東福寺の塔頭「霊雲院(れいうんいん)」は、昭和の名作庭家・重森三玲が復原した「九山八海の庭」と新たに作庭した「臥雲の庭」があり、不定期で公開されています。
霊雲院は紅葉シーズンでも拝観者が少なく非常に素晴らしい庭園を静かにじっくり見られるだけでなく、幕末から明治の激動の歴史などにも触れられるオススメの場所です。
本記事では霊雲院の庭園とその他の魅力について公式サイトでは分からない詳細を写真と図解で紹介していきます。
では、目次を開いて気になる項目から読み進めてください。
(項目をタップ・クリックすると該当箇所にスクロールします)
拝観基本情報|霊雲院・重森三玲庭園 (東福寺塔頭)
公開日・拝観時間・拝観料金
東福寺塔頭「霊雲院(うんれいいん)」拝観基本情報 | |
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公開日 | 不定期(事前予約も可能) →公式サイトのお知らせ(こちら)で随時公表 →公表日も天候や寺院都合で急遽変更になることあり ※確実に拝観したい方は予約も可能 |
拝観時間 | 10:00~15:00 ※10:30~14:00(13:30最終受付)になることも多々あり |
拝観料 | ・大人 500円(高校生以上) ・中学生300円 ※団体割引・障碍者割引なし ※12歳以下の拝観は不可(保護者同伴でも不可) |
東福寺塔頭の霊雲院は不定期での公開で、公開日のお知らせも随時となっています。
事前予約方法(希望者のみ)
東福寺塔頭「霊雲院(うんれいいん)」拝観基本情報 | |
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拝観の 予約方法 ※希望者 |
確実に拝観したい方は次のステップで事前予約も可能です STEP1:メールまたは電話にて次の3点を連絡 ①希望時間②氏名③当日の連絡先 STEP2:寺院より確認の連絡 ※電話での予約や問い合わせ時間は9時〜14時の間 ※TEL:075-561-4080、問い合わせフォームはこちら |
霊雲院公式サイトには次のように記載があり事前予約も可能な状況です。
寺院の都合や天候により、時間変更等ございます。確実に拝観されたい場合は、お問い合わせよりメール又はお電話にて、ご予約をお願い致します。(ご希望時間、お名前、当日の連絡先をご記入いただき、寺院よりご確認のご連絡を致します。尚、お電話でのご予約やお問い合わせ時間は9時〜14時の間にお願い致します)
引用元:公式サイトお知らせ2024年6月
公開エリア(間取り・拝観ルート図あり)
東福寺塔頭「霊雲院(れいうんいん)」庭園公開 | |
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重森三玲の庭園 | ・「九山八海の庭」 →江戸後期に作庭され、荒廃した庭を重森三玲が修復(1970年・昭和45年) →江戸時代の1799年(寛政11年)刊行の『都林泉名勝図会』で紹介された庭 ・「臥雲の庭」 →重森三玲・作庭(1970年・昭和45年) |
茶室と前庭 | ・茶室「観月亭」(外観のみ) →太閤秀吉の北野大茶会当時のものを移築したもの ・観月亭前庭 |
書院内展示など | ・装飾:重森三玲の書など(上の画像①~③) ・展示:日露戦争で捕虜となったロシア兵が残した楽器の展示(上の画像④) ・部屋:西郷隆盛と僧侶・月照の密談部屋(平成25年に再現) |
境内 | ・願王殿 |
東福寺塔頭の霊雲院では、庭園以外にも書院(本堂)内に様々な展示品があります。
山門 | 重森三玲の書 | ロシア兵の楽器展示 | 仏間 |
九山八海の庭 | 臥雲の庭 | 茶室「観月亭」 | 西郷隆盛密談の部屋 |
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撮影の可否
- 庭園・室内共に撮影OK
特に撮影NGの案内はなく、庭園・室内共に撮影可能でした。
※撮影の可否については変更になることがあります。拝観時の指示に従ってください。
トイレの有無
- 拝観者用のトイレあり
→書院奥の廊下に男性専用1室、男女共用1室
男性専用トイレ | 男女兼用トイレ |
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歴史・由緒|霊雲院・重森三玲庭園 (東福寺塔頭)
成り立ち・出来事
■室町時代 | |
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1390年 (明徳元年) |
臨済宗の僧・岐陽方秀が創建し隠居 →創建当初は「不二庵」の名称 |
1473年 (文明5年) |
霊雲院に名称が変わる →理由は不明 |
■江戸時代 | |
寛永年間 (1624~1644) |
湘雪守沅が7代目の住職就任時に肥後国熊本藩初代藩主・細川忠利、光尚父子から「遺愛石」が贈られる →細川忠利は細川ガラシャの子 →細川父子は500石の禄を送ろうとしたが湘雪が「出家の後、禄の貴きは参禅の邪気なり。庭上の貴石を賜れば寺宝とすべし」と答え、「遺愛石」が送られることとなる →「遺愛石」は「九山八海の庭」の中央に配石される |
