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【京都】血天井とは?どこにある?|9寺院の拝観情報と血天井の特徴まとめ

本記事では「血天井を初めて知って興味がわいた方」「血天井めぐりをしてみたい方」に向けて、血天井に特化して9寺院を紹介していきます。

目次を開いて気になる項目から読み進めてください。
(項目をタップ/クリックすると該当箇所に移動します)

目次
  1. 血天井の基礎知識
  2. 血天井がある京都の寺院一覧
  3. 1.養源院(ようげんいん)・東山区|京都の血天井
  4. 2.源光庵(げんこうあん)・北区鷹峰|京都の血天井
  5. 3.興聖寺(こうしょうじ)・宇治市|京都の血天井
  6. 4.宝泉院(ほうせんいん)・左京区大原|京都の血天井
  7. 5.正伝寺(しょうでんじ)・北区西賀茂|京都の血天井
  8. 6.神應寺(神応寺/じんのうじ)・八幡市|京都の血天井
  9. 7.妙心寺塔頭 天球院(てんきゅういん)・右京区花園|京都の血天井
  10. 8.栄春寺(えいしゅんじ)・伏見区桃山町|京都の血天井
  11. 瑞雲院(ずいうんいん)下京区|京都の血天井

血天井の基礎知識

そもそも血天井とは?

  • 血天井ちてんじょうとは
    ・戦国武将が戦いで絶命した際の血痕が付いた床板や縁板を供養のため寺院の天井に張り替えたもの

「血天井」と聞くと「天井に飛び散った血の跡?」と思う方もいるかもしれませんが、武士の時代に戦場となった建物の床板についた血を供養を目的にお寺の天井に張り替えたものです。

京都だけでなく、岐阜や大阪、徳島に血天井があるお寺が現存しています。

ただ、血天井に関して史料・考古学的に裏付けられたものは存在しないそうです。

京都の「正伝寺」の血天井は、日本の法医学者で医学博士の古畑種基が調査し人間の血液であることを鑑定したという話が見受けられます。


(↑源光庵の血天井)

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血天井をまだ見たことがない方は真っ赤な血痕跡をイメージするかもしれませんが、こげ茶色のシミのようものです。血天井が現代に残る理由も供養のためなのでおどろおどろしい怖いものではありません。むしろ多くの人の犠牲の上に今の私たちがあるのだと考えさせられます。

京都でいう血天井とは?

  • 京都でいう血天井とは
    ・1600年(慶長5)の「伏見城の戦い」で伏見桃山城内で自害した徳川側の武将・鳥居忠元とりいもとただをはじめとする380⼈以上の血が残る床板を供養の為に寺院の天井に張り替えたもの。
    ・京都の徳川家とゆかりのある8寺院に現存する
    ・8寺院は、1.三十三間堂前の「養源院」、2.鷹峯の「源光庵」、3.宇治の「興聖院」、4.大原の「宝泉院」、5.西賀茂の「正伝寺」、6.妙心寺塔頭の「天球院」、7.八幡の「神応寺」、8.伏見区の「栄春寺」

京都で血天井と言えば、「伏見城の戦い」後に伏見桃山城から移された床板を寺院の天井に張り替えたものを指します。

京都府内で血天井を持つ寺院は本記事で詳細や特徴を紹介してく上記の8寺院です。

■伏見城の戦い
1600年8月26日(慶長5年7月18日)から1600年9月8日(8月1日)まで行われた豊臣VS徳川の戦い。関ヶ原の戦いの前哨戦ぜんしょうせん。当時の伏見城は大老職の家康が政務を行っていたため、家康の留守を守る徳川の軍政が籠城。石田三成率いる西軍の大軍4万が攻めいる。
鳥居忠元とりい もとただ(1539生-1600没)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川家康の乳兄弟。幼少時代から家康の側近として仕えた武将。伏見城の戦いで城代として籠城戦いのすえ亡くなる。(自害説と討死説あり)

■伏見桃山城
現在の京都市伏見区の桃山丘陵にあった日本の城。晩年の豊臣秀吉により2回築城され、伏見城の戦い後に徳川家康により再建されている。1623年(元和9)年に廃城。
・京都には伏見城から移築された建物(伏見城の遺構)が存在する

・晩年の豊臣秀吉が隠居生活を送るために1592年(文禄元年)に築城した城を「指月伏見城」と呼ぶ。「指月伏見城」は1596年(慶長元年)に起きた大地震(慶長伏見地震)により倒壊。その後1597年(慶長2年)に完成した城を「木幡山伏見城」呼ぶ。
・豊臣秀吉は伏見城(木幡山伏見城)で1598年(慶長3年)に亡くなる。豊臣の拠点が大阪城に移ったのち、当時
五大老筆頭だった徳川家康が城に入り政務をとった。
・伏見の戦いで焼失し、徳川家康によって再建されたのは「木幡山伏見城」

