代表作
- 重森三玲が43歳の1939年(昭和14年)に方丈の東西南北4つの庭を作庭
- 2014年(平成26)国指定名勝に登録され、名称が「東福寺本坊庭園」となる
重森三玲が43歳の1939年(昭和14年)に作庭された庭園で、重森三玲の代表作として知られている。
東福寺からは重森三玲に、禅の教え(一切の無駄をしてはならない)に基づいた「方丈内の廃材をすべて使うこと」というお題が提示されるなか作庭した。
4つの庭はこちら↓のような配置になっています。
(画像引用元:東福寺公式サイトキャプチャ)
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開山堂・普門院前庭「常楽庵庭園」【通年公開】
常楽庵庭園:開山堂側 | |
・4月〜5月頃にはサツキの花が咲く ・重森三玲の庭ではめずらしい池泉鑑賞式 ・池の中には亀島や枯滝が配置されている |
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常楽庵庭園:普門院側 | |
・白砂の波紋が市松模様になっている ・この波紋から着想を得て重森三玲は本坊庭園に市松模様の庭を作庭 ・波紋で市松模様がつけられた砂地に鶴島と亀島代わりの石組みが配置されている |
- 江戸初期~中期に作庭された庭が昭和期に台風で荒廃したため1939年(昭和14年)に43歳の重森三玲が修復
- 普門院側の枯山水にある白砂の波紋が「八相の庭(東福寺本坊庭園)」の「市松模様」の着想の元となった
- 開山堂側の庭園は重森三玲にはめずらしい池泉鑑賞式
東福寺の「常楽庵庭園」は、江戸初期~中期に作庭された庭が昭和期に台風で荒廃したため、1939年(昭和14年)に43歳の重森三玲が修復しています。
東福寺「常楽庵庭園」の開山堂側の庭は、重森三玲には珍しい池泉鑑賞式。
東福寺「常楽庵庭園」の普門院側の枯山水の波紋(白砂の模様)は、東福寺のもう一つの庭「八相の庭(東福寺本坊庭園)」の「市松模様」の着想の元となっています。
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拝観(見学)方法
東福寺で重森三玲の庭園を拝観する場合共通拝観券がお得です。
東福寺 | 「八相の庭(東福寺本坊庭園)」 | 「開山堂(常楽庵)庭園」 |
公開期間 | 通年 | 通年 |
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拝観料 |
大人:500円 小人:300円 |
①秋季以外 大人600円、小人300円 ②秋季(11月11日〜12月3日) 大人1,000円、小人300円 |
【共通拝観券】 大人:1,000円、小人:500円 ※紅葉シーズンの11月11日~12月10日は共通券の販売停止 |
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公開内容 | 1.方丈 2.方丈庭園「八相の庭」(重森三玲作庭) →南庭、西庭「井田市松」、北庭「小市松」、東庭「北斗七星の庭」 |
次の2つのエリアが拝観対象になります 1.通天橋エリア ・通天橋 ・渓谷「洗玉澗」 ・愛染堂の外観 2.開山堂・普門院エリア ・開山堂(常楽庵)の外観 ・開山堂(常楽庵)前庭(重森三玲作庭) ・普門院の外観 |
庭園 | ||
拝観時間 | 【4~10月末】 9:00~16:00受付終了(16:30閉門) 【11~12月(第1日曜日)】 8:30~16:00受付終了(16:30閉門) 【12月(第1月曜日)~3月末】 9:00~15:30受付終了(16:00閉門) |
【4~10月末】 9:00~16:00受付終了(16:30閉門) 【11~12月(第1日曜日)】 8:30~16:00受付終了(16:30閉門) 【12月(第1月曜日)~3月末】 9:00~15:30受付終了(16:00閉門) |
最寄り駅 | ・京都市バス「東福寺」下車、徒歩約約10分 ・JR・京阪電車「東福寺」駅下車、徒歩約10分 ・京阪電車「鳥羽街道」駅下車、徒歩約8分 |
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住所 | 京都市東山区本町15丁目778 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
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2.光明院・東福寺塔頭(東山区)|重森三玲の庭・京都
主庭「波心庭(波心の庭)」【通年公開】
光明院・主庭「波心庭(波心の庭)」 | |
↑茶室側から見た波心庭 | ↑書院側から見た波心庭 |
↑本堂からみた波心庭 | ↑室内から見た波心庭 |
- 重森三玲が43歳の1939年(昭和14年)に東福寺の「八相庭」と並行して作庭
- 今まで枯山水庭園には使われてこなかった「洲浜模様」を最初に使った庭園
- 慈悲の心が放たれる世界を立石で表現
光明院の主庭「波心庭(波心の庭)」は今まで枯山水庭園には使われてこなかった「洲浜模様」を最初に使った庭園です。
洲浜(州浜)模様:河から運ばれてきた土砂が積もった洲によって入り組んだ形となった浜辺を文様化したもの。
庭園内には3組の三尊石があり、中央の三尊石から発せられた光線のライン上に石が組まれ、慈悲の心が放たれる世界を立石で表しています。
三尊石とは:日本庭園の石組の基本パターンで、中央に大きな石を、その左右に小ぶりの石を組み、釈迦三尊・阿弥陀三尊・薬師三尊を表す。
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前庭「雲嶺庭」【通年公開】
光明院・前庭「雲嶺庭」 | |
↑亀の背にのった三尊石 | |
↑するどく尖った青石の敷石 | ↑インカ風の敷石 |
- 主庭が作庭された1939年(昭和14年)から23年後の1962年(昭和37)、重森三玲66歳の時に作庭
光明院・前庭「雲嶺庭」 は、重森三玲が主庭の作庭をした1939年(昭和14)から20年以上経った、重森三玲66歳の1962年(昭和37)に作庭しています。
亀に乗った三尊石や鶴島があり、敷石も独特な形の石のものが使用されています。
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拝観(見学)方法
前庭は拝観受付より手前にあるので無料で見学はできますが、前庭には「摩利支天堂」があるので庭だけ見て帰るのではなく、摩利支尊天の参拝をして帰るのが良いですね。
光明院 (東福寺塔頭) |
主庭「波心庭(波心の庭)」 | 前庭「雲嶺庭」 |
公開期間 | 通年 | 通年 |
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拝観料 |
300円 | 無料 |
公開内容 | ・主庭「波心庭」(重森三玲作庭) ・本堂(方丈) ・書院 ・茶亭「蘿月庵」 |
・前庭「雲嶺庭」(重森三玲作庭) ・摩利支天堂 |
庭園 | ||
拝観時間 | 7:00~日没ごろ ※季節により変動 | |
最寄り駅 | ・京阪本線 「羽街道」駅下車、徒歩約6分 ・JR奈良線・京阪本線「東福寺」駅下車、徒歩約13分 ・京阪バス「十条相深町」下車、徒歩約8分 ・市バス「東福寺」駅下車、徒歩約17分 |
|
住所 | 京都市東山区本町15丁目809 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