1799年 (寛政11年) |
江戸時代の刊行の『都林泉名勝図会』に庭園が紹介される →「都林泉名勝図会」は江戸時代の京都観光ガイド |
幕末 (1853 ~1868年頃) |
西郷隆盛と攘夷派の僧・月照が密議を交わす |
■近代 | |
1905年3月 ~1906年11月 (明治38~39年) |
日露戦争時にロシア兵の捕虜収容所となる →60人のロシア兵が8ヶ月に渡って滞在 →ロシア人捕虜たちが故郷を想って霊雲院の木で弦楽器を作っていた (現在書院に展示) |
1970年 (昭和45年) |
重森三玲により「九山八海の庭」を復原 →300年の歳月で荒れ果てたため第16代住職・世景峰和尚の熱望により実現 →重森三玲は『都林泉名勝図会』に基づき復原 |
1971年 (昭和46年) |
重森三玲が「臥雲の庭」を新たに作庭 |
2013年 (平成25年) |
書院内に西郷隆盛と攘夷派の僧・月照が密議を交わした部屋を再建築 |
上記のどこかのタイミングで、1587年(天正15年)10月1日に豊臣秀吉が北野天満宮で開催した「北野大茶会」で使用した茶室「観月亭」が移築されています。(移築年が不明)
扁額「不二」 | 密談の部屋 | 九山八海の庭 | 臥雲の庭 |
雲霊院は臨済宗東福寺派の禅寺で25カ寺ある東福寺の塔頭寺院のひとつです。
寺院のはじまりは室町時代の明徳元年(1390年)で、臨済宗の高層・岐陽 方秀が隠居する場所として「不二庵」を建てたことに始まります。
「不二庵」の名称は、岐陽 方秀の僧名「不二道人」から来ています。
■岐陽方秀(1361-1424年没)
南北朝時代から室町時代前期の臨済宗の僧。讃岐の出身。室町幕府の第4代征夷大将軍足利義持とも交流を持つ。天龍寺(第64世)、南禅寺(第96世)、東福寺(第80世)に歴任した高僧。
理由の詳細は不明ですが、室町時代の1473年(文明5年)に現在の「雲霊院」に名称が変更されています。
東福寺塔頭・霊雲院の7代目の住職・湘雪守沅は、熊本の細川家家臣の家系出身なこともあり、肥後国熊本藩初代藩主・細川忠利とその長男・細川光尚と親交がありました。
この縁で細川家から送られた「遺愛石」があったからこそ、霊雲院の庭園が有名になったと言っても過言ではありません。
「遺愛石」については見どころ(こちら)で詳しく紹介します。
■湘雪守沅(1588-1668没)
肥後熊本出身。細川家家臣の家系。雲霊院7代目の住職。雲霊院7代目の住職。
■細川忠利(1586-1641没)
江戸時代前期の大名。豊前国小倉藩2代藩主、肥後国熊本藩初代藩主。母は明智光秀の娘であり忠興の正室であった玉(細川ガラシャ)。
■細川光尚(1619-1650没)
細川忠利の長男。江戸時代前期の大名。肥後国熊本藩2代藩主。熊本藩細川家3代目。
東福寺塔頭・霊雲院の各お堂の創建や再建情報は霊雲院のパンフレットにもなく不明です。
霊雲院といえば重森三玲の庭園が有名ですが、幕末に西郷隆盛と攘夷派の僧・月照が密議を交わしたり、日露戦争当時にロシア兵の捕虜収容所となった歴史を持ちます。
■重森三玲(1896年8月- 1975年3月没)
昭和の作庭家・庭園史研究家。日本美術学校で日本画を学び、華道と茶道を習得後、独学で日本庭園の世界へ。国内に約200の庭園を作庭。代表作は「東福寺の八相の庭」。全国の庭園を実測し『日本庭園史大系』全33巻(別巻2巻)を完成させるなど庭園史に多大な功績を残す。
■月照(1813-1858没)
清水寺塔頭・成就院の24代住職。幕末期は尊皇攘夷派となり西郷隆盛と親交があった人物。西郷が島津斉彬を追い殉死しようとするのを止めたり、西郷とともに錦江湾に入水したりしている。(西郷は一命をとりとめるが月照は亡くなる)
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見どころ|霊雲院・重森三玲庭園 (東福寺塔頭)
見どころ1:「九山八海の庭」重森三玲による復原
- 江戸時代中期に作庭されたのち荒廃
- 1970年(昭和45)に74歳の重森三玲が『都林泉名勝図会』に基づき復原
- 復原は霊雲院の第16代住職・世景峰和尚の熱望により実現
- 「九山八海の庭」の名称は重森三玲が名付け親
霊雲院の1番の見どころは書院の南側にある枯山水「九山八海の庭」です。
江戸時代に作庭されたのちに荒廃し、1970年(昭和45)に74歳の重森三玲が『都林泉名勝図会』に基づき復原されています。
こちら↑が『都林泉名勝図会』にある霊雲院(不二庵)の庭。
■重森三玲(1896年8月- 1975年3月没)
昭和の作庭家・庭園史研究家。日本美術学校で日本画を学び、華道と茶道を習得後、独学で日本庭園の世界へ。国内に約200の庭園を作庭。代表作は「東福寺の八相の庭」。全国の庭園を実測し『日本庭園史大系』全33巻(別巻2巻)を完成させるなど庭園史に多大な功績を残す。
■都林泉名勝図会
1799年(寛政11年)刊行された京都の名庭園を紹介したガイドブック。文章を京都の俳諧師・秋里籬島が担当し、挿絵を絵師の佐久間草偃、西村中和、奥文鳴の3人が描いた。全5巻・1巻は上下巻の2冊。
「九山八海の庭」の1番の特徴は、中央に置かれた「遺愛石」。
