一般公開寺院

瑞峯院(大徳寺)見どころ・御朱印・拝観情報|重森三玲の枯山水と茶室が有名(公開日時・拝観料・ルート・レビュー)

大徳寺塔頭の「瑞峯院(ずいほういん)」は通年拝観できる禅寺です。キリシタン大名・大友義鎮公(大友宗麟)が大友家の菩提寺として室町時代に建立し、480年以上の歴史を持つ寺院です。

主な見どころは昭和の名作庭家・重森三玲の枯山水「独坐庭」と「閑眠庭」、方丈内の襖絵「朝鮮金剛山図」や茶室「安勝軒」。

通常拝観以外にも事前予約で茶室「平成待庵」も見られます。

本記事では予約不要の通常拝観、事前予約拝観、月釜など瑞峯院の拝観にかかわる詳細情報を写真と図解で紹介しています。

では、目次を開いて気になる項目から読み進めてください。
(項目をタップ・クリックすると該当箇所にスクロールします)

目次
  1. 基本情報|大徳寺塔頭・瑞峯院
  2. 見どころ|大徳寺塔頭・瑞峯院
  3. 歴史・由緒|大徳寺塔頭・瑞峯院
  4. レビュー|大徳寺塔頭・瑞峯院
  5. 抹茶とお菓子|大徳寺塔頭・瑞峯院
  6. 御朱印・御朱印帳・授与所|大徳寺塔頭・瑞峯院
  7. 授与品(物販)|大徳寺塔頭・瑞峯院
  8. 茶室「平成待庵」の詳細|大徳寺塔頭・瑞峯院
  9. 当日の様子を写真で紹介|大徳寺塔頭・瑞峯院
  10. 交通アクセス|大徳寺塔頭・瑞峯院
  11. あなたにオススメの記事

基本情報|大徳寺塔頭・瑞峯院

公開日・拝観時間・拝観料金

大徳寺塔頭「瑞峯院(ずいほういん)」基本情報
公開日 通年
拝観時間 9:00~17:00
拝観料 ・大人:400円
・小中学生:300円
※抹茶と茶菓子:別途500円(希望者)

上記は通常拝観(予約不要)の情報です。

瑞峯院にある通常非公開の茶室「平成待庵」は事前予約をすれば見学できます。

■通常非公開の茶室「平成待庵へいせいたいあん」の拝観
・事前予約制(電話:075-491-1454)
・拝観料1,500円(法話・抹茶付・通常公開エリアの拝観料含む)
※抹茶をいただく部屋は平成待庵ではなく別の茶室です
「平成待庵」の詳細はこちら

Kico
Kico
瑞峯院では8月と12月を除く毎月28日に月釜(定例のお茶会)が催されます。拝観者も料金を払えば月釜に参加できます。月釜の料金は臨時会員費として2,000円くらいのようです。

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公開エリア(間取り・拝観ルート図あり)

通常拝観時の拝観ルート

大徳寺塔頭「瑞峯院(ずいほういん)」公開エリア
方丈
《重要文化財》
・仏間の木像
→開祖 徹岫宗九てつしゅうそうきゅうの木像
・障壁画(襖絵)
→大正~昭和に活躍した日本画家・野添平米のぞえ へいべいの「朝鮮金剛山図」(上記図のB)
扁額へんがく
→第105代天皇・後奈良天皇の宸筆しんぴつ
庭園 ・方丈南庭「独坐庭」
・方丈北庭「閑眠庭」
→どちらも1961年(昭和36)に開祖400年遠忌を記念して重森三玲が作庭
・坪庭
→キリシタン灯篭が置かれた庭
茶室 ・茶室「安勝軒あんしょうけん
→1928年(昭和3年)に造られた逆勝手席ぎゃくがっての茶室
その他 ・表門《重要文化財》
・唐門《重要文化財》
・韋駄天像(上記図のA)

大徳寺塔頭・瑞峯院の境内はとても広く複数の建物がありますが、拝観可能なエリアは少ないが、方丈・表門・唐門は室町時代のもので国の重要文化財に指定される歴史的価値の高い建物が多く残ります。

また、昭和の名作庭家・重森三玲の枯山水が2つも見れるのもポイントです。

表門 唐門 扁額 襖絵
韋駄天像 独坐庭 閑眠庭 安勝軒

■月釜の日(月釜の前日)の拝観
瑞峯院では8月と12月以外の毎月28日にお茶会が開催されます。
月釜の日には上記図の「檀那の間」とその北側の部屋を見ることができるようです。
月釜の前日も準備のためタイミングが良ければ室内をのぞき見ることができます。
お茶会は、拝観者も料金を払えば参加が可能です。

事前予約の茶室「平成待庵」の拝観

事前予約制の「平成待庵」は上記の手前の「茶室」でご住職の法話とお抹茶があり、オレンジの矢印のルートで「平成待庵」へ向かいます。

「平成待庵」見学後は、通常の拝観エリアを自由に見学します。

「平成待庵」の詳細はこちら

撮影の可否

  • 通常拝観エリア:撮影可能
    ※事前予約が必要な「平成待庵」は不明

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所要時間と混雑具合

所要時間

  • 通常拝観エリア:10~30分

瑞峯院は寺宝の展示などもなく、方丈内の襖絵も「室中」(中央南側の部屋)のみなのでサクサク見る方は10分でも見学可能です。

枯山水庭園や茶室をわりとしっかり見ても30分くらいで見終わる規模です。

混雑具合

  • 月釜開催日以外は、土日でも人は少ない
    →貸し切り状態で拝観できる時間帯も多い
    →土日でも多くて3~4人が同時に拝観しているイメージ
    →大徳寺や塔頭の非公開寺院が特別公開されると通常の倍くらいの人になることもある

8月と12月以外の28日は、瑞峯院内でお茶会(月釜)が開催されるので、お茶の関係者の方で人が多くなります。

それ以外は、かなり空いている寺院ですね。

ただ、大徳寺の本山と塔頭が春と秋に特別公開をする時期は、大徳寺境内に人が多くなり、その流れで瑞峯院の拝観者も増える傾向です。

Kico
Kico
人が少ない時に拝観したい方は、大徳寺の本山と塔頭の公開時期をまとめた記事(こちら)を確認いただき、特別公開期間を避けて拝観してみてください。

トイレの有無

  • 拝観者用のトイレあり
    →女性用の洋式2つと男性用
    →とてもきれいなトイレ

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見どころ|大徳寺塔頭・瑞峯院

見どころ1:枯山水「独坐庭」重森三玲作庭

  • 重森三玲が65歳の1961年(昭和36)に作庭
  • 1961年(昭和36)は「京都林泉協会」の30周年と瑞峯院の開祖400年遠忌が重なった記念の年
    →重森が所属する日本庭園の研究団体「京都林泉協会」が会員から寄付金を集め作庭
  • 独坐大雄峰どくざだいゆうほうをテーマにした庭
  • 145坪