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3.芬陀院・東福寺塔頭(東山区)|重森三玲・京都
南庭「雪舟庭園」【通年公開】
芬陀院・南庭「雪舟庭園」 | |
- 室町時代に雪舟が作庭したと伝わる庭が2度の火災で荒廃していたところ、東福寺と同時期の1939年(昭和14)に43歳の重森三玲が復元
- 壊された「鶴島」の復活と、石組が倒れていた「亀島」を修繕
- 2つの石のかたまりのうち、左が「鶴島」右が「亀島」
芬陀院の南庭「雪舟庭園」は室町時代応仁の乱以前に雪舟が作庭したと伝わる庭です。
雪舟(1420-1506年):日本の室町時代に活躍した水墨画家・禅僧(画僧)・作庭家
17世紀・18世紀に2度の火災で荒廃していたところを、東福寺と同時期の1939年(昭和14)に43歳の重森三玲が復元しています。
復元時は、1937年(昭和12)年に重森三玲が『日本庭園史図鑑』に収録するために行った芬陀院の実測と山口県の雪舟庭「常栄寺庭園」の実測資料を基にしています。
復元時には、東福寺内の一条家の墓地を拡大する際に壊された「鶴島」を新しい石を追加することなくよみがえらせ、倒れていた「亀島」の中心石も蓬莱山式石組に復元したとのこと。
なお、雪舟が作庭したと伝わる庭は「雪舟庭園」と呼ばれ全国に11ヶ所ありますが、京都では芬陀院だけです。
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東庭【通年公開】
芬陀院・東庭 | |
- 東福寺と同時期の1939年(昭和14)に43歳の重森三玲が新たに作庭
- 芬陀院内に散在していた石のみで作られた
- 東庭は鶴島を中心に構成
- 右に蓬莱連山
芬陀院の東庭は、東福寺と同時期の1939年(昭和14)に43歳の重森三玲が新たに作庭しています。
院内に散在していた石のみで作られています。
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拝観(見学)方法
芬陀院の「南庭・雪舟庭園」と「東庭」どちらも有料拝観エリアです。
拝観情報|芬陀院(東福寺塔頭)南庭「雪舟庭園」&東庭 | |
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公開期間 | 通年 |
拝観料 | 大人:500円 小人:300円 |
公開内容 | ・南庭「鶴亀の庭」(雪舟作庭/重森三玲復元) ・東庭(重森三玲作庭) ・本堂(方丈) ・茶室「図南亭」 |
庭園 | |
拝観時間 | 9:00~16:30 ※冬季は16:00まで |
最寄り駅 | ・JR奈良線「東福寺」駅下車、徒歩約10分 ・京阪電車「東福寺」駅下車、徒歩約10分 ・市バス「東福寺」下車、徒歩約10分 |
住所 | 京都府京都市東山区本町15丁目803 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
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4.霊雲院・東福寺塔頭(東山区)|重森三玲・京都
書院前「九山八海の庭」【通年・限定日公開】
霊雲院・「九山八海の庭(霊の庭)」 | |
↑庭園中央の「遺愛石」 | ↑庭園を右側から見た様子 |
↑庭園右端の様子 | ↑庭園右奥の様子 |
- 江戸時代中期に作庭されたのち荒廃
- 1970年(昭和45)に74歳の重森三玲が『都林泉名勝図会』に基づき復元
- 復元は霊雲院の第16代住職・世景峰和尚の熱望により実現
- 「九山八海の庭」の名称は重森三玲が名付け親
霊雲院の「九山八海の庭」は、重森三玲が74歳の1970年(昭和45)に『都林泉名勝図会』に基づき復元された庭で、元々は江戸時代中期に作庭され荒廃していました。
なお「雲霊院」はかつて「不二庵」という名前でした。
「九山八海の庭」の中心ある存在感のある石は「遺愛石」と呼ばれるもので、江戸時代の熊本藩細川家2代藩主・細川忠利とその息子・光尚から、7代目の住職・湘雪和尚に送られたものです。
「遺愛石」は「須弥山」の形をした台座に自然石が置いてあります。
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書院西「臥雲の庭」【通年・限定日公開】
霊雲院・「臥雲の庭」 | |
- 1971年(昭和46年)74歳の重森三玲が新たに作庭
- 二重の雲紋が施された庭園
霊雲院のもう一つの庭「臥雲の庭」は、重森三玲74歳の1971年(昭和46年)に作庭したものです。
二重兎の雲紋が特徴的です。
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拝観(見学)方法
霊雲院の「九山八海の庭(霊の庭)」と「臥雲の庭」は両方有料拝観エリアです。
他の寺院と違い、12歳以下は保護者同伴でも拝観不可です。
拝観情報|霊雲院「九山八海の庭(霊の庭)」と「臥雲の庭」 | |
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公開期間 | 通年(不定期) ・11月以外:月に1~2日回 ・11月:10日間ほど ※日程は公式のおしらせ(こちら)に掲載される ※予約拝観も可(メールか電話で予約) |
拝観料 | ・大人:500円 ・中学生:300円 ※12歳以下の拝観不可(保護者同伴でも不可) |
公開内容 | ・書院(本堂) ・書院前庭「九山八海の庭(霊の庭)」 →重森三玲復元 ・書院西庭「臥雲の庭」 →重森三玲作庭 ・観月亭外観 |
庭園 | |
拝観時間 | 10:00~15:00 ※公開日により変更あり |
最寄り駅 | ・JR奈良線「東福寺」駅下車、徒歩約7分 ・京阪本線「東福寺」駅下車、徒歩約7分 ・市バス「東福寺」下車、徒歩約5分 |
住所 | 京都府京都市東山区本町15丁目801 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
拝観ガイド&レビュー
こちら↓の記事では、庭園の鑑賞ポイントや霊雲院の見どころ、拝観ルートなど詳細を紹介しています。
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5.龍吟庵・東福寺塔頭(東山区)|重森三玲・京都
龍吟庵は1964年(昭和39年)の方丈解体修理完了時には庭園がなかったのですが、重森三玲が寄付金を集め12月2日~27日の25日間で作庭した3つの庭が見られます。
龍吟庵の庭については「龍吟庵|春と秋の特別公開」でより詳しく紹介しているので合わせてご覧ください。
方丈南庭「無の庭」【春と秋の特別公開】
龍吟庵・「無の庭」 | |
- 重森三玲が68歳の1964年(昭和39年)に作庭
- 儀式の場である方丈南庭の伝統にのっとり白砂のみの庭とした
- 禅僧の悟りの境地を表現
- 岩や緑などを使わず白砂と石のみ
- 竹垣には稲妻が表現され次の庭「龍の庭」へストーリーをつなぐ役割を果たす
龍吟庵の方丈南「無の庭」は重森三玲が68歳の1964年(昭和39年)に作庭しています。
方丈の南側の庭は本来「儀式で使用するため何も置かない」という伝統ルールあり、それに乗っ取る形で、シンプルな白砂のみの庭になっています。
庭は石のないシンプルな庭園ですが、西側の竹垣に重森三玲らしさが表れています。
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方丈西庭「龍門の庭」【春と秋の特別公開】
龍吟庵・「龍門の庭」 | |
- 重森三玲が68歳の1964年(昭和39年)に作庭