この「遺愛石」は江戸時代に湘雪守沅が、霊雲院の7代目の住職に就任する際、肥後藩主・細川忠利・光尚父子から贈られたもの。
「遺愛石」は本来、亡くなった方が生前に愛していた石の事を指すようですが、霊雲院の場合は、送り主の細川忠利・光尚父子が須弥台と石船に「遺愛石」と名づけて送ったようです。
■湘雪守沅(1588-1668没)
肥後熊本出身。細川家家臣の家系。雲霊院7代目の住職。雲霊院7代目の住職。
■細川忠利(1586-1641没)
江戸時代前期の大名。豊前国小倉藩2代藩主、肥後国熊本藩初代藩主。母は明智光秀の娘であり忠興の正室であった玉(細川ガラシャ)。
■細川光尚(1619-1650没)
細川忠利の長男。江戸時代前期の大名。肥後国熊本藩2代藩主。熊本藩細川家3代目。
なお、細川父子は湘雪守沅が、霊雲院の第7代目の住職に就任する際に寺の財産として500石を送ろうとしましたが、湘雪和尚は「出家の後、禄の貴きは参禅の邪鬼なり。庭上の貴石を賜はらば寺宝とすべし」と答え、「遺愛石」が送られることとなりました。
1石=約30万円(2017年出版『江戸の家計簿』磯田道史監修 / 宝島社による)
(↑都林泉名勝図会)
細川家から送られた「遺愛石」は、江戸時代から霊雲院の庭園に配石されていることが、江戸時代の観光ブック『都林泉名勝図会』のイラストからも分かります。
「九山八海の庭」の鑑賞ポイントなどは長くなるので、別途紹介します。
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見どころ2:「臥雲の庭」重森三玲の作庭
- 1971年(昭和46年)74歳の重森三玲が新たに作庭
- 二重の雲紋が施された庭園
東福寺塔頭・霊雲院の見どころ2つ目は、書院西側の「臥雲の庭」。
こちらは1971年(昭和46年)に74歳の重森三玲が新たに作庭しています。
寺号の「霊雲」をモチーフにした庭で、州浜の雲模様が特徴です。
■州浜
庭園用語では曲線を伴った広い砂浜をデザイン化したもの
霊雲院の「臥雲の庭」は重森三玲らしさが凝縮されたお庭です。
「臥雲の庭」の鑑賞ポイントなどは長くなるので、別途紹介します。
見どころ3:ロシア兵が残した楽器など
東福寺塔頭・霊雲院の見どころ3つ目は、ロシア兵捕虜が残した楽器や織物などです。
日露戦争時に、満州(中国東北部)などで日本の捕虜となった約7万2000人のロシア兵が青森から熊本まで29都市の収容所に分散して送られました。
■日露戦争
1904年(明治37年)2月の開戦から翌1905年(明治38年)8月のポーツマス講和会議までの18ヵ月間日本とロシアとの間で戦われた戦争。
京都には、1905年3月~翌1906年12月(明治38~39年)まで収容所が開設され、東福寺と塔頭寺院には下士官以下の兵隊1,518人が収容されました。
このうち霊雲院では50~60人のロシア兵が3月~11月の8ヶ月に渡って寝起きをしたそうです。(※収容人数は霊雲院内の解説で50人と60人の2種類に説明があり正式な数が不明)
この8ヶ月の生活の中でロシア兵たちは故郷を想って雲霊院の木で楽器を作り、終戦後帰国する際に記念として霊雲院に残していったものが展示されています。
こちら↑の説明には、50人と書かれていますが、↓こちらには60人と記載ありでどちらが多大しいのか不明です。
↑こちらの解説には楽器4点とかあれていますが、実際には次の5つの楽器と織物、ヘルメットなどが展示されています。
- ギター
- バイオリン
- バラライカ
- タンバリン
- ツィンバロム(打弦楽器)
当時の日本政府は、捕虜の待遇を定めたハーグ条約の順守を国策として、どの収容所でもかなりの厚遇で対応したそうです。
京都の寺院では東福寺以外に本圀寺、妙法院、智積院などが収容施設として使用されたようです。
なお、日本国内に収容されたロシア人捕虜の生活を待遇した写真集「ロシア人捕虜写真コレクション」には、花見や海水浴、相撲見物や温泉の浴衣姿などが収められています。
■ロシア人捕虜写真コレクション
ハーグ陸戦条約(1899)の捕虜条項が日本で遵守されているかを監視し、ロシア人捕虜の意見や希望を日本に伝える役割を担った神戸のフランス領事リュシー・フォサリュー氏が集めた写真が約400枚が収められた写真集。当時のロシア人と日本人の生活が映し出されている。ロシア国立映画写真資料古文書館(モスクワ)と東京ロシア語学院が協力して復刻版作したものが購入可能。詳細こちら。
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見どころ4:茶室「観月亭」(外観)と前庭
- 豊臣秀吉の北野大茶会当時のものを移築した桃山様式の茶室
- 1階が四畳半席、2階が五畳半席の珍しい二階建
- 月を邪魔する雲を眼下に臥せさせて月見を催す趣向から「観月亭」と称する
東福寺塔頭・霊雲院の見どころ4つ目は、茶室「観月亭」と前庭(露地)です。
1587年(天正15年)10月1日に豊臣秀吉が北野天満宮で開催した「北野大茶会」で使用した茶室「観月亭」を移築しているそうです。(移築年は不明)
茶室にしては珍しい2階建てで、1階が四畳半席、2階が五畳半席です。
さきほどの写真は雨戸がしまっているため茶室らしさが伝わらないので霊雲院のパンフレットの写真も紹介します。