大徳寺塔頭・瑞峯院の1番の見どころは、方丈南庭「独坐庭」。

「独坐庭」の読み方は「どくざてい」です。

独坐庭どくざてい」は重森三玲が65歳の1961年(昭和36)に作庭された枯山水庭園。

1961年(昭和36)は、瑞峯院の開祖400年遠忌と重森三玲が所属する日本庭園の研究団体「京都林泉協会」の30周年記念が重なった年でした。

重森三玲は「京都林泉協会」の会員から寄付金を集め作庭しています。

庭園の名前「独坐庭どくざてい」は、中国の仏教書であり禅問答をまとめた記録(公案集)の『碧巖録へきがんろく』の第二十六則「獨坐大雄峯どくざだいゆうほう」にちなんでつけられました。

重森三玲は書籍『京の庭をめぐる』(出版社:白川書院)の中で「独坐庭」についてこのように語っています。

三玲
三玲
あくまでも禅的な立場で豪健な力のある枯山水として構成したのであった。海洋の沖から孤島の連峰が続き、曲線を画いて高山の巨石に線画続くのであり、そこに巨石が天に向かって高く聳えている。従来の日本庭園に全く出現しなかった新感覚を持った積りであり、どこまでも創作に徹してみた。(京の庭をめぐるから抜粋して引用)

この重森三玲の言葉をふまえながら「独坐庭」の鑑賞ポイントを本記事の後半で紹介します。

「独坐庭」の鑑賞ポイントをみる

■独坐大雄峰―(『碧巌録』二十六則)とは
ある修行僧が百丈ひゃくじょう禅師(百丈懐海ひゃくじょうえかい和尚)に「如何なるか是れ奇特の事(この世の中で最も素晴らしい事は何ですか)」と質問した際に、「独坐大雄峯(この大雄峯にどっしりと坐っていることだ)」と答えた問答。(この世で最も素晴らしいことは富や名声ではなく、今のこの瞬間に生き心を落ち着けられていることだと教える問答)

大雄峯だいゆうほうとは
中国の禅僧・百丈禅師がおられた百丈山のこと

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見どころ2:枯山水「閑眠庭(十字架の庭)」重森三玲作庭

  • 重森三玲が65歳の1961年(昭和36)に作庭
  • 1961年(昭和36)は「京都林泉協会」の30周年と瑞峯院の開祖400年遠忌が重なった記念の年
    →重森が所属する日本庭園の研究団体「京都林泉協会」が会員から寄付金を集め作庭
  • キリシタン大名・大友家の菩提寺なので十字架の形に石を配置
  • 縦4個、横3個の石がが十字架の形に組まれているため「十字架の庭」とも呼ばれる
  • 100坪

大徳寺塔頭・瑞峯院の2番目の見どころは方丈北庭「閑眠庭」。

「閑眠庭」の読み方は「かんみんてい」です。

「閑眠庭」も65歳の重森三玲が1961年(昭和36)に作庭しています。

見どころ1で紹介した「独坐庭どくざてい」同様、瑞峯院の開祖400年遠忌と重森三玲が所属する日本庭園の研究団体「京都林泉協会」の30周年記念が重なった年に重森が「京都林泉協会」の会員から寄付金を集め作庭しています。

「閑眠庭」は別名「十字架の庭」とよばれるのですが、縦4個・横3個の石組みをつなぐと十字架が形になるためです。

これは創建者の大友義鎮公(大友宗麟)がキリシタン大名だったことにちなみ重森三玲がこのような配石にしています。

なお、庭園名「閑眠庭」は禅語の「高臥対青山(閑眠高臥して青山に対す)」にちなんで名づけられました。

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見どころ3:襖絵「朝鮮金剛山図」野添平米・筆

  • 襖絵「朝鮮金剛山クムガンサン図」(野添平米・筆)
    →1960年(昭和35年)に瑞峯院の依頼で制作

瑞峯院の見どころ3は、方丈内の襖絵です。

方丈内に大正~昭和に活躍した日本画家・野添平米の襖絵「朝鮮金剛山クムガンサン図」が70面があります。

1960年(昭和35年)に瑞峯院の依頼で制作され、世界的名山といわれる朝鮮の金剛山クンガムザンとその大自然の雄大さが描かれています。

この70面の襖絵は横に並べると60mにも大作で、野添平米の記念碑的作品となっているとのこと。

野添平米のぞえへいべい(1895-1980年没)
滋賀県下笠生れの日本画家。大正2年京都で菊池芳文に師事し、大正7年の芳文没後は菊池契月に師事。大正8年24歳で帝展に初入選以降、帝展・新文展・日展等で活躍。37歳以降朝鮮をたびたび訪れ描く。昭和33年に門下生と共に京都小御所の襖絵を手掛け、昭和35年に大徳寺瑞峯院の襖絵を手掛ける。

ちなみに、通常の拝観時に見られる「朝鮮金剛山クムガンサン図」は仏間がある部屋(室中)の16面です。

方丈「室中」の襖絵
仏間に向かって左6面 仏間前4面 仏間に向かって右6面

ただ、8月12月を除く28日に開催されている「月釜(お茶会)」当日は「室中」の左隣の部屋の襖絵も見るチャンスがあるようです。

非公開・方丈「檀那の間」の襖絵(月釜の日には見られる)
檀那の間と北側の部屋:左側4面 檀那の間と北側の部屋:左側5面

上の写真は、月釜前日の準備日に運よく見ることができた襖絵です。

ちなみに、室町~江戸時代の瑞峯院の方丈には、狩野元信、狩野松栄、土佐光信の襖絵があったようです。

『紫野大徳寺明細記』に「中の間」に狩野元信の墨絵「七賢四皓図しちけんしこうず」、「らいの間」に狩野松栄「花鳥図」、「檀那の間」に土佐光信の「薄彩色堅田ノ図」といった記録が残っているとのこと。

残念ながら、明治初期の廃仏毀釈の頃に瑞峯院の寺宝は売りに出されようで現在は残っていいないうえに、どこにあるのかも分からないそうです。

狩野元信かのう もとのぶ(1476-1559没)
室町時代の狩野派絵師。狩野派の祖・狩野正信の子で狩野派の2代目。
狩野松栄かのう しょうえい(1519-1592没)
安土桃山時代の狩野派絵師。狩野元信の三男。
■土佐光信(1617-1691)
江戸時代初期の土佐派の画家。室町末期以来中絶していた宮廷の絵所預えどころあずかりに復帰し土佐派を復興した人物。

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見どころ4:茶室「安勝軒」

  • 茶室「安勝軒」
    →三畳台目の逆勝手席
    →1928年(昭和3年)表千家第12代惺斎宗匠せいさいしょしゅうの指導の元創建、寄進者は小島弥七
    →茶室の名称は創建者の大友義鎮の時代にあった茶室「安勝軒」からとったもの

大徳寺塔頭・瑞峯院の見どころ4つ目は茶室「安勝軒」。

「安勝軒」の読み方は「あんしょうけん」です。

1928年(昭和3年)表千家の12代目・惺斎せいさいの指導の元つくられた新しい茶室です。

惺斎せいさい(1863-1937)
表千家の12代目宗匠(家元)。表千家11代瑞翁宗左の長男として生まれ30歳で12代目を継ぐ。明治維新後の茶道衰退の時代に復興につとめ大正期の隆盛へと導いた。
■水屋