- 雲紋と石組で龍を表現した庭
方丈西庭「龍門の庭」も、重森三玲が68歳の1964年(昭和39)に作庭した庭園です。
龍吟庵の名前をテーマとして、龍が黒い雲(黒砂で表現)を呼び起こし、海中(白砂で表現)から左回りに現れる様子を表現しています。
庭園に向かって右側の竹垣には雷の文様が施されています。
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方丈東庭「不離の庭」【春と秋の特別公開】
龍吟庵・「不離の庭」 | |
- 重森三玲が68歳の1964年(昭和39年)に作庭
- 赤い石が敷かれた珍しい枯山水
- 無関普門(大明国師)が幼少の頃に天然痘を患い山に捨て去られたときの物語を表現
- 方丈と庫裏をむすぶ渡廊下に面した長方形の庭園
方丈東庭「不離の庭」も、重森三玲が68歳の1964年(昭和39)に作庭した庭園です。
龍吟庵は、東福寺第三世住持・大明国師(無関普門)の住居として建てられた寺院なので、こちらの庭は「大明国師の伝説」がモチーフです。
庭の石で、幼き大明国師、大明国師を狼から守る犬、狼が表現されています。
庭に向かって左奥の竹垣は狼が逃げ込む森が表現されています。
「不離の庭」の庭の鑑賞ポイントは↓こちらの記事に詳しく記載しているので合わせてご覧ください。
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拝観(見学)方法
拝観情報|龍吟庵「無の庭」「龍門の庭(西庭)」「不離の庭」 | |
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公開期間 |
春と秋の特別公開時のみ |
・春①:涅槃会前後(例年3月15日前後) →2024年3月14日(木)~3月16日(土) ・春②:ゴールデンウィーク期間 →2024年4月27日(土)~2024年5月6日(月・祝) ・秋:例年11月~12月の紅葉の時期 →2023年11月1日(水)~12月3日(日) →2024年未定 |
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拝観料 | 大人 1,000円(高校生以上)、小中学生 300円 |
公開内容 | ・方丈の6室のうち5室 ・掛け軸「無関普門像」(道晃法親王筆) ・3つの枯山水(重森三玲作庭) |
拝観時間 | 春:9時~16時(15時30受付終了) 秋:9時~16時30(16時受付終了) |
最寄り駅 | ・JR奈良線「東福寺」駅下車、徒歩約12分 ・京阪本線「東福寺」駅下車、徒歩12分 ・京都市営バス(市バス)「東福寺」下車、徒歩約6分 |
住所 | 京都市東山区本町15丁目778 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
京都で開催される特別公開の情報は↓こちらにまとめて更新しているので合わせてご覧ください。
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拝観ガイド&レビュー
こちら↓の記事では、庭園の鑑賞ポイントや龍吟庵の見どころ、拝観ルートなど詳細を紹介しています。
6.泉涌寺(東山区)|重森三玲・京都
妙応殿(錬成道場前)庭園「仙山庭」【原則非公開】
泉涌寺・妙応殿(錬成道場前)庭園「仙山庭」 | |
- 重森三玲が77歳の1973年(昭和48)年に作庭
- 東西10間、南北4間の三方正面の長方形の空間に作庭された庭
- 三方正面の空間に18個の青石と2本の野筋、6か所の紅白の洗い出しでまとめられている
泉涌寺の「仙山庭」は重森三玲が77歳の1973年(昭和48)年に作庭された庭園です。
泉涌寺内の通常は非公開の「書院」と「妙応殿(錬成道場)」と「廊下」の間にあり、三方正面の空間に作庭されています。
普段は見ることができませんが、妙応殿で華道展やアートイベントがある際に見学することができます。
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拝観(見学)方法
拝観情報|泉涌寺・妙応殿(錬成道場前)庭園「仙山庭」 | |
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公開期間 | 原則非公開 ※妙応殿で華道展(泉涌寺華道月輪未生流献華展)やアートイベントがある際に見学可能 |
拝観料 | – ※泉涌寺の境内に入るには伽藍拝観500円が必要 |
公開内容 | – |
拝観時間 | – |
最寄り駅 | ・京都市営バス「泉涌寺道」下車、徒歩約10分 ・京阪電車「東福寺」駅下車、徒歩約20分 ・JR「東福寺」駅下車、徒歩約20分 |
住所 | 京都市東山区泉涌寺山内町27 総本山 御寺 泉涌寺 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
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7.善能寺・泉涌寺塔頭(東山区)|重森三玲・京都
遊仙苑【通年公開】
善能寺・遊仙苑 | |
・左上の画像左にある建物が本堂「祥空殿」で本堂右側が池泉式庭園 ・作庭当初は水が貼られていたが現在は漏水で涸池となっている ・瀧門瀑もありポンプから水が落ちるようになっていた |
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・善能寺境内に句碑を刻んだ三尊石組や雲を表現した苔の築山がある ・善能寺は現在無人で泉涌寺が管理しているが庭園は荒廃気味 |
- 重森三玲が76歳の1972年(昭和47年)に作庭
- 重森三玲にはめずらしい池泉式庭園(※漏水で涸池)
- 飛行機から地上を眺めた鳥瞰図をイメージして作庭
泉涌寺塔頭・善能院の庭園「遊仙苑」は、重森三玲が76歳の1972年(昭和47)に作庭されています。
「遊仙苑」は1971年(昭和46)に起こった飛行機事故(ばんだい号墜落事故)の犠牲者が善能寺とゆかりがあったことから、飛行機事故の遺族によって境内に建てられた本堂「祥空殿」の庭園としてつくらました。
池泉式の庭以外にも境内には、句碑を刻んだ三尊石組と雲を表現した苔の築山があります。
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拝観(見学)方法
拝観情報|.善能寺・泉涌寺塔頭「遊仙苑」 | |
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公開期間 | 通年 |
拝観料 | 無料(境内自由参拝) |
公開内容 | ・本堂「祥空殿」 ・庭園「遊仙苑」 ・白玉龍神社 ・日本最初稲荷神石社 |
拝観時間 | 9:00-17:00 |
最寄り駅 | ・京都市営バス「泉涌寺道」下車、徒歩約10分 ・京阪電車「東福寺」駅下車、徒歩約20分 ・JR「東福寺」駅下車、徒歩約20分 |
住所 | 京都市東山区泉涌寺山内町34 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
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8.瑞峯院・大徳寺塔頭(北区)|重森三玲・京都
大徳寺の塔頭「瑞峯院」では、重森三玲が1961年(昭和36)に、開祖400年遠忌を記念して作庭した庭園が見られます。
方丈南庭「独坐庭」【通年公開】
瑞峯院・方丈南庭「独坐庭」 | |
- 重森三玲が65歳の1961年(昭和36)に開祖400年遠忌を記念して作庭