パンフレットに載っている写真の雨戸は、は2024年に見たものより白いので外壁の塗り替えや耐震工事はしているのではないかと思ってます。
なお、茶室の内部は非公開で外観を書院の廊下から見学するスタイルです。
ちなみに、書院廊下にあるガラス戸は空いているときと締切の時があります。
2024年4月 | 2023年11月 |
毎年11月は東福寺とその周辺の塔頭寺院が一斉に特別公開をするのですが、この時期は霊雲院も連日公開されているので、11月は窓が開いていたのかな?と推測します。
(2023年11月撮影)
茶室「観月亭」の前には庭(露地)があります。
上の写真は書院のガラス戸が開いていた2023年秋に撮影したものです。
ダイナミックな「九山八海の庭」や「臥雲の庭」とは違ってホッとする落ち着いた雰囲気です。
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見どころ5:西郷隆盛と月照が密議を交わした部屋(再現)
- 平成25年(2013年)に再建築
東福寺塔頭・霊雲院の見どころ5番目は、勤王派の僧侶・月照(忍向)と西郷隆盛が幕府の追ってから逃れるために何度も密談を交わしたとされる部屋です。
どのような経緯かは不明ですが、2013年(平成25年)に再建築されたとのこと。
室内には入れず、小さな入り口の外から眺めるスタイルです。
密談の部屋にある説明はこちら↓。
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見どころ6:重森三玲の書
東福寺塔頭・霊雲院の見どころ6は、重森三玲の書です。
拝観受付からすぐの部屋に霊雲院の庭園を手掛けた作庭家・重森三玲の書が2つあります。
上の写真にある長押部分に掲げられている書とその反対側にあります。
重森三玲の書 | |
屏風がある側の書「無無無」 | 屏風と反対側にある書「千山」 |
2010年前後に拝観した方のブログの写真を見ると重森三玲の書が展示されていないようだったので、過去に行った方はぜひ再び拝観してみてください。
重森三玲は作庭家や庭園研究家として名が知れていますが、21歳の時に画家を志し日本美術学校に入学し日本画を学んでいます。
ただ、全国から集まる才能に意気消沈し画家の道には進まなかったようです。
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拝観レビュー|霊雲院・重森三玲庭園 (東福寺塔頭)
行ってよかったこと
- 貸し切り状態で静かに庭園を眺められたこと
- 重森三玲の書も見れたこと
- 東福寺の意外な歴史(ロシア人捕虜の収容所)を知れたこと
重森三玲ファンとしては、東福寺塔頭・霊雲院は「本当は人に教えたくないお寺のひとつ」です。
とにかく、貸し切り状態で庭園を眺められる数少ない重森三玲の庭園がある寺院。
たくさんの人に知ってほしいけど、今の静かな環境はなくならないで欲しいと切に願います。
うまく言語化できないのですが「九山八海の庭」何度も見たくなる魅力があります。
私が知る限り、京都に残る重森三玲が手掛けた庭園は22カ所あり、そのうち見学可能な場所が17カ所あります。
これまでに14か所見に行ってますが、「重森三玲の書」の展示があるところは他になかった記憶なので、貴重な機会でした。
また、東福寺や塔頭がロシア人捕虜の収容所になっていて、思った以上に自由に生活をしていたことを知れたことも良い学びでした。
残念だったこと
- 強いて言いうなら、東福寺塔頭にある連弁がみられなかったこと
東福寺塔頭・霊雲院の拝観で残念だったことは基本的にはなく大満足なのですが、強いてあげるなら「蓮弁」が見当たらなかったことです。
連弁は、東福寺の仏殿にかつてあった「新大仏(高さ約15mの釈迦如来坐像)」の蓮の台座の花弁です。
実際の「蓮弁」はこちら↓。
東福寺本坊の蓮弁 | 東福寺塔頭・一華寺の蓮弁 |
京都国立博物館「東福寺展」で撮影 (撮影許可あり) |
一華寺で撮影 |
「新大仏」は1881年(明治14年)の大火災で燃えてしまうのですが、その時に焼け残ったお釈迦様の左手と台座の蓮の花(蓮弁)が東福寺の各塔頭寺院に分配されています。
多くの塔頭が方丈に飾っているのですが、雲霊院では見当たらなかったのが残念な点でした。
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御朱印・朱印帳・朱印所|霊雲院・重森三玲庭園 (東福寺塔頭)
通年の御朱印(種類・値段・タイプ)
文殊菩薩 | 願王殿 | 九山八海 |
ご本尊「文殊菩薩」の御朱印 | 境内にある「願王殿」の御朱印 | 庭園「九山八海」の御朱印 |
直書き(手書き)・500円 | 書置きのみ・500円 | 書置きのみ・500円 |
東福寺塔頭・霊雲院の御朱印は、御本尊の「文殊菩薩」のみ御朱印帳に手書きしていただけます。
「願王殿」と「九山八海」の御朱印は書置きのみです。
なお、御朱印の値段は1枚500円です。
※朱印所に値段の表記はなく、2024年にご本尊の御朱印を頂いた際に500円だったので500円と記載しています。
期間限定の御朱印(種類・値段・タイプ)
霊雲院では新緑の季節と紅葉の季節に限定の御朱印の授与があります。