茶室に付属して作られる茶席の用意をする場所。流し、棚、物入れなどが備えられている。

建物全体は、本席と次の間(三畳)、水屋(三畳)、土間の台所で構成されています。

土間の台所 水屋
次の間 茶室

瑞峯院の茶室「安勝軒」は、三畳台目さんじょうだいもく逆勝手ぎゃくかって(左勝手)席で、大徳寺の本山や他の塔頭にある茶室のなかで唯一の逆勝手だそうです。

三畳台目さんじょうだいめ
通常の畳3枚と約3/4サイズの畳(台目畳み)1枚の広さの茶室の呼び方。棚を置かないことを前提として作られた寸法
■逆勝手席(左勝手)
客が主人の左手に座るかたちの茶席。

茶室「安勝軒」の外観はこちら↓で、重森三玲が作庭した「閑眠庭(十字架の庭)」の奥にあります。


(↑手前の建物の左側部分が茶室)

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歴史・由緒|大徳寺塔頭・瑞峯院

成り立ち・出来事

■室町時代
1535年
(天文4年)
豊後国のキリシタン大名・大友義鎮おおともよししげが大友家の菩提寺として創建
→開山は大友義鎮(大友宗麟)が帰依している大満国師たいまんこくし(徹岫宗九)
みぎてっしゅうそうきゅう

→現在の方丈は1535年創建の時のもので国の重要文化財
※創建年は諸説あり(1535年/1533年/1543年/1552年/1587年)
詳細年不明
※紫野大徳寺明細記の記録あり
大友義鎮おおともよししげ(大友宗麟)が客殿画制作を狩野元信・狩野松栄に依頼
→「中の間」:狩野元信の墨絵「七賢四皓図しちけんしこうず
→「らいの間」:狩野松栄「花鳥図」
※客殿は現在の方丈のこと
■明治時代
明治初期
(廃仏毀釈の頃)
襖絵などの寺宝が売りに出される
→廃仏毀釈により狩野元信、狩野松栄、土佐光信等の障壁画が売りに出されたよう
■昭和・平成
1928年
(昭和3年)
茶室「安勝軒」が作られる
→表千家の12代目・惺斎せいさいの指導の元創建
→小島弥七の寄進
1929年
(昭和4年)
茶室「餘慶庵」が作られる
→ 表千家第8代目啐啄斎の好みの席を写したもの
→小島弥七の寄進
1960年
(昭和35年)
日本画家・野添平米が襖絵「朝鮮金剛山図」を奉納
→瑞峯院の依頼によ方丈の襖絵70枚に水墨画「金剛山図」を描く
→襖絵は画面60mにも及び野添平米の記念碑的作品
1961年
(昭和36年)
「独坐庭」「閑眠庭」を重森三玲が作庭
→開祖・徹岫宗九の400年遠忌記念で作られた
※茶室「餘慶庵」に接した露地庭もこの時作られたが現在は作り替えられ見ることができない
1974年
(昭和49年)
方丈の解体修理
1990年
(平成2年)
茶室「平成待庵」が作られる
→茶室「待庵」(国宝)の写し
→千利休400年遠忌記念で作られた
2018年
(平成30年)
茶室「餘慶庵」の改修工事を実施
→株式会社大山建工が改修を担当

室町時代の「応仁の乱」で大徳寺と大徳寺の塔頭は荒廃し、一休禅師の時代に復興していますが、瑞峯院の詳細は不明です。

また、京都の多くの寺院が江戸時代の「天明の大火」で焼けているのですが、大徳寺は幸運にもその影響を受けていないようです。

天明の大火も大徳寺の手前で火が止まったとか。

大徳寺の本山と塔頭は茶の湯とゆかりが深く、瑞峯院も茶室を多く持ちますがすべて昭和以降につくられた新しいものです。

Kico
Kico
瑞峯院は室町時代の建物が残る点では歴史的価値が高いですが、襖絵や茶室、庭園は新しいものなので、京都の古い寺院巡りを好む方にはちょっと物足りないかもしれませんね。

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レビュー|大徳寺塔頭・瑞峯院

行ってよかったこと

  • 拝観者が少ない中で見学ができること
  • 月釜前日の準備日で普段は見られない部屋の様子が見れたこと

瑞峯院は基本的に拝観者が少ないので、重森三玲の庭をゆっくり見ることができるのが1番の良い点です。

今回はたまたまでうが、月釜準備日で普段は見られない「檀那の間」の襖絵も見られたことはラッキーでした。

残念だったこと

  • 月釜前日の準備日にぶつかり静かに拝観できなかったこと
    →大きな声でおしゃべりしたり廊下をばたばた移動する方がいて禅寺なのに騒がしい状況で非常に残念

これはたまたまなので、常にあることではないですが残念だったことに上げました。

お寺側は特に静かにするよううながしたり、拝観受付で人が多くて騒がしいかもしれないといった案内もなかったので、たまに来る拝観者よりも毎月活動されるお茶のメンバーの方が大切なのかな?と思うととても残念な気持ちになります。

オススメ度

  • オススメ度:

京都で100寺院以上拝観してきてのオススメ度ですが、瑞峯院に関しては★3つです。

室町時代の建物が残ってはいますが、昭和以降の庭園、茶室、襖絵が拝観のメインなので京都全体で考えるとオススメ度は普通です。

重森三玲のファンやお茶室に興味があるわけでなければ、大徳寺の他の塔頭や京都の他の寺院を優先してもいいと感じました。

気に入った寺院には3度4度と足を運ぶ派ですが、瑞峯院で今で見られなかった寺宝などが特別公開しない限りは、もうリピートはしないと思います。

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抹茶とお菓子|大徳寺塔頭・瑞峯院

抹茶と茶菓子の詳細

茶菓子 抹茶
  • 茶菓子:本家玉壽軒の「紫野」2個
    →大徳寺納豆を和三盆と落雁の衣で包んだ一口サイズのお菓子
    →挽茶の緑・きな粉の黄茶色・白の3種類のうちいずれか

瑞峯院でお抹茶をお願いした際のお菓子は本家玉壽軒ほんけたまじゅけんの代表銘菓「紫野」です。

「紫野」は大徳寺納豆を和三盆と落雁の衣で包んだ一口サイズのお菓子で、挽茶の緑・きな粉の黄茶色・白の3種類のうち2つが提供されます。

上の画像の中央の茶色丸が大徳寺納豆です。

大徳寺納豆は大豆を麹菌で発酵させて塩水につけてから天日干ししたものです。

クセが強い味なので好き嫌いが分かれます。

なので、瑞峯院でお抹茶とお菓子を別料金で頼む方は大徳寺納豆が入ったお菓子が出てくることを分かったうえでお願いしたほうがいいと思います。

ちなみに、大徳寺の山門前の道路にあるお店で大徳寺納豆を試食させてくれるところもあるのでそこで味を確認するのもいいですね。

なお、お菓子の名前「紫野」は大徳寺がある地名の「紫野」からつけられています。

Kico
Kico
大徳寺納豆は単に豆がしょっぱいのとはまた違った、塩辛い赤お噌やもろみを凝縮させたような独特の味です。京都ではお茶漬けに入れたり、料理の調味料や隠し味として昔から使われているようです。個人的には大徳寺塔頭・真珠庵さんがフランスの塩を使って作られてる大徳寺納豆が甘味が少しあって好きです。