- 庭園の構成は従来の日本庭園に見られなかった構成を試みている
- 独坐大雄峰をテーマにした庭
- 海洋の沖から孤島の連邦が続き、曲線を描いて高山の巨石に線が続き、巨石が天に向かって高く聳える
- 石組は荒波を受ける出島とも雲から湧き上がる龍にもなる
大徳寺塔頭・瑞峯院の方丈南庭「独坐庭」は、重森三玲が65歳の1961年(昭和36)に開祖400年遠忌を記念して作庭さました。
重森三玲は、瑞峯院の庭で従来の日本庭園に見られなかった構成を試みています。
庭園の名前は、中国の仏教書であり禅問答をまとめた記録(公案集)の『碧巖録』の第二十六則「獨坐大雄峯」からつけられました。(瑞峯院は禅寺)
■独坐大雄峰―(『碧巌録』二十六則)とは
ある修行僧が百丈禅師(百丈懐海和尚)に「如何なるか是れ奇特の事(この世の中で最も素晴らしい事は何ですか)」と質問した際に、「独坐大雄峯(この大雄峯にどっしりと坐っていることだ)」と答えた問答。(この世で最も素晴らしいことは富や名声ではなく、今のこの瞬間に生き心を落ち着けられていることだと教える問答)
■大雄峯とは
中国の禅僧・百丈禅師がおられた百丈山のこと
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方丈北庭「閑眠庭(十字架の庭)」【通年公開】
瑞峯院・方丈北庭「閑眠庭」 | |
- 重森三玲が65歳の1961年(昭和36)に開祖400年遠忌を記念して作庭
- キリシタン大名・大友家の菩提寺なので十字架の形に石を配置
- 縦4個、横3個の石がが十字架の形に組まれているため「十字架の庭」とも呼ばれる
大徳寺塔頭・瑞峰院の方丈北庭「閑眠庭」も重森三玲が65歳、1961年(昭和36)に作庭されています。
瑞峯院はキリシタン大名として知られる大友宗麟が、大友家の菩提寺として建立したことから「閑眠庭」の石組は十字架の形に配置されています。
石組の形から別名「十字架の庭」ともよばれます。
庭園名は禅語の「高臥対青山(閑眠高臥して青山に対す)」から名づけられました。
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方丈西庭「露地庭」【現存せず】
(出典:重森千青サイトキャプチャ)
瑞峯院の「独坐庭」と「閑眠庭」を作成した際に、重森三玲は方丈西庭「露地庭」も作庭していました。
一木一草を使わず敷石と立手水鉢のみを使った非常に独創的な露地で、海外で出版されたている日本庭園の書物でもたびたび紹介されるほど、高い評価が寄せられいたそうです。
ただ、ざんねんなことに現在は全く別の路地に作り替えられ、見ることができません。
現在は↓このような路地に作り替えられています。
拝観(見学)方法
拝観情報|瑞峯院・大徳寺塔頭「独坐庭」「閑眠庭」 | |
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公開期間 | 通年 |
拝観料 | ・大人:400円 ・小中学生:300円 ※抹茶・別途400円(希望者) |
公開内容 |
・方丈(客殿) ・方丈庭園「独座庭」、「閑眠庭(十字架の庭)」重森三玲作庭 ・茶室「安勝軒」 |
事前予約で茶室「平成待庵」の特別拝観が可能 拝観料1,500円(法話・抹茶付) |
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拝観時間 | 9:00~17:00 |
最寄り駅 | ・市バス「大徳寺前」下車、徒歩約5分 |
住所 | 京都府京都市北区紫野大徳寺町81 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
拝観ガイド&レビュー
こちら↓の記事では、庭園の鑑賞ポイントや瑞峯院の見どころ、拝観ルートなど詳細を紹介しています。
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9.正伝寺(北区)|重森三玲・京都
「獅子の児渡し庭園」【通年公開】
獅子の児渡し庭園 | |
- 1935年(昭和10)に重森三玲が修復
- 元々は江戸初期に小堀遠州作庭と伝わる
- サツキの刈込を七五三として後方の比叡山を借景としている
- 補修前に白砂部分にあった石組は作庭当初にはないものだったため撤去された
正伝寺の庭園は1935年(昭和10年)に38歳の重森三玲によって補修されました。
1934年(昭和9年)に重森三玲主宰の林泉協会の見学会で正伝寺を訪れた際に補修を決め翌年に実施しています。
正伝寺の庭を調査した際に白砂部分の石組の下から明治時代の瓦が出たため撤去し、壁の外にあった松の木も撤去しています。
なお、元々の庭園は江戸初期に作庭され小堀遠州作と伝えられているが重森三玲はその説に疑念を抱いたとのこと。
また、正伝時の庭園は宝酒造の焼酎「純」のテレビCM(1980年/昭和55年)に起用されたデビットボウイが、枯山水の庭園に感動して撮影地に指定した場所でもあります。
■小堀遠州(1579-1647年)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家、書家。小堀遠州は通称で本名は小堀政一。代表作「二条城二の丸庭園」
■デヴィッド・ボウイ (1947~2016年)
英国出身のミュージシャン。グラムロックの先駆者として台頭し、ポピュラー音楽の分野で世界的名声を得た人物。日本好きで有名。
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拝観(見学)方法
拝観情報|正伝寺「獅子の児渡し庭園」 | |
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公開期間 | 通年 |
拝観料 | 大人:500円 中学生:300円 小学生:200円 |
公開内容 | ・方丈 →襖絵・狩野宇山楽筆 →方丈の広縁の天井は「血天井」 ・獅子の児渡し庭園 |
拝観時間 | 9:00~17:00 |
最寄り駅 | 市バス「神光院前」下車、徒歩約15分 |
住所 | 京都市北区西賀茂北鎮守庵町72 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
拝観ガイド&レビュー
こちら↓の記事では、庭園の鑑賞ポイントや正伝寺の見どころ、拝観ルートなど詳細を紹介しています。
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10.光清寺(上京区)|重森三玲・京都
方丈前庭「心和の庭」【春と秋の特別公開】
光清寺・方丈前庭「心和の庭」 | |
- 重森三玲が71歳の1967年(昭和42年)に作庭
- 光清寺の山号「心和山」にちなんで地模様(苔のある部分)が「心」の文字
- 七五三配石で12個の青石を使用・約100坪
- 光清寺の住職(第11世透関和尚)が重森に依頼して作庭
光清寺の方丈前庭「心和の庭」は、重森三玲が71歳の1967年(昭和42年)に光清寺の住職から依頼を受けて作庭されました。
12個の石を配置した枯山水で、本堂前の約100坪の空間に寺の山号「心和山」にちなみ、“心”の字を築山四島で形作っているのが特徴です。
光清寺の庭園は2022年まで非公開でしたが2023年秋から一般公開が開始されました。
普段は光清寺のお坊さんが直線を中心とした砂紋を引いているが、作庭当初は表現豊かな砂紋がひかれていたとのこと。
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庫裏前庭「心月庭」【春と秋の特別公開】