新緑限定の御朱印
新緑限定の御朱印 | ||
ご本尊「文殊菩薩」の御朱印 | 境内にある「願王殿」の御朱印 | 庭園「九山八海」の御朱印 |
書置きのみ・500円 | 書置きのみ・500円 | 書置きのみ・500円 |
新緑シーズンに授与されている新緑限定御朱印が3種類あります。
通年の御朱印の左上と右下に「青モミジ」のスタンプが押されています。
授与期間は公式サイトのお知らせにも掲載されないので、不明ですが5月には授与されているようです。
書置きのみで、値段はおそらく1枚500円です。
授与所に値段の記載がなくお寺の方に確認するのを忘れてしまったので分かり次第修正します。
紅葉限定の御朱印
紅葉限定の御朱印 | ||
ご本尊「文殊菩薩」の御朱印 | 境内にある「願王殿」の御朱印 | 庭園「九山八海」の御朱印 |
書置きのみ・500円 | 書置きのみ・500円 | 書置きのみ・500円 |
紅葉シーズンに授与されている新緑限定御朱印が3種類あります。
通年の御朱印の左上と右下に「赤く色づいたモミジ」のスタンプが押されています。
授与期間は公式サイトのお知らせにも掲載されないので、不明ですが11月には授与されているようです。
書置きのみで、値段はおそらく1枚500円です。
授与所に値段の記載がなくお寺の方に確認するのを忘れてしまったので分かり次第修正します。
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御朱印帳(種類・値段・タイプ)
- 1200円、2000円、2300円など複数種あり
東福寺塔頭・霊雲院では御朱印帳も販売されています。
ただ、霊雲院限定というわけではなく一般に流通している御朱印帳を授与されているようです。
値段は御朱印帳によって異なり、1200円、2000円、2300円がありました。
サイズは大判サイズ(18×12センチ)です。
朱印所・受付時間
朱印所の場所 | 拝観受付と同じ |
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受付時間 | 拝観時間中 ※拝観日によって拝観時間が異なる ※基本の拝観時間は10:00~15:00 |
拝観受付が朱印所・授与所を兼ねています。
拝観受付に御朱印の見本や御朱印帳が置かれています。
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順路に沿って当日の様子を写真で紹介|霊雲院・重森三玲庭園 (東福寺塔頭)
順路1:山門から拝観受付
こちらが東福寺塔頭・霊雲院の山門です。
なお、2024年5月に拝観した際の写真をメインに紹介していきます。
山門をくぐって道なりに進んでいきます。
左手に見えるお社は「願王殿」です。
「願王殿」についての公式解説がないため、詳細が分からない状態です。
道なりに進むと今度は、6体のお地蔵さんが並んでします。
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さらに道なりに進むお「庭園拝観入口」の看板が見えてきます。
看板にたどり着く前に左側を見ると霊雲院の昔の名称「不二庵」と書かれた門があります。
この奥に重森三玲が復原した「九山八海の庭」があります。
写真の左側の建物に拝観受付があります。
下駄箱に靴を預け、拝観受付へ進みます。
上の写真では、拝観受付の上部が切れてしまったのですが、こちらが拝観受付です。
カメラが設置されているようで奥から人が出てきます。
御朱印もこちらが受付です。
拝観受付を済ませると↓こちらのパンフレットがただけます。
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順路2:重森三玲の書
さて、拝観受付を済ませて最初に足を踏み入れる部屋がこちら。
見どころ6で紹介した、重森三玲の書が2つある部屋です。
こちら↑が一つ目の「無無無」。
反対側を振り返るとこちら↓の「千山」。
残念ながらこちら↓の屏風の書が誰のものかは分からずです。
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順路3:ロシア兵が残した楽器の展示
先ほどの屏風がある部屋のすぐお隣に見どころ3で紹介した、日露戦争時に霊雲院に収容されたロシア人捕虜たちが残した楽器です。
京都の他の収容所や東福寺の状況については見どころ3(こちら)で紹介したので割愛し、実際の展示品を紹介していきます。
こちら↑左が「ロシアのコイン」、右が「ロシア刺繍」です。
写真では分かりにくいですがコインの表面には文字が見えます。
こちら↑左が「ギター」で右が「バイオリン」。
こちら↑は「タンバリン」。
↑こちらは左が「戦闘用ヘルメット」で右が「ツィンバロム」、中央手前は捕虜の方の写真です。
ツィンバロムは、ハンガリーを中心とする中欧・東欧地域で見られる大型の打弦楽器を指し、こちらはそれの小型版(簡略版)のようです。
こちら↑の奥2つと手前右の用紙は説明がない何に使われたものか不明です。
この展示は小さなスペースですが、いろいろなことを考えさせられる貴重な展示でした。