■本家玉壽軒(創業:慶応元年/1865年)
井筒屋嘉兵衛の屋号で西陣織の織屋を営むかたわら、菓子を商い始めたのが始まり。明治に屋号を玉壽軒と改め菓子づくりを専業に。かつては千本今出川を上がったところで商っていたが、大正5年に現在地(今出川大宮)に移転。建物自体は明治初年頃に建てられた風格ある町屋。なお、千本玉壽軒はのれん分けしたお店。

オススメされる瑞峯院の大徳寺納豆(唐納豆)

お抹茶とお菓子と共に小さな容器(上の写真左)に入った「大徳寺納豆(唐納豆)」をオススメされます。

中身の大徳寺納豆が上の写真の右の茶色く三角っぽい塊です。

瑞峯院では、代々ご住職が「大徳寺納豆(唐納豆)」を手作りして1箱1000円で販売もされています。

■大徳寺納豆(唐納豆)
京都で昔から愛される発酵食品のひとつ。唐から製法が伝わり大徳寺の第47代目住職・一休禅師が大徳寺に伝え室町時代から大徳寺の塔頭で作られるようになった。(現在は瑞峯院と真珠庵)。瑞峯院と大徳寺山門前の通りにあるお店(大徳寺一久、本家磯田、山国屋細見酒店)では通年購入可能。(味や見た目はそれぞれに異なる)。なお、真珠庵は特別公開時に販売される。

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抹茶と茶菓子を頂く部屋

瑞峯院の拝観料とは別料金の500円で頂くお抹茶と茶菓子は、こちらの4畳半の茶室でいただきます。

境内図で場所をお伝えすると↓こちらの黄色い点線で囲んだ場場所です。

こちらの部屋は、2015年に発売された三浦春馬さんの写真集『ふれる』の撮影が行われた場所で、三浦春馬さんもこちらでお茶をいただいていました。

■三浦春馬(1990-2020没):日本の俳優・歌手

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御朱印・御朱印帳・授与所|大徳寺塔頭・瑞峯院

御朱印(種類・値段・タイプ)

大徳寺塔頭・瑞峯院|御朱印
値段 300円
タイプ 直書き

瑞峯院の御朱印は1種類のみで御朱印に直接書いていただける直書きで1枚300円です。

墨の文字は「独坐大雄峰どくざだいゆうほう」と寺名「龍寶山瑞峰院」の朱印のみのシンプルな御朱印です。

独坐大雄峯どくざだいゆうほう」は、瑞峰院の方丈南庭「独坐庭」の名前の元になった禅語です。

■独坐大雄峰―(『碧巌録』二十六則)とは
ある修行僧が百丈ひゃくじょう禅師(百丈懐海ひゃくじょうえかい和尚)に「如何なるか是れ奇特の事(この世の中で最も素晴らしい事は何ですか)」と質問した際に、「独坐大雄峯(この大雄峯にどっしりと坐っていることだ)」と答えた問答。(この世で最も素晴らしいことは富や名声ではなく、今のこの瞬間に生き心を落ち着けられていることだと教える問答)

大雄峯だいゆうほうとは
中国の禅僧・百丈禅師がおられた百丈山のこと

朱印所・受付時間

大徳寺塔頭・瑞峯院|朱印所
場所 拝観受付
受付時間 拝観時間内(9:00~17:00)

瑞峯院の御朱印は拝観受付でいただけます。

拝観受付に人がいない場合は右側にある鐘を鳴らして人を呼びます。

Kico
Kico
京都のお寺では鐘を鳴らして人を呼ぶスタイルが定番です。初めてだと本当にならしていいかドキドキするかもしれませんが心配不要です。中の人に聞こえるようしっかり鳴らしましょう!

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授与品(物販)|大徳寺塔頭・瑞峯院

絵葉書(値段と内容)

  • 絵葉書:8枚セット400円

瑞峯院の拝観受付で絵葉書セットが購入できます。

ちなみに、瑞峯院は原則写真撮影可能です。

絵葉書セットのうち↓こちらの「A」「B」「C」は通常拝観時に撮影できない場所や寺宝です。

Cは「大友宗麟像」です。残念ながら通常拝観時には見ることができません。

Bは「平成待庵」で、こちらは事前予約(拝観料1500円・法話と抹茶と菓子付き)で中を見ることができます。

Aはおそらく「平成待庵」に向かう途中の茶庭(露地)で、この角度からの撮影はできないのではないかと思われます。

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大徳寺納豆

  • 大徳寺納豆:1箱1,000円
    →瑞峯院住職の手作り

実際の箱の写真が無くて紹介できないのですが、「唐納豆」とお寺の印が押された白い箱がパッケージです。

容量は不明です。次回拝観時に聞いてみたいと思います。

なお、集英社の「Ore Age」の記事(こちら)で作り方や商品が紹介されているので興味がある方はご覧ください。

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書籍

書籍名 <シリーズ京の庭の巨匠たち 1>重森三玲
‐永遠のモダンを求めつづけたアヴァンギャルド
価格 販売価格2500円(定価:2381円)
項目名 A4変判 120ページ
サイズ・ページ 京都通信社
掲載庭園 東福寺方丈「八相の庭」/ 東福寺 光明院「波心の庭」/  龍吟庵「龍吟庭」「不離の庭」「無の庭」/  善能寺「仙遊苑」/ 光清寺「心和の庭」と「心月庭」/ 瑞峯院「独座の庭」と「閑眠の庭」/ 瑞応院「如々庭」と「楽紫庭」/  旧重森邸(重森三玲庭園美術館)「無字庵庭園」/  石清水八幡宮「社務所の庭」と「鳩峯寮」/  貴船神社「天津磐境」/ 松尾大社「曲水の庭」と「上古の庭」/  正伝寺「獅子の児渡し」庭園/  芬陀院「雪舟の庭」/ 霊雲院「九山八海の庭」「臥雲の庭」

※記事掲載時の情報

瑞峯院では、重森三玲が京都に作庭した庭園の写真をまとめた書籍を購入できます。

瑞峯院での販売価格は2500円です。

Amazonや楽天でも購入できますが、瑞峯院の方がお安い印象です。

 

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茶室「平成待庵」の詳細|大徳寺塔頭・瑞峯院

「平成待庵」の写真

こちら↑が瑞峯院の茶室「平成待庵へいせいたいあん」の写真です。

1990年(平成2年)の「利休400回忌」に有志が集まって建てられた新しい茶室です。

瑞峯院の「平成待庵」は、東福寺派寺院「妙喜庵みょうきあん」(京都府乙訓郡)にある茶室「待庵」の写しです。

妙喜庵の茶室「待庵」は、1583年頃に千利休本人が作ったとされ、国宝に指定されています。

国宝・茶室「待庵たいあん
山崎の合戦の際に豊臣秀吉の命で千利休がつくったと伝わる茶室(1583年頃建立)。日本最古の茶室建造物。江戸時代に刊行された観光ブック『都林泉名勝図会みやこりんせんめいしょうずえ』でも紹介されている。慶長年代(1596~1615)に妙喜庵へ移築され現在にいたる。