光清寺・庫裏前庭「心月庭」 | |
- 重森三玲が78歳の1974年(昭和49)に作庭
- お寺の庫裡の前にあり、金閣寺垣に囲まれた小さな庭
- モルタル製の州浜台座と大きな石が特徴
光清寺の庫裏前庭「心月庭」も重森三玲が78歳の1974年(昭和49)に作庭されています。
金閣寺垣に囲まれた小さな庭で、高さがあるモルタル製の州浜台座と大きな石が徴的で、上部は白砂の枯山水です。
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拝観(見学)方法
光清寺さんは昨今の撮影目的のアマチュアカメラマンのマナー問題から、拝観時間と料金を「スマホ以外のカメラで撮影したい方」と「スマホ撮影者」で分けています。
拝観情報|光清寺「心和の庭」「心月庭」 | |
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公開期間 | 【春の特別公開】 4月末の数日間 →2024年4月27日(土)~4月29日(月・祝) 【秋の特別公開】 11月末の数日 →2024年未定 →2023年11月23日(木)~26日(日) |
拝観料 | 【一眼レフなどスマホ以外で撮影したい方】 ・2,000円/ひとり ※事前に専用フォームから予約が必要 【スマホで撮影する方】 ・大人800円 ・小人400円(小学生以上) ※お茶席希望者は別途600円 |
公開内容 | ・本堂内部 →本堂に諸芸上達の御利益がある絵馬「浮かれ猫」や着物作家の作品の展示など ・方丈前庭「心和の庭」 ・庫裏前庭「心月庭」 |
拝観時間 | 【一眼レフなどスマホ以外で撮影したい方】 8:30 ~ 9:50 ※事前に専用フォームから予約が必要 【スマホで撮影する方】 10:00~16:30(16:00受付終了) ※11時からお寺の由緒と庭園の解説あり |
最寄り駅 | ・市バス「千本出水」下車、徒歩約4分 ※6、10、46、55、201、206系統 ・市バス「七本松出水」下車、徒歩約2分 ※52系統(1時間に1本) ・地下鉄東西線「二条」駅下車、徒歩約19分 ※1番出口からの時間 ・JR「二条」駅下車、徒歩約18分 ※改札からの時間 |
住所 | 京都府京都市上京区七番町339 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
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拝観ガイド&レビュー
こちら↓の記事では、庭園の鑑賞ポイントや光清寺の見どころ、拝観ルートなど詳細を紹介しています。
11.真如院(下京区・堀川五条)|重森三玲・京都
本堂前庭「真如院庭園」【秋の特別公開】
真如院庭園 | |
- 室町時代1568年(永禄11年)頃、織田信長が足利義昭(室町幕府15代将軍)のために造園
- 江戸時代1799年(寛政11年)「都林泉名勝図会」に掲載される
- 江戸時代末期に荒廃し、明治まで度々改修される
- 1936年(昭和11年)作庭家・庭園史研究家の重森三玲が実測調査を行う
- 1949年(昭和24年)に現在地へ移転した後の1961年(昭和36年)に『都林泉名勝図会』を基に重森三玲が復元
- 石で水流を表した枯山水
- 移転前は200~300坪の広さだったが現在は80坪(264㎡)ほど
- 庭園内には、足利義昭が名付け親の「瓜実灯籠」、本圀寺よりもってきた「烏帽子石」、天明の大火にで亡くなった子どものために奉納された「呼子手水鉢」などがある
真如院の庭園は織田信長が庭園好きの15代目将軍・足利義昭のために造園させた政治的要素のある庭です。
昭和36年(1961年)に65歳の重森三玲が『都林泉名勝図会』を基に復元する際は、元々200~300坪の広さっだった庭園が80坪(264㎡)ほどに縮小され、奥行きが足りない中今の庭園の形におさめたました。
鱗型の石を並べて水流を表した枯山水で、足利義昭ゆかりの灯篭(瓜実灯籠)や石(烏帽子石)が配置されている。
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山門横の小庭【秋の特別公開】
山門横の小庭 | |
門を背にして右側の小庭 (写真は拝観入口側から門の方を向いて撮っています) |
門を背にして左側の小庭 (写真は拝観入口側から門の方を向いて撮っています) |
- おそらく1961年(昭和36)作庭
山門をくぐってすぐの両サイドにも重森三玲作庭の小庭がありますが、こちらは正確な作庭年は不明ですが、おそらく本堂前の庭の復元時に造られたと思われます。
拝観(見学)方法
拝観情報|真如院「真如院庭園」「三門横小庭」 | |
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公開期間 | 例年10月中旬から11月初旬の限定日 ①2024年10月19日(土)~10月27日(日)の土・日 ②2024年11月1日(金)〜11月4日(月) →10/19(土)、10/20(日)、10/26(土)、10/27(日) →11/1(金)、11/2(土)、11/3(日)、11/4(月・祝) |
拝観料 | 600円 |
公開内容 | ・本堂 ・真如院庭園 |
拝観時間 | 10:00~15:00 |
最寄り駅 | 市バス「五条堀川」下車、徒歩約4分 |
住所 | 京都市下京区猪熊通五条上る柿本町677 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
拝観ガイド&レビュー
こちら↓の記事では、庭園の鑑賞ポイントや光清寺の見どころ、拝観ルートなど詳細を紹介しています。
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12.正徳寺(丹後市)|重森三玲・京都
山門前庭【通年見学可能】
※写真なし
正徳寺の山門前には、かつて重森三玲によって作庭された石組がありましたが、前住職によって改修され、当初の様子は分からない状況です。
拝観(見学)方法
拝観情報|正徳寺山門前庭 | |
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公開期間 | 通年 ※山門の外側にあるため通年見学可能 |
拝観料 | - ※山門の外側にあるため通年見学可能 |
公開内容 | 境内は自由参拝(無料) |
拝観時間 | 調査中 |
最寄り駅 | 北近畿タンゴ鉄道「網野」駅 タクシーで約8分 |
住所 | 京都府京丹後市網野町浅茂川1581 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
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13.松尾大社(西京区)|重森三玲・京都
松尾大社にある重森三玲の庭園は松風苑の3つと紹介されていますが、実際には重森三玲が残った石材でつくった「即興の庭」も含め4つあります。
重森三玲は、松尾大社の庭の工期中に亡くなっているため最後の作品が見られる貴重な場所でもあります。
松風苑・三庭①「曲水の庭」【通年公開】
曲水の庭 | |
- 1975年(昭和50)年に重森三玲が作庭
- 平安時代の貴族が開催した「曲水の宴」をテーマにした庭
- 庭を囲む渡廊下からも鑑賞できる
- 水の周りには小石を鱗のように敷き詰めている
- サツキの築山に三尊石が配される
松尾大社にある「松風苑」の3つの庭は、松尾大社からの依頼で1億円の総工費と1年の工期(1974~1975年)を経て完成した庭園です。(重森三玲79歳)