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順路4:ご本尊にご挨拶
重森三玲の書やロシア人捕虜の楽器などを見たら、次は書院中央へと進みます。
(↑2023年11月撮影)
書院内はこんな↑感じ。
左手には「九山八海の庭」が見えています。
仏間の右横の部屋には、中国を想起させる調度品や襖絵がありますが特に解説がないので問う言う経緯で置かれているのかは不明です。
こちらが、御本尊の文殊菩薩が安置されている仏間内陣と外陣です。
残念ながら仏間の前には行けないためこの距離からの参拝になります。
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順路5「九山八海の庭」
さて、いよいよ霊雲院の1番の見どころ「九山八海の庭」です。
霊雲院のガラス戸はかなり大きめなので室内からでもゆったりお庭を眺められます。
1970年(昭和45)に74歳の重森三玲が江戸時代に発刊された『都林泉名勝図会』に基づき復原しています。
中央には細川家から送られた「遺愛石」。
「九山八海の庭」の右側はもう一つの庭「臥雲の庭」とつながっています。
円の砂紋までが「九山八海」の庭。
ここからは「九山八海の庭」の鑑賞ポイントを紹介していきますね。
鑑賞ポイント「九山八海の庭」
鑑賞ポイント1:世界観をチェック
- 鑑賞ポイント1:世界観をチェック
→神々が住む「須弥山」を囲む山と海(九山八海)を表現
→古代インドの世界観
庭の名前になっている「九山八海」は、古代インドの説話に登場する神々が住む山「須弥山」を含む9つの山と8つの海を表現しています。
9つの山と8つの海のイメージをざっくりお伝えするとこんな感じです。↓
須弥山と呼ばれる背の高い山を取り囲む同心円状の7つの金山と鉄囲山で9つの山。
山と山の間が海になっていて、これが8つです。
この知識をもとに「九山八海の庭」を見てみましょう。
中心の「遺愛石」が須弥山を表し、白砂の砂紋が周囲の山と海を表しています。
「遺愛石」については見どころ1の解説内で紹介したのでここでは割愛しますね。
今度は、重森三玲が復元時に参考にした『都林泉名勝図会』を見てみましょう。
『都林泉名勝図会』には円の砂紋はなく、遺愛石の間近まで人が立ち入っていることから考えると、重森三玲が復原時にこの庭に必要な要素として加えたのだと思われます。
ちなみに「九山八海の庭」と名付けたのは重森三玲です。
庭の奥側の苔部分(築山)は、重森三玲が『都林泉名勝図会』を参考に復原したそうです。
復原前はかなり荒廃していたようなので、石も苔もボロボロだったのかもしれませんね。
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【補足】九山八海の世界観について
ちょっとマニアックですがせっかくなので山の名前と海の特性も紹介しておきます。
興味がない方は読み飛ばしてください。
【9つの山】 中心から①須弥山→②持双山→③持軸山→④檐木山→⑤善見山→⑥馬耳山→⑦象鼻山→⑧尼民達羅山→⑨鉄囲山 |
【8つの海】 優れた特質もつ8種類の水「八功徳水」で、中心から①甘(甘い)→②冷(冷たい)→③柔(やわらかい)→④軽(軽い)→⑤清浄(清い)→⑥無臭(くさくない)→⑦飲時不損喉(のどを痛めない)→⑧飲已不傷腹(飲み已って腹を痛めない) ※須弥山のすぐ横の海は「須弥海」と呼ばれる |
※須弥山以外の山の名称はいつくかパターンがあります。
①持双山・持軸山・檐木山・善見山・馬耳山・象鼻山・持辺山
②持双山・持軸山・檐木山・善見山・馬耳山・象耳山・尼民達羅山
③伽羅陀山・伊沙山・樹辰陀羅山・阿般尼楼山・弥隣陀羅山・尼隣陀羅山・比尼陀山
これは個人的な見解なのですが、遺愛石をアップで見ると台座の内側に小石が敷き詰められているので、この遺愛石ひとつで、「須弥山」と「須弥海(最初の海)」、須弥山の隣の山「持双山」までを表すののかな?と思ったりもします。
ただ、遺愛石を引きで見ると白砂の内側に黒い石があるので、ここを「須弥海」ととらえて、台座から上の石までを「須弥山」ととらえるのかな?とも思ったりします。
いろんな見方ができるのも枯山水の良いところです。
鑑賞ポイント2:滝石組(たきいわぐみ)
- 鑑賞ポイント2:滝石組
→石で組まれた庭の滝
→手前の石が鯉を表す
遺愛石の後ろ側に滝を表現した石組があります。
丸い小さな石が滝の水流を表し、白砂側の少し先のとがった石が滝を登る鯉を表しています。
別の角度からも見てみましょう。↓↓
石の尖り具合が鯉の勇ましさ、滝の険しさを想起させますよね。
「鯉の滝登り」という言葉がありますが、日本の庭園では中国『後漢書』に登場する「竜門と呼ばれる滝を登り切れった魚は竜になる」という伝説をもとに、滝を表す石組と鯉を表す石をセットで配置するスタイルがあります。
ちなみに、滝岩組は重森三玲が『都林泉名勝図会』を参考に復原したそうです。
『都林泉名勝図会』を見るとAとBの2か所に滝石組のような場所があります。
Aの方が現在の滝石組の雰囲気井似ているのと、イラストの皮の部分に点の模様があるのでこちらを再現したのではないかと推測しています。
「九山八海の庭」を堪能したら、今度は「臥雲の庭」へ!