写しと言っても、「妙喜庵」に現存するものをそのままそっくり作ったのではなく、後世に伝わっている文献や図面を基に、再現しているので現存する「待庵」とはサイズなどが異なる部分があります。

瑞峯院の「平成待庵」と本家「待庵」との違い

瑞峯院の「平成待庵」 妙喜庵の国宝「待庵」
床畳 4.79×2.31尺 3.82×2.32尺
床框~落掛 4.71尺 4.71尺
床天井高(床畳面~床天井) 6.14尺 5.31尺

(論文「近現代の待庵の写し茶室における継承と創意に関する研究」より)

前述した通り、瑞峯院の「平成待庵」は、後世に伝わっている文献や図面を基につくられたので本家の「待庵」と上記の違いがあります。

また、上記以外にも瑞峯院の「平成待庵」には、躙り口前の内露地がありますが、妙喜庵の国宝「待庵」にはないといった違いがあります。

現在、妙喜庵にある国宝「待庵」も元々は京都の山崎の別の場所にあったものを移築したもので、妙喜庵の境内の中でも何度か場所を変えて移築しているそうです。

そして、移築時の組み立ての際にその時の流行が取り入れられて1583年頃に造られたものとは姿を少し変えているとのこと。

瑞峯院の「平成待庵」と本家「待庵」拝観方法

瑞峯院の「平成待庵」 妙喜庵の国宝「待庵」
拝観料

1,500円 1,000円
※抹茶と茶菓子、住職の法話、通常拝観エリアの拝観料含む ※境内の拝観含む
公開日 通年
※住職の都合による
日曜の午前中のみ
※休止日あり
予約方法 電話で事前予約
(075-491-1454)
往復はがきで
希望日の1か月くらい前に申し込み
公式サイトの予約方法参照)

瑞峯院の「平成待庵」の外観は通常拝観時にちらっと見える程度ですが、事前予約で内部の拝観が可能になります。

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当日の様子を写真で紹介|大徳寺塔頭・瑞峯院

瑞峯院には何度か訪問していますが、今回は2024年4月に拝観した際の写真をもとに紹介します。

順路1:表門から拝観受付

・表門:1535年(天文4年)建立(重要文化財)

こちら↑が大徳寺塔頭・瑞峯院の入口「表門」です。

室町時代に造られたもので重要文化財にしていされています。

表門をくぐって拝観受付を目指します。

瑞峯院の前庭は、青竹の結界に縁取られた石畳が続きます。

上の写真の正面にあるのが唐門で、こちらも室町時代のもので重要文化財です。

唐門の後ろには重森三玲が作庭した「独坐庭どくざてい」があります。

唐門は帰りにゆっくり見学することにして、引き続き拝観受付をめざします。

こちら↑が拝観受付がある庫裏くりの玄関です。

屋根にふっくら丸みがあるので二条城の御常御殿おつねごてんを思い出します。

■庫裏(庫裡):寺院の台所や僧侶が居住する場所

屋根には立派な鬼瓦と「香積」の扁額へんがく

残念ながらこちらの扁額がどういった経緯でここにあるのかは不明です。

扁額へんがく
神社の鳥居や社殿や寺院の本堂などに掲げられている看板のこと。
神社の扁額は「神額」、寺院の扁額は「寺額」、天皇の直筆による扁額は「勅額ちょうがく」と呼ぶ

こちら↑が玄関の入口。中に入って右側が拝観受付、左側が下駄箱です。

こちら↑が拝観受付。人がいない場合は右側の鐘を鳴らして呼び出します。

右奥にある箪笥がかなり風格があってカッコいいですよね。

奥の火灯窓かとうまども素敵です。

火灯窓かとうまど(花灯窓/華頭窓/架灯窓)
寺社建築・城郭建築・住宅建築などに見られる上枠を火炎形(火灯曲線)または花形(花頭曲線)に造った特殊な窓。

拝観受付を済ませるとパンフレットをいただけます。

受付を済ませたら靴を下駄箱に預け、庫裏の廊下にあがります。

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順路2:拝観受付から方丈

瑞峯院の庫裡くり玄関は、真っ赤な渋い杢目の廊下と花梨カリンの衝立がとても印象的です。

どちらも艶やかでとてもきれいです。

京都で100寺院以上拝観してきましたが、庫裏の廊下がこんなに美しいのは瑞峯院だけだと思います。

庫裡の玄関廊下に上がったら、ぜひ灯頭窓の中にいらしゃる「韋駄天いだてん像」もチェックしてください。

京都の主に禅宗寺院の庫裡には韋駄天いだてんさんがお祀りされています。

「韋駄尊天(韋駄天)」には、盗難除け・火難除け・身体健全(特に足腰)・仏教守護・伽藍守護・厨房守護の功徳があります。

庫裡はお寺の台所なので、火難除け・厨房守護の意味合いが強いと思われます。

Kico
Kico
大徳寺の他の塔頭だと「黄梅院」も庫裏で韋駄天像を見ることができますよ。

さて、次は庫裡玄関の隣(下駄箱の裏側に当る部屋)にある茶室へ。

こちらの茶室は、拝観料とは別にお抹茶の券(400円)を購入した際に、お抹茶とお菓子を頂く部屋です。

お抹茶と茶菓子詳細をみる

上の写真の、中央の左上にある白い箱の下にはいろり)があります。

炉が見える写真も紹介しますね。↓こちらが炉が出ている部屋の様子です。

お抹茶の券を購入していない場合に入っていいのか分からなかったので、この日は廊下から部屋の中をのぞき見しました。

茶室をのぞいたら、庫裏廊下から方丈へ向かいます。

方丈に続く廊下で上を見あげると達筆な文字が書かれた扁額が。

一瞬「巽」と書かれているのかと思いますが、おそらく「ひとつ我大たいが」だと思われます。

「我大」とは仏教用語で「狭い見解や執着から離れた自由自在の悟りの境地」という意味です。

「こういう気持ちで本尊にお詣りして庭と自分を見つめましょう」という意味で、方丈に入る前に飾ってあるのだと思います。

今度は、順路の案内に従って左に曲がります。

左上を見上げると鐘があり、正面には唐門の屋根が見えます。

Kico
Kico
お寺では法要や行事などが始まる合図に鐘を鳴らすので、どこのお寺にも鐘が吊るされています。

左側には井戸があります。

瑞峯院内だけでも4つの井戸があって今も水をくむことができるそうです。

こちら↑が瑞峯院の方丈南側です。

お寺では法要や行事などが始まる合図に鐘を鳴らすので、どこのお寺にも鐘が吊るされています。

Kico
Kico
枯山水「独坐庭」の砂紋による波紋が躍動的ですね!