ひとつめの庭「曲水の庭」は、平安時代の貴族が開催した「曲水の宴」をテーマに造られ、水の流れが優美な曲線で表現されています。
水の周りには小さな石が鱗のように敷き詰められ、重森三玲らしさがあります。
サツキの大刈込の築山に三尊石が複数配されています。
なお、毎年3月3日には「曲水の庭」で雛流しが行われます。
■曲水の宴
宮中や貴族の屋敷で陰暦3月3日に行われた年中行事のひとつ。水の流れのある庭園の水際に参加者が座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流し、別堂でその詩歌を披講するという。
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松風苑・三庭②「上古の庭(磐座の庭)」【通年公開】
上古の庭(磐座の庭) | |
- 1975年(昭和50)年に重森三玲が作庭
- 丹波笹が覆う山肌に神々が降り立った姿を石組で表現
- 西側が高く、東に向って下る土地に作られた庭
- 重森三玲の遺作
前述しましたが「松風苑」の3つの庭は、松尾大社からの依頼で1億円の総工費と1年の工期(1974~1975年)を経て完成した庭園です。(重森三玲79歳)
2つ目の庭「上古の庭」は、神像殿(宝物殿)の北側の斜面に造られた庭園で丹波笹が覆う山肌に神々が降り立った姿が石で表現されています。
最上段の二つの巨石は、松尾大社の御祭神、大山咋神と市杵島姫命を表します。
「上古の庭」は、正面からだけでなく壁の横を通ってサイドと裏側から見ることができます。
■上古(じょうこ)
文献の記述する限りで最も古い時代のこと
■磐座(いわくら)
神が宿るとされる石。
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松風苑・三庭③「蓬莱の庭」【通年公開】
蓬莱の庭 | |
- 重森三玲が作図し、長男の重森完途が作庭した親子合作
※重森三玲が工期中に他界したため - 庭園全体が羽をひろげた鶴の形になっている
- 仙人の住む海上の山「蓬莱山」がモチーフの池泉庭園
前述しましたが「松風苑」の3つの庭は、松尾大社からの依頼で1億円の総工費と1年の工期(1974~1975年)を経て完成した庭園です。(重森三玲79歳)
3つ目の庭「蓬莱の庭」は、先ほどの庭園とは少し離れた場所にあり、仙人の住む海上の山「蓬莱山」をモチーフにした池泉式の庭園です。
庭全体が羽を広げた鶴の形をして、池で海を岩で島を表現しています。
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宝仏殿横庭「即興の庭」【通年公開】
即興の庭 | |
- 1974年(昭和49年)の9月23日・24日の2日間で完成させた
- 鞍馬赤砂と白川砂をモルタルで直線的に敷き分ける
- 竹垣のデザインは重森完途による
松尾大社の「即興の庭」は、当初の計画にはなく2日間で即興で制作された庭です。
松尾大社の境内図や案内パンフレットでも紹介されていないので、見逃し注意です。
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拝観(見学)方法
拝観情報|松尾大社 松風庭(「曲水の庭」「上古の庭」「蓬莱の庭」)・「即興の庭」 | |
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公開期間 | 通年 |
拝観料 | 大人:500円 学生:400円 小人:300円 ※庭園・神像館共通拝観券 |
公開内容 | ・松風庭「曲水の庭」「上古の庭」「蓬莱の庭」と「即興の庭」 ・神像館(宝物館) |
拝観時間 | 平日・土曜 9:00~16:00 日曜・祝日 9:00~16:30 |
最寄り駅 | ・阪急嵐山線「松尾大社」駅下車、徒歩約3分 ・市バス「松尾大社前」下車、徒歩約3分 ・JRバス「松尾大社前」下車、徒歩約3分 ※上記は参道を抜けた赤鳥居まで。本殿までは徒歩約5分。 |
住所 | 京都府京都市西京区嵐山宮町3 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
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14.貴船神社(左京区)|重森三玲・京都
石庭「天津盤境」【通年公開】
天津盤境 | |
- 1965年(昭和40年)に重森三玲が作庭
- 貴船石の保存の目的も持つため、すべての石が貴船石
- 庭全体が船の形
貴船神社の石庭「天津盤境」は、1965年(昭和40年)に69歳の重森三玲が作庭しています。
天津盤境があるのは貴船神社の「本宮」です。
この庭は「貴船石の保存」の役割も持つため、貴船石だけが使われています。
庭全体は船の形で中央の椿の樹を船のマストに見立て見ることができ、古代の人々が神祭りをおこなった神聖な祭場をイメージして造られています。
■盤境
神を祭るための神聖な場所。
■天津盤境
巨岩崇拝を背景とした古代祭祀のー形式で、山中・山頂に設けられた立石組。日本庭園の石組の源流。
■神籬
神道において神社や神棚以外の場所で祭祀を行う際に臨時で神を迎える依り代
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拝観(見学)方法
「天津盤境」は本宮の境内にあります。
拝観情報|貴船神社「天津盤境」 | |
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公開期間 | 通年 |
拝観料 | 参拝無料 |
公開内容 | ・本宮境内 →天津盤境があるのは本宮 ・結社(中宮)境内 ・奥宮境内 |
拝観時間 | ■本宮 開門時間 6:00~20:00(5/1~11/30) 6:00~18:00(12/1~4/30) ※結社、奥宮は24時間開放 ■授与所受付時間9:00~17:00 (水占みくじ、御守、御朱印などの授与受付) |
最寄り駅 | ・京都バス「貴船」下車、徒歩約4分 ・叡山電鉄鞍馬線「貴船口駅」出口から、徒歩約28分 ※上記は「二の鳥居」まで |
住所 | 京都市左京区鞍馬貴船町180 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
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15.石清水八幡宮(八幡市)|重森三玲・京都
石清水八幡宮には作庭年が異なる重森三玲の庭「書院石庭(社務所の庭)」と「鳩峯寮の庭」があります。
「書院石庭(社務所の庭)」【事前予約or秋の限定公開】
書院石庭 | |
- 1952年(昭和27年)に重森三玲が作庭
- 青石を使用せず山中に散在していた小ぶりの石を利用し、石を立てないのが特徴
- 庭内の春日灯籠は鎌倉時代の重要文化財
石清水八幡宮の社務所の書院前にある「書院石庭(社務所の庭)」は、重森三玲が56歳の1952年(昭和27年)に作庭されました。
中央部を避けて四隅に石組(15石)で構成されています。
普段のダイナミックな重森三玲の庭とは異なり、青石を使用せず山中に散在していた小ぶりの石を利用し、石を立てずにつくられているのが特徴です。
なお、石清水八幡宮の「書院石庭(社務所の庭)」は、通常非公開です庭園前の門が閉められています。
拝観したい場合、事前予約をするか、例年11月の第3土・日に開催される八幡市主催の「秋の文化財一斉公開」時に見学するかの2択になります。