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順路6:「臥雲の庭」
「臥雲の庭」は、書院の西側(仏間に向かって左側の面)にあります。
上の写真↑に映っているガラス戸の奥が「臥雲の庭」です。
こちら↑が見どころ2で紹介した「臥雲の庭」。
1971年(昭和46年)74歳の重森三玲が新たに作庭しています。
こちら↑は「臥雲の庭」の右の端(北側)。
書院の北側にある茶室「観月亭」横河まで伸びています。
こちら↑は「臥雲の庭」の左端(南側)。
書院南側にある「九山八海の庭」の横側まで伸びています。
では、ここからは「臥雲の庭」の鑑賞ポイントを紹介していきますね。
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鑑賞ポイント「臥雲の庭」
鑑賞ポイント1:世界観をチェック
- 鑑賞ポイント1:世界観をチェック
→滝の水が夕日に染まった赤い雲の下をくぐって大海に注ぎ込む様子
「臥雲の庭」の右奥には滝を表す滝石組があります。
下の写真↓の手前にある灯篭の上あたりが滝石組です。
アップにすると↓こんな感じ。
ここから流れる水が白砂で表現されています。
下流 | 中流 | 上流 |
下流側はもう一つの庭「九山八海の庭」と隣り合わせで、九山八海へと注ぎ込んでいきます。
川の様子は俯瞰図になっているので、雲がかかっています。
こちら↓の茶色い砂と赤く塗られたコンクリで夕日に照らされた雲が表現されています。
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鑑賞ポイント2:雲紋の造形
- 鑑賞ポイント2:雲紋の造形
→重森三玲らしい2タイプの雲紋
臥雲の庭で1番特徴的なのがこちら↑の2雲紋。
ひとつはベンガラを混ぜたモルタルの縁取り内に茶色の鞍馬砂を敷き詰めた雲紋。
もうひとつは朱色で塗られたモルタルの雲紋。
重森三玲は雲紋の造形をいくつかの庭園で使用しており、雲霊院の雲紋を作るまでに3つの庭で雲紋を進化させています。
- 滋賀県・瑞応院「楽紫の庭」
→雲形に並べた敷石と雲形の苔地 - 長野県・興禅寺「看雲庭」
→白いモルタルのラインで表現した雲模様 - 京都府・龍吟庵「龍の庭(西庭)」
→白いモルタルで作られた雲のラインと黒砂で表現した雲模様 - 京都府・霊雲院「臥雲の庭」
→赤いモルタルで作られた雲のラインと茶砂で表現した雲模様
→赤いモルタルの雲模様
①瑞応院「楽紫の庭」 | ②興禅寺「看雲庭」 |
③龍吟庵「龍の庭(西庭)」 | ④霊雲院「臥雲の庭」 |
鑑賞ポイント3:滝石組(たきいわぐみ)
- 鑑賞ポイント3:滝石組
→石で組まれた庭の滝
→丸い平らな石の中に立つ石が鯉を表す
鑑賞ポイント1の世界観でも紹介しましたが、霊雲院の「臥雲の庭」には、滝石組があります。
上の写真だとわかりにくいですが、丸く平らな石が水を表し、中央に立つ石が鯉を表しています。
前述しましたが、日本の庭園では中国『後漢書』に登場する「竜門と呼ばれる滝を登り切れった魚は竜になる」という伝説をもとに、滝を表す石組と鯉を表す石をセットで配置するスタイルがあります。
また、「臥雲の庭」の滝の奥には3つの大きな石が並ぶ三尊石式になっています。
下の画像の右側が分かりやすい写真だと思います。
個人的には、水を表す白砂にある長方形の切石と縦に置かれた石が、龍の背中のトゲトゲに見えるので、滝を登った鯉が水龍になって大海を目指し泳いでいるよう見えます。
「臥雲の庭」を堪能したら今度は室内の見学へ!
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順路7:西郷隆盛と月照密談の部屋
先ほどの「臥雲の庭」に面する部屋の奥に、見どころ5で紹介した西郷隆盛と月照が密議を交わした部屋(再現)があります。
上の写真のように部屋の外から中を眺めるスタイルです。
部屋の広さは畳4枚と周りの板、床部分を合わせて4畳半~5畳くらいのスペースです。
部屋の右側にある障子をみると丸い影が見えるので、ここは丸窓のようですね。
ろうそくの火と障子から入る月明かりの中で西郷隆盛と月照は真剣に日本の未来について話し合っていたと思うとろまんがありますね。
こちらの部屋については見どころ5で紹介したこと以外の詳細はわからないので、サラッと見て次に進みます。
今の部屋の裏側へと回ります。
順路8:床の間と床脇
先ほどの密談の部屋の反対側に床の間があります。
掛け軸は、禅を伝えたインドの僧「達磨大師」の絵です。落款がありますが誰の作品化は達筆でわからずです。
床の間の畳の上には、瓦や香炉がおかれています。
香炉の獅子がかわいいですね。
こちら↑は床脇の違い棚と天袋。
天袋にも落款がありますが誰が書いたものかは不明です。
4枚のアップ写真をズラッと紹介しますね。
このような絵を見てパッとどこの景色だとか誰の作品だと分かる知性が欲しいです。
床脇の板の上には季節の植物が飾られます。5月に伺ったときは青モミジ↑でした。
こちら↑は釘隠し。
床の間も堪能したら今度は、豊臣秀吉の茶室へ!