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順路3:方丈「室中」内

  • 方丈:1535年(天文4年)創建

瑞峯院の方丈は室町時代の1535年(天文4年)創建された重要文化財です。

通常拝観時は、南側中央の部屋「室中しっちゅう」が公開され、中に入って仏間や襖絵を見ることができます。

室中しっちゅう」の中に入る前には、ぜひ上を見上げて扁額へんがくを確認してみてください。

こちら↑の扁額「瑞峯院」は、第105代天皇・後奈良天皇の宸筆しんぴつ(天皇の自筆)です。

後奈良天皇ごならてんのう(1497- 1557没)
日本の第105代天皇。室町時代に在位。(在位: 1526年6月9日- 1557年9月27日)。
扁額へんがく
神社の鳥居や社殿や寺院の本堂などに掲げられている看板のこと。
神社の扁額は「神額」、寺院の扁額は「寺額」、天皇の直筆による扁額は「勅額ちょうがく」と呼ぶ

こちらが瑞峰院の仏間。

中央には、瑞峯院の開祖 徹岫宗九てつしゅうそうきゅうの木像が安置されています。

アップにするとこちら↓。

木像の上にある扁額の文字「普應ふおう」は、おそらく、開祖・ 徹岫宗九てつしゅうそうきゅう諡号しごう普応大満国師ふおうたいまんこくし」の「普応」だと思います。

■諡号(しごう):貴人や高徳の人に、死後おくる名前

なお、瑞峯院の本尊は「観音菩薩」ですが、拝観時にお姿を見ることはできませんでした。

仏間の上には、何やら達筆な文字が彫られた板が飾られていますがこちらが何かは、残念ながら不明です。

アップにすると↓こちら。

Kico
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過去に拝観した寺院だと、仏間のこの位置にある木板は帰依した人の名前が書かれたり、開山もしくは過去の住職が規律のようなものを書いたものが飾られていました。なので、そういった類の木板ではないかな?と思ってます。

仏間の左右には、座禅の際に肩をピシャっとたたく「警策(けいさく/きょうさく)」が飾られていました。

右の「警策(けいさく/きょうさく)」がある柱には達筆な文字が書かれた細長い木の板があります。

「文明三年」以降は、ところどころしか書かれた文字が理解できずでした。なお、文明3年は戦国時代の1471年です。

方丈内には、大正~昭和に活躍した日本画家・野添平米のぞえ へいべいの「朝鮮金剛山図」が16面おさめられています。

野添平米のぞえへいべい(1895-1980年没)
滋賀県下笠生れの日本画家。大正2年京都で菊池芳文に師事し、大正7年の芳文没後は菊池契月に師事。大正8年24歳で帝展に初入選以降、帝展・新文展・日展等で活躍。37歳以降朝鮮をたびたび訪れ描く。昭和33年に門下生と共に京都小御所の襖絵を手掛け、昭和35年に大徳寺瑞峯院の襖絵を手掛ける。

襖絵については見どころ3で詳しく紹介しましたが、1960年(昭和35年)に瑞峯院の依頼で制作され、全70面の大作です。

残念ながら、通常拝観時には方丈南側中央の「室中」にある16面のみ見ることができます。

前述していますが瑞峯院で毎月28日(8月・12月を除く)に行われる月釜の日には「檀那の間」とその北側の部屋の襖絵も見ることができます。

非公開・方丈「檀那の間」の襖絵(月釜の日には見られる)
檀那の間と北側の部屋:左側4面 檀那の間と北側の部屋:左側5面

運が良ければ月釜前日の準備中に見られることもあります。

上記の写真は月釜前日に運よく廊下から覗き見させてもらったものです。

室中

瑞峯院の方丈は、各部屋が壁で仕切られ欄間も美しいです。

「室中」から外を見ると↑こんな感じで庭が絵画のようで美しいです。

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順路4:方丈南「独坐庭」

さて、方丈「室中」を出たら瑞峯院1番の見どころ「独坐庭どくざてい」が広がります。

65歳の重森三玲によって、1961年(昭和36)に作庭されています。

独坐庭どくざてい」の名前の由来やどういった経緯で作庭されたかは見どころ1で紹介したので、ここでは割愛します。

見どころ1を見る

独坐庭どくざてい」の左側(東側)には唐門↑があります。

唐門側から見た「独坐庭」はこちら↑。

ちなみに塀の奥に見える建物は、お隣の大徳寺塔頭・大慈院(非公開)のものです。

こちら↑は方丈の廊下の右側(西側)から見た「独坐庭」。

白砂をまたぐ石橋があります。

白砂をまたぐ石橋の先には飛び石があり、その奥に左右に広がる敷石があるので、生垣の裏側を歩けるようになっているようですね。

こちら↑は「独坐庭どくざてい」の庭園右端(西側の端)で、苔と白砂で海の州浜すはまを表現しています。

こちら側は、白砂が表す海も静かな落ち着いた印象ですね。

州浜すはま
庭園用語では曲線を伴った広い砂浜をデザイン化したもの

飛び石は、茶室「餘慶庵よけいあん」へと続いています。(上の写真の右上が茶室)

なお、茶室「餘慶庵よけいあん」は外観のみの見学で通常拝観時には中に入れません。

ただ、毎月28日(8月・12月を除く)の月釜(お茶会)は、茶室「餘慶庵よけいあん」で開かれるので、拝観料とは別に月釜のお茶席代(2000円)を支払うと中の見学も可能です。

ここで少し「独坐庭」の鑑賞ポイントを紹介します。

興味がない方は読み飛ばして順路5へ進んでください。

順路5へ進む

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鑑賞ポイント「独坐庭」

鑑賞ポイント1:世界観をチェック

  • 鑑賞ポイント1:世界観をチェック
    →不老不死の仙人が住む島(蓬莱島)にそびえる山々「蓬莱山」と海を表現

寺院の方丈前庭園は仏教に伝わる神々の世界が表現されるのですが、瑞峯院の方丈南庭「独坐庭」は、不老不死の仙人が住む島(蓬莱島)にそびえる山々「蓬莱山」と海が表現されています。

庭の南西にある小高い苔の山(築山の苔地)の角に尖った巨石ふが立ち、その前に2つの小さな石が2つ。

小高い苔の山から東に向かって伸びる細長い苔地の出島と白砂の中に石が配されています。

白砂の砂紋は、蓬莱島と小島に打ち寄せる荒波を表現しています。

白砂の波紋は唐門側から見た方が、波の力強さが感じられるのでぜひこちらからも見てください。

この砂紋は、ご住職がメンテンナンスをされていて、金属の熊手を使って40分かけて描くそうですよ。

Kico
Kico
現在の独坐庭の砂紋は重森三玲が作庭した当初のものとは違う模様だそうです。現存する重森三玲の庭の多くが当初の砂紋とは異なるようです。やはりご住職が日々メンテナンスをする際に描きやすいものに変わっているのでしょうね。できればすべての庭で作庭当初の砂紋を見てみたいものです。