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「鳩峯寮の庭」【通年公開】
鳩峯寮の庭 | |
- 1966年(昭和41年)に重森三玲が作庭
- 1961年(昭和36年)の第二室戸台風で倒れた石造りの鳥居を利用
石清水八幡宮の三ノ鳥居をくぐってすぐ(参道両脇)に「鳩峯寮の庭」があります。
1961年(昭和36年)の第二室戸台風で倒壊した三ノ鳥居の残骸を使って1966年(昭和41年)に70歳の重森三玲が作庭しています。
他の庭園とは異なり、鳥居の円柱の柱をつかった斬新なデザインが特徴です。
事前に知識がないと石庭とは気づかずに通り過ぎてしまうので要注意です。
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拝観(見学)方法
拝観情報|石清水八幡宮「書院石庭」「鳩峯寮の庭」 | |
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公開期間 |
書院石庭:「事前予約」または八幡市主催の「秋の文化財一斉公開」期間中 ※八幡市主催の秋の文化財一斉公開は例年11月の第3土・日に開催 |
鳩峯寮の庭:通年 ※参道横にあるのでいつでも見られます |
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拝観料 | 無料 |
公開内容 | - |
拝観時間 | 書院石庭:事前予約でした時間or八幡市主催の秋の文化財一斉公開時間 鳩峯寮の庭:常時開放 |
最寄り駅 | ・京阪電車(京阪本線)「石清水八幡宮駅」下車、徒歩約30~40分 ・京阪石清水八幡宮参道ケーブル「ケーブル八幡宮山上」駅下車、徒歩5分 ※京阪電車「石清水八幡宮駅」下車後、改札を出て参道ケーブルへ乗り換える。参道ケーブルの麓の駅名は「ケーブル八幡宮口」 |
住所 | 京都府八幡市八幡高坊30 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
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16.重森三玲邸庭園美術館(旧重森邸)(左京区)|重森三玲・京都
重森三玲邸庭園美術館は、重森三玲が47歳から亡くなる79歳までの32年間(1943~1975年/昭和18~50年)を過ごした自宅です。
「無字庵庭園」は、書院と茶室がある自邸に作った枯山水庭園です。
なお、重森三玲が購入した屋敷は、吉田神社の社家・鈴鹿家の屋敷でした。
無字庵庭園(書院前庭)【事前予約】
無字庵庭園(書院前庭) | |
↑書院内から眺めた庭の様子 | |
↑平たい大きな石は邸宅を 譲り受ける前からある礼拝石 |
↑書院から庭園の入口側の様子 |
- 書院前は1970年(昭和45年)に重森三玲が作庭
- 阿波の青石によって大海と蓬莱島を含む島々を表現
- 平たく大きな石(礼拝石)は屋敷購入時からあるもの
- 入舟と出舟の2つの舟石があるのが特徴的
- 妻の要望で植えた桜の木がある
書院前の庭園は1970年(昭和45年)に74歳の重森三玲が作庭しました。
1~3・10~12月以外は建物の中から庭園を見学することができます。
(4~9月は建物の外での見学のみ)
書院の正面にある平たく大きな石は、屋敷の前の持ち主の神官が吉田神社を拝むための“礼拝石”だったとのこと。
(重森三玲が購入した屋敷は、吉田神社の社家・鈴鹿家の屋敷)
また、一般的な枯山水庭園には舟石が1つ配されますが、入舟と出舟の2つあるのが特徴的です。
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無字庵庭園(書院東庭・茶室前庭)【事前予約】
無字庵庭園(書院東庭・茶室前庭) | |
↑茶室「好刻庵」前の庭 | ↑茶室「好刻庵」前の蹲踞と飛び石 |
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前庭【事前予約】
前庭 | |
- 屋敷の入り口長屋門を入ってすぐの庭で作庭年は不明
重森三玲邸宅(現美術館)の入口である長屋門をくぐると前庭があり、こちらも重森三玲が作庭しています。(作庭時期不明)
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坪庭(中庭)
中庭(坪庭) | |
- 1969年(昭和44年)に重森三玲が作庭
- 茶室「無字庵」と茶室「好刻庵」の間にある庭
- 七五三石組(板石7・黒い立石と踏み石で5・手水鉢と柱の礎石で3)
茶室「無字庵(非公開)」と「好刻庵」の間にある中庭(坪庭)は1969年(昭和)に作庭されています。(好刻庵新築の年)
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拝観(見学)方法
拝観情報|重森三玲邸庭園 | |
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公開期間 ・公開時間 |
・通年公開 ・個人の拝観:火曜~日曜の11:00~と14:00~の2回 ・団体の拝観:火曜~日曜の10:00~と16:00~の2回 ※事前予約が必要(見学希望日前日の午後5時までにお申込み必須) ※1回の定員は15名(茶室入室見学は12名) ※予約方法などの詳細は公式サイトのこちらをご確認ください |
拝観料 ・公開内容 |
時期によって「建物内から庭園を眺める見学」と「茶室のみ外から内部を見る見学」に分かれます |
【1~3月】 平日:1200円(庭園、書院入室、茶室の内部を外から見学) 土日祝:1500円(庭園、書院入室、茶室入室) ※大学生:100円引、中高生:300円引、小学生:半額 ※室内に入れるのは中学生以上 |
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【4~9月】 全日:1000円(庭園、書院と茶室内部を外から見学) ※大学生:100円引、中高生:300円引、小学生:半額 ※10名以上の団体での見学の場合のみ書院入出が可能(予約時に伝える) ※室外からの見学のみのこの期間は中学生以下の見学も可能 |
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【10月】 平日:1200円(庭園、書院入室、茶室の内部を外から見学) 土日祝:1500円(庭園、書院入室、茶室入室) ※大学生:100円引、中高生:300円引、小学生:半額 |
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【11月】 全日:1200円(庭園、書院入室、茶室の内部を外から見学) ※大学生:100円引、中高生:300円引、小学生:半額 ※室内に入れるのは中学生以上 |
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【12月】 平日:1200円(庭園、書院入室、茶室の内部を外から見学) 土日祝:1500円(庭園、書院入室、茶室入室) ※大学生:100円引、中高生:300円引、小学生:半額 ※室内に入れるのは中学生以上 |
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最寄り駅 | 市バス「京大正門前」下車、徒歩約5分 |
住所 | 京都市左京区吉田上大路町34 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