↓こちらの写真の左側が今紹介した床の間・床脇で奥のガラス戸の奥が茶室です。
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順路9:茶室「観月亭」と前庭
豊臣秀吉の北野大茶会当時のものを移築した茶室「観月亭」は、室内から外観を見るスタイルです。
拝観する日によって↑こちらのガラス戸の中央が開いているときと閉まっている時があります。
さて、こちら↑が見どころ4で紹介した茶室「観月亭」です。
残念ながら上の写真は雨戸が閉まって茶室らしい姿ではないので、霊雲院のパンフレットの写真を紹介します。
雨戸が開くと茶室らしいたたずまいですよね。
これまで2回拝観しましたが、どちらも雨戸が閉まっている日だったので次回は雨戸が開いてることを期待します。
茶室の前には小さな庭(露地)があります。
重森三玲のダイナミックな2つの庭とは違った落ち着いてかわいらしい庭ですね。
手水鉢↑は結構ごっつい感じです。
苔の中にはちいさなタヌキが隠れています。
こちらは灯篭と瓦。
この庭以外にも霊雲院の庭にはいろいろな種類の灯篭があります。
形もユニークなものが多いのが印象的です。
見どころはすべて見学したので玄関に戻りますが、その途中にもチェックして欲しい場所があるのでこの後紹介していきます。
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順路10:不二の扁額
「九山八海の庭」に面した廊下に「不二」と書かれた扁額があります。
霊雲院の創建当初の名称「不二庵」の「不二」です。
お寺の扁額の文字は歴代の将軍や著名人が書いていたりするのですが、霊雲院の扁額には落款や説明も無いので詳細は不明です。
ただ、力強く美しい字ですよね。
こちら↑は最初に見たロシア兵の楽器が展示されているお部屋。
こちらの部屋の前にある庭もチェックしてくださいね。
こちらが最初のお部屋の前にある庭↑。隣の「九山八海の庭」と白砂はつながっていないので独立したお庭だと思います。
重森三玲は作庭時に余った石をつかって即興で予定になかった庭を作庭することもありますが、霊雲院のこの庭はどなたの作庭か不明です。
ちょこんと蛙の置物が置かれた手水鉢。水がたまるところが瓢箪の形をしています。
個人的には左側にある灯篭がかっこよくて好きです。
庭や茶室、本堂内を堪能したら玄関へ!
玄関にもチェックしたいポイントがあるので紹介します。
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順路11:玄関
古いお寺の玄関には、火事の時に建物を壊す道具が掛けられています。
上の写真の非常口マークの上にあります。
あと、よくお寺の玄関には網代笠と草鞋がかけられています。
なぜ玄関にかけられているのか、宗派によって理由が違うと思おう野ですがいつか理由を知りたいと思っています。
玄関で後ろを振り返るとここにも書がかざられています。
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順路12:境内の願王殿
山門を入ってすぐ左にあった「願王殿」を参拝して帰ります。
残念ながら「願王殿」の詳細は不明です。
お寺の境内を見るとこうやって飾り瓦がおかれています。
本山の古い瓦だったり、そのお寺の古い瓦がオブジェのようにおかれています。
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交通アクセス|霊雲院・重森三玲庭園 (東福寺塔頭)
最寄り駅(バス・鉄道)
東福寺塔頭「霊雲院(れいうんいん)」庭園公開 | |
---|---|
最寄り駅(バス) | ・市バス「東福寺」下車、徒歩約5分 |
最寄り駅(鉄道) | ・JR奈良線「東福寺」駅下車、徒歩約10分 ・京阪本線「東福寺」駅下車、徒歩約10分 |
住所 | 京都市東山区本町15-801 |
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【参考情報】霊雲院の公開日履歴
公式サイトで公開日が案内された日時の履歴です。
毎年11月が1番拝観日が多くなります。
以下に記載のない日でも公開されている日があるようです。
霊雲院・過去の公開日 | |
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2024年8月 | - |
2024年7月 | 7月7日(日) 10:00〜14:00(最終受付13:30) |
2024年6月 | - |
2024年5月 | 5月25日(土) 10:00〜14:30(最終受付14:00) |
2024年4~1月 | - |
2023年12月 | - |
2023年11月 | 2023年11月12日(日)・14日(火)・18日(土)・19日(日)・20日(月)・23日(木)・25日(土) ・26日(日) 10:30~14:00(最終受付13:30) |
2023年11月29日(水) 10:30~13:30(最終受付13:00) |
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2023年10月 | 庭園メンテナンスの休館 |
2023年9月 | - |
2023年8月 | 8月11日(金)、12日(土)、 10時30分 〜14時(13時30分最終受付 ) |
2023年7月 | 7月15日(土)、16日(日)、23日(日) 10時30分 〜14時(13時30分最終受付 ) |