鑑賞ポイント2:石組の見立てに思いを馳せる

  • 鑑賞ポイント2:石組の見立てに思いを馳せる
    →見立て①:中国の名僧・雲門禅師が独坐する姿
    →見立て②:雲間から現れた龍の姿

瑞峯院の「独坐庭」の石は、「中国の名僧・雲門禅師が独坐する姿(ただひとり座る姿)」や「雲間から現れた龍の姿」に見立てることができます。

■雲門禅師
雲門文偃うんもん ぶんえんのこと。唐末から五代(864 – 949)にかけて活躍された名僧。中国禅界の巨匠。

個人的には、雲間から現れた龍の姿がしっくりきます。

龍は仏教の守り神であり、雨や雲をつかさどり寺を火事から守ってくれる存在です。

重森三玲の庭で龍の石組があるのは、大徳寺塔頭龍吟庵の方丈西庭「龍門の庭(西庭)」です。

龍吟庵については↓こちらの記事で庭園についても詳しく紹介しています。

霊雲院(東福寺)の見どころ・御朱印・拝観情報|重森三玲の「九山八海の庭」「 臥雲の庭」だけじゃない魅力も紹介(公開日・拝観料・拝観ルート・レビュー)東福寺の塔頭「霊雲院(れいうんいん)」は、昭和の名作庭家・重森三玲が復原した「九山八海の庭」と新たに作庭した「臥雲の庭」があり、不定期で...

鑑賞ポイント3:「檀那の間」からの眺めをチェック

  • 鑑賞ポイント3:「檀那の間」からの眺めをチェック
    檀那の間は檀家用の応接間でこの前に庭の見せ場をおく

こちら↑が「檀那だんなの間」の前からみた「独坐庭どくざてい」です。

寺院の方丈は「檀那だんなの間」に、檀家さんなどお客様を通すので「檀那の間」の前に庭園の見せ場を置くそうです。

Kico
Kico
通常拝観時は「檀那だんなの間」には入れないので、廊下内のギリギリ下がれるところから撮影してみました。

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順路5:方丈東「露地」と茶室「餘慶庵」

「独坐庭」の次は、方丈の東側の廊下へと進みます。

  • 茶室「餘慶庵よけいあん」:1929年(昭和4年)建立
    →表千家の12代目・惺斎せいさいの指導の元創建
    →小島弥七の寄進
  • 露地(茶室前庭):作庭年不明
    →かつては重森三玲が手掛けた独創的な路地だったが現在の形に作り替えられた

方丈の東側には茶室「餘慶庵よけいあん」と「露地(茶室前庭)」があります。

茶室「餘慶庵」の内部は非公開なので、ここから外観を見るのみになります。

ただ、毎月28日(8月・12月を除く)の「月釜つきがま(お茶会)」は、茶室「餘慶庵よけいあん」で開かれるので、拝観料とは別に月釜のお茶席代(2000円)を支払うと、餘慶庵の中も見ることができます。

ここの露地(茶室前庭)は、かつては「独坐庭」「閑眠庭」同様、重森三玲が手掛けた独創的なものでした。

どのようなものだったかというとこちら↓。


(出典:重森千青サイト

重森三玲が手掛けたときには、上の写真のように一木一草を使わず敷石と立手水鉢のみを使った非常に独創的な露地でした。

この独像的な路地は、日本での評価だけでなく海外で出版されたている日本庭園の書物でもたびたび紹介されるほど、高い評価が寄せられいたそうです。

上の写真は重森三玲の孫・重森千青さんのサイト(こちら)に掲載されていました。

Kico
Kico
重森千青さんは三玲の庭が作り替えられたことを残念に思われているようで、結構辛辣なことが書かれていてちょっとびっくりしました。

なぜ、今の路地に変えられてしまったのか、いつ変わったのかは不明です。

調べてみると重森千青さんの記事が2001年頃のもののようなので、2000年の少し前に変わってしまったのではないかと思われます。

Kico
Kico
あまりにも斬新的だったので、檀家さんや表千家から何か言われたのでしょうか。重森三玲ファンとしては、かつての斬新な露地を見てみたかったですね。

茶室の扁額には「餘慶庵」と書かれています。

建物には簾がかかているので、どのような雰囲気なのかは分かりませんでした。

廊下を進んでいくと、茶室「餘慶庵」の 腰掛待合↑があります。

こちら↑は、茶室「餘慶庵」の出入口。

この日は月釜の前日で準備のために扉が開いていましたが、通常は閉じられています。

 ちょっと中をのぞかせていただきました。こちらは、広めの台所があるようですね。

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順路6:「平成待庵」外観

先ほどの茶室「餘慶庵」の出入口から、順路を進む前に茶室「平成待庵」をチェックしてみてください。

手前の飛び石が続く方向に茶室「平成待庵」がちらっと見えます。

通常拝観では茶室「平成待庵」の中は見学できませんが、上の写真のようにちらっと建物が見えます。

茶室「平成待庵」の詳細を見る

順路7:方丈北庭「閑眠庭(十字架の庭)」

方丈の西側の廊下を進むと瑞峰院の2番目の見どころ「閑眠庭(十字架の庭)」があります。

庭園の向かい側の建物は、この後の順路で中を見学する茶室「安勝軒」です。

「閑眠庭(十字架の庭)」は、65歳の重森三玲によって、1961年(昭和36)に作庭されています。

「閑眠庭(十字架の庭)」の名前の由来やどういった経緯で作庭されたかは見どころ2で紹介したので、ここでは割愛します。

見どころ2を見る

「閑眠庭(十字架の庭)」は、瑞峯院の創建者・大友義鎮公(大友宗麟)がキリシタン大名だったことにちなみ、石を線でつなぐと十字の形になっています。

廊下を進み反対側から見た「閑眠庭かんみんてい」はこちら↑。

石を線でつなぐとこんな感じです↑。

日本庭園(枯山水)に、意図して十字架を作りキリシタンをテーマに造ったのは日本で重森三玲が初だとか。

Kico
Kico
重森三玲が新たに作庭した庭にしては非常に大人しい庭の印象です。教会で十字架を胸に静かに祈る静寂を表すためにあえてこのように作ったのかと想像します。

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順路8:茶室「安勝軒」内部

さて、「閑眠庭」を後にし順路にあわせた廊下を進むと、左右に廊下が分かれるので左に進みます。

この渡り廊下の先に茶室「安勝軒」があります。

渡廊下の先、建物内の廊下の左側に茶室「安勝軒」があります。

茶室「安勝軒」は、1928年(昭和3年)に表千家第12代惺斎宗匠せいさいしょしゅうの指導の元に創建されています。

詳細は見どころ4で紹介したのでここでは割愛して写真をいろいろ紹介します。

見どころ4を見る

↑こちらが茶室「安勝軒」の出入口。手前の板の部分は、土間の台所です。

土間の台所部分の右には衝立、左には棚がありました。

土間の台所の次の部屋は「水屋」です。↑こちらの写真の結界より手前の部屋。

お茶を点てる準備をしたり片付けたりする場所です。

3畳分の広さで左側が押し入れ、右側に水屋棚と収納があります。

↑こちらは水屋棚。

次の部屋は「次の間」です。壁のアーチ型の窓より手前の部屋が「次の間」。

この部屋にも「炉」があります。

上の写真で正方形の板が見えている場所が「炉」です。(上に竹のオブジェが置かれてる場所)