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17.竹中邸(左京区)|重森三玲・京都
竹中邸庭園【非公開】
竹中邸庭園 | |
- 1970年(昭和45年)に重森三玲が作庭
- 駐車場と今の間にあり5m×7mほどのサイズ
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18.浅野邸(北区)|重森三玲・京都
浅野邸庭園【非公開】
浅野邸庭園 | |
- 1967年(昭和42年)に重森三玲が作庭
- 施主の石の好みが強い庭園
- 山畔を利用した室町時代様式の庭
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19.八木邸(東山区)|重森三玲・京都
八木邸庭園【非公開】
八木邸庭園 | |
- 1974年(昭和49年)に重森三玲が作庭
- 三方が壁や竹垣で囲まれた小さな庭園
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20.田茂井邸(丹後市)|重森三玲・京都
「蓬仙壽(蓬仙寿)の庭」【予約者限定公開】
「蓬仙寿の庭」 | |
- 1970年(昭和45年)に重森三玲が作庭
- 丹後松島を模して作られた枯山水
- 阿波の青石を京丹後まで持ち込み作庭
田茂井邸庭園「蓬仙壽(蓬仙寿)の庭」は1970年(昭和45年)に74歳の重森三玲が作庭しています。
丹後ちりめん織元、田勇機業株式会社の工場見学に申し込むと見学ができます。
田茂井邸は、庭園だけではなく自宅の設計も重森三玲によるものです。
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拝観(見学)方法
拝観情報|田茂井邸「蓬仙壽(蓬仙寿)の庭」 | |
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公開期間 | 通年 |
拝観料 | 無料 ※工場見学の一環で庭園の見学が可能 |
公開内容 | ・丹後ちりめん工場内(織機場など) ・田茂井邸庭園「蓬仙壽(蓬仙寿)の庭」 |
拝観時間 | 要問合せ |
最寄り駅 | 北近畿タンゴ鉄道「網野」駅下車、タクシーで約5分 |
住所 | 京都府京丹後市網野町浅茂川112 |
※記事執筆時の情報です。お出かけ前に公式情報をご確認ください。
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21.河田邸(丹後市)|重森三玲・京都
河田邸庭園【非公開】
河田邸庭園 | |
- 1955年(昭和30年)重森三玲が作庭
- 旧庭の石を使って6日間で作庭
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22.四方邸(海印山荘)(長岡京市)|重森三玲・京都
【非公開】四方邸(海印山荘)庭園
四方家(海印山荘)庭園 | |
- 1934年(昭和9年)に重森三玲が作庭
- 施主が最初に発注した第7代小川治兵衛が逝去したため重森が引き継いで作庭
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作庭・修復年表(京都版)|重森三玲・京都
重森三玲が京都で作庭・復元した庭園を年代順にまとめました。
※「重森三玲庭園の全貌(田中勝康・著)」の情報をもとに記載
西暦和暦 | 年齢 | トピックス |
1896年(明治29) | 0歳 | ・8月20日岡山県に生まれる |
1929年(昭和4) | 33歳 | ・京都に転居(はじめは花園、半年後に東山三条) |
1933年(昭和8) | 37歳 | ・京都市左京区吉田下大路町に転居 |
1934(昭和9) | 38歳 | ・室戸台風による京都の古庭園の荒廃を機に復元修理のための庭園実測調査を提唱 ・四方家(海印山荘)庭園作庭 ※第7代小川治兵衛の逝去により発注を引き継ぎ作庭 |
1935年(昭和10) | 39歳 | ・正伝寺「獅子の児渡し庭園」の復元工事 |
1936年(昭和11) | 40歳 | ・日本各地の庭園の実測調査を独自に開始する |
1938年(昭和13) | 42歳 | ・第1回実測調査が終了し約350庭の資料がそろう |
1939年(昭和14) | 43歳 | ・東福寺 方丈庭「八相の庭(東福寺本坊庭園)」「常楽庵庭園」作庭 ・東福寺塔頭光明院 主庭「波心庭」作庭 ・東福寺塔頭芬陀院「鶴亀の庭(南庭)」復元・「東庭」作庭 |
1943年(昭和15) | 47歳 | ・現在の重森三玲美術館となる屋敷を購入 |
1952年(昭和16) | 52歳 | ・石清水八幡宮「書院前庭(社務所の庭)」作庭 |
1953年(昭和17) | 57歳 | ・自宅(現重森三玲美術館)の茶室と露地作庭 |
1954年(昭和18) | 58歳 | ・左京消防署庭園作庭 ※消滅 |
1955年(昭和30) | 59歳 | ・河田家庭園作庭 |
1959年(昭和34) | 63歳 | ・田茂井邸庭園作庭 |
1961年(昭和36) | 65歳 | ・大徳寺塔頭瑞峯院「独坐庭」「閑眠庭」の作庭 ・真如院「真如院庭園」移築復元 |
1962年(昭和37) | 66歳 | ・東福寺塔頭光明院の前庭「雲嶺庭」作庭 |
1963年(昭和38) | 67歳 | ・東福寺塔頭光明院の茶室「蘿月庵」と露地の制作 |
1964年(昭和39) | 68歳 | ・東福寺塔頭龍吟庵「無の庭」「龍門の庭(西庭)」「不離の庭」作庭 |
1965年(昭和40) | 69歳 | ・貴船神社「天津盤境の庭」作庭 |
1966年(昭和41) | 70歳 | ・石清水八幡宮「鳩峯寮の庭」作庭 |
1967年(昭和42) | 71歳 | ・光清寺 方丈庭園「心和の庭」庫裏前庭「心月庭」作庭 |
1969年(昭和44) | 73歳 | ・自宅(現重森美玲美術館)に茶室「好刻庵」を新築 ・自宅(現重森美玲美術館)に「坪庭」作庭 |
1970年(昭和45) | 74歳 | ・東福寺塔頭雲霊院「九山八海の庭」復元修復 ・自宅(現重森美玲美術館)茶室「無字庵」の大規模改修 ・田茂井邸庭園「蓬仙壽(蓬仙寿)の庭」作庭 |
1971年(昭和46) | 75歳 | ・東福寺塔頭雲霊院「臥雲の庭」作庭 |
1972年(昭和47) | 76歳 | ・泉涌寺塔頭善能院「仙遊苑」作庭 |
1973年(昭和48) | 77歳 | ・泉涌寺 妙応殿(錬成道場前)庭園「仙山庭」作庭 |
1974年(昭和49) | 78歳 | ・松尾大社「曲水の庭」「上古の庭」作庭 ※「曲水の庭」「上古の庭」作庭後の12/21に入院 |
1975年(昭和50) | 78歳 | ※3/12逝去(咽頭癌) ・松尾大社「蓬莱の庭」を長男完途が工事施工、5月に完成 |
おすすめ本|重森三玲
重森三玲庭園の全貌
重森三玲庭園の全貌 | |
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価格 | 本体4,000円+税 |
著者・写真 | 田中勝康 |
ページ数 | 286ページ |
発行元 | 学芸出版社 |
初版 | 2009年9月20 |
シリーズ 京の庭の巨匠たち1 重森三玲
シリーズ 京の庭の巨匠たち1 重森三玲 永遠のモダンを求めつづけたアバンギャルド | |
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価格 | 本体2,381円+税 |
写真 | 溝縁ひろし |
ページ数 | 119ページ |
発行元 | 京都通信社 |
初版 | 2007年9月20 |