ちなみに、この「次の間」の右にある扉の奥に、茶室「平成待庵」へ続く廊下があります。

↑ここがメインの茶室部分。三畳台目の逆勝手席。

実際にお茶席をするときには、左側に襖を2枚はめるようです。

三畳台目さんじょうだいめ
通常の畳3枚と約3/4サイズの畳(台目畳み)1枚の広さの茶室の呼び方。棚を置かないことを前提として作られた寸法
■逆勝手席(左勝手)
客が主人の左手に座るかたちの茶席。

土間の台所 水屋
次の間 茶室

茶室の見学が終わったら、先ほどの渡廊下から方丈の廊下に戻ります。

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順路9:キリシタン灯篭と坪庭

こちらは方丈の西側にある坪庭。

こちらの灯篭は「キリシタン灯篭」と呼ばれ、織部型石灯篭に分類されます。

灯篭の竿の部分(地面と設置する柱部分)に丸いふくらみがあるものが、古田織部が好んだので「織部型石灯籠」、「織部灯籠」と呼ばれます。

キリシタン灯篭の場合、竿の丸いふくらみに「LIFE」と文字があったり、竿の下の方にマリア像が彫られることが多いのですが、瑞峰院の灯篭は見当たらずです。

三玲
三玲
灯篭について調べていくと「織部灯篭」にはもともと竿部分に人物が彫り込まれているものがあり、この人の部分を大正時代末期にカトリック教会の聖人像になぞらえる見方が出てきて、「キリシタン灯篭」と呼ぶようになったそうです。

ちなみに、子の灯篭が向く方向の先と「閑眠庭」の縦の石組がい直線に並んでいるそうです。

坪庭まで見たら、拝観受付以降の公開エリアを一周したことになります。

今度は外にでて、唐門を見に行きます。

庫裡に戻る扉には、瑞峯院の絵葉書と茶道教室の案内がありました。

絵葉書についてはこちらで詳しく紹介しています。

三玲
三玲
せっかく京都に移住したのでお茶を習ってみたいですが、なかなか重い腰が上がらずです。自分のお気に入りの寺院で茶道を習えたら最高ですよね!

拝観受付に戻ってきました。

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順路10:唐門

唐門は庫裏を出て、右の方へ進みます。

↑こちらの先にあるのが唐門。

どっしりとした印象を受ける唐門ですね。

唐門も室町時代からのもので重要文化財に登録されているとのこと。

ただ、国指定の重要文化財のデータベースで検索しても出てこないのでちょっと謎です。

境内の拝観場所は以上なので、最後に表門を見学して終わりです。

敷石の道を戻ります。

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順路11:表門

  • 表門:棟門、切妻造、檜皮葺

こちらも室町時代のもので、1962年(昭和37年)に重要文化財に登録されています。

棟門むねもん」と呼ばれるタイプで、日本の公家や武家の邸宅や寺院の塔頭などで用いられた2本の門柱(本柱)に切妻屋根を設けている門です。

ランプがある部分が瓢箪型にくりぬかれています。

Kico
Kico
表門は室町時代に造られているので豊臣秀吉を表す瓢箪ではなく、単に縁起のいい吉祥模様として使われているのかな?と思います。

拝観受付時間が終了してから外に出るときは、門がと閉じられて横の小さな出入口からでることになります。

以上が、瑞峯院の通常拝観の紹介でした。

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交通アクセス|大徳寺塔頭・瑞峯院

最寄り駅(バス・鉄道)

大徳寺塔頭「瑞峯院(ずいほういん)」表門まで
最寄り駅(バス) ・市バス「大徳寺前」下車、徒歩約6~7分
※大徳寺の「総門」を通ると約6分
※大徳寺の「南門」を通ると約7分
・市バス「北大路堀川」下車、徒歩約、徒歩約
最寄り駅(鉄道) ・地下鉄烏丸線「北大路」駅下車、徒歩約21分
※「北大路」駅で市バスに乗り換えて「大徳寺前」で降りることも可能
住所 京都府京都市北区紫野大徳寺町81

京都駅から

京都駅から瑞峯院に行く場合タクシーが1番楽で速いです。(乗車時間約20~25分)

公共交通機関を使うなら次の方法です。

京都駅からバスのみで行く場合

  1. 市バス9系統 ※バスの乗車時間は約30分(21駅)+徒歩約15分
    ⇒京都タワー側のバスターミナル「B1のりば」で市バス(9系統)乗車後、「北大路堀川」で下車し、そこから徒歩約15分で瑞峯院
  2. 市バス206系統 バスの乗車時間は約40分(23駅)徒歩約6分
    ⇒京都タワー側のバスターミナル「A3のりば」で市バス(206系統)乗車後、「大徳寺前」で下車し、そこから徒歩約6分で瑞峯院
  3. 市バス205系統 ※バスの乗車時間は約50分(27駅)徒歩約6分
    ⇒京都タワー側のバスターミナル「B3のりば」で市バス(205系統)乗車後、「大徳寺前」で下車し、そこから徒歩約6分で瑞峯院

京都駅からバスで向かうのは時間が非常にもったいないのでオススメできません。

京都駅から電車とバスで行く場合

  1. 地下鉄烏丸線⇒北大路バスターミナルで市バス(1、204、205、206系統) 
    ⇒京都駅で地下鉄烏丸線に乗車し「北大路」駅で下車後、北大路バスターミナルに移動し、市バスに乗車して「大徳寺前」で下車、そこから徒歩約6分で瑞峯院
    ※北大路駅からバスターミナルは徒歩で約4分

地下鉄の乗車時間は約8分(7駅)、バスの乗車時間は約5分(3駅)でトータル25~26分で「大徳寺前」のバス停まで行けます。

地下鉄と市バスで行くなら、時間的にはタクシーとあまり変わらずに行けます。

なお、京都駅からJRを使う場合「二条」や「円町」駅から市バスに乗り換える方法もありますが、地下鉄烏丸線ルートの方が5分程早く着きます。

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大徳寺・山内での瑞峯院場所(境内図あり)

  1. 市バス「大徳寺前」⇒大徳寺「総門」⇒瑞峯院の「表門」ルート
    ⇒徒歩約6分のルート
    ⇒バス停から「総門」まで徒歩約4分、「総門」から瑞峯院の「表門」まで約2分
  2. 市バス「大徳寺前」⇒大徳寺「南門」⇒瑞峯院の「表門」ルート
    ⇒徒歩約7分のルート
    ⇒バス停から「南門」まで徒歩約3分、「南門」から瑞峯院の「表門」まで約3分

大徳寺塔頭・瑞峯院は大徳寺山内の南側にあります。(上の山内図の赤枠)

大徳寺山内に入る入口は5か所ありますが、瑞峰院に行く場合はメインの「総門」か「南門」から向かいます。

初めて大徳寺に訪れるなら、メインの「総門」を通るコースが大徳寺前のお店も見られるのでオススメです。

何度も行ってる方なら「南門」から行く方が体感的に早く感じると思います。

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