【参考】観光庁による宝仙院・血天井の解説

今回こちらの記事を執筆するにあたりいろいろ調べていたら行政機関のサイトに宝泉院の血天井の説明があったのでシェアしますね。

宝泉院血天井

1600年8月1日、劣勢となり、武将石田三成の軍勢から逃れる策はないと、380人以上の武士が伏見城の城内で自決することを選択しました。

彼らは、軍隊を結集し、江戸幕府(1600 -1868)を設立した封建時代の将軍、徳川家康に忠誠を尽くした。家康は伏見城に守備隊を残しました。伏見城のレプリカは、京都伏見区の同じ場所にあります。

40,000人の三成軍に包囲された防衛軍は、城が放火されるまで2週間耐え続けた。家康軍の残党は最後の戦いのために砦に結集したが、勝ち目がないことを知ると、切腹して自害した。

血に染まった砦の床板は後に回収され、様々な寺院に渡り、祀られているのは供養を目的としています。そのうち16枚の床板が、後に宝泉院の天井に使用されました。

自害した武士達の最後の瞬間を記録しているこの床板は注目に値します。床板全体に血が付いており、血でくっきりと残された足跡や、鎧、甲冑の位置がわかる箇所もあります。

人間の顔がうっすらと認識できる箇所があり、別の箇所では、最後の呼吸をした武士の血まみれの指紋が擦り切れているように見えます。

防衛軍の抵抗により、徳川家康が部隊を指揮するのに十分な時間を与え、伏見城の陥落から2ヶ月以内に関ヶ原の戦いで敵軍を破りました。

引用元:観光庁サイト

 

Kico
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伏見城で自決した人数の記載がいろんなサイトで異なるので、本記事では行政の記述に合わせました。

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血天井がある京都の寺院一覧

一覧(公開期間・時間・拝観料・血天井の場所と特徴)

京都の血天井がある寺院はこちらの8つです。

寺院名
(所在地)
拝観情報
(公開日・時間・料金)
血天井概要
(場所・特徴・ゆかりの人物)
1.養源院ようげんいん
(東山区)
※血天井で1番有名・オススメNO1
詳細へ
【限定日公開】
※公開日が変則的なためインスタグラムで開示される
・10:00-15:00(14:45最終受付)
・600円
・本堂(客殿)廊下の天井
※撮影禁止
・倒れ込む鳥居元忠の姿
・徳川秀忠の正室・おごう崇源院すうげんいん
2.源光庵げんこうあん
(北区鷹峰)
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※血天井でオススメNO2
【通年公開】
・9:00-17:00(16:30 受付終了)
・大人 400円(中学生以上)
 ※紅葉時期は500円
・子ども 200円(小学生)
・本堂廊下の天井
・足跡
→指の形がわかるほどにくっきり
・曹洞宗の僧・卍山道白まんざんどうはく
3.興聖寺こうしょうじ
(宇治市)
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【通年公開】
10:00~16:00
・500円
・法堂(本堂)廊下の天井
・足跡、手形
→血の跡はうっすらだが、該当箇所に丸印があり位置が分かりやすい
・淀城主・永井尚政(徳川秀忠の側近)
4.宝泉院ほうせんいん
(左京区大原)
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【通年公開】
・9:00-17:00(16:30 受付終了)
・大人900円
・中高生800円
・小学生700円
・客殿(書院)廊下の天井
・指の跡や色あせた足の跡
5.正伝寺しょうでんじ
(北区西賀茂)
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【通年公開】
・9:00-17:00
・大人500円(高校生以上)
・中学生300円
・小学生200円
・本堂(方丈)廊下の天井
※撮影禁止

・手の指の腹の跡が大量
→色あせていて指先を引きずったような跡がたくさんあり少し分かりずらい
・家康の右腕で臨済宗の僧・以心崇伝(金地院崇伝)
6.神應寺じんおうじ(神応寺)
(八幡市)
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【通年公開】
※要事前予約
・10:00~15:00
・500円(説明案内有り)
※11月の紅葉まつりは予約なし(無料)で拝観可能
・書院(本堂)の天井
・特徴不明
・歴代の徳川将軍
7.妙心寺塔頭みょうしんじたっちゅう 天球院てんきゅういん
(右京区花園)
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【非公開】
※不定期の特別公開あり
→直近の特別公開は2019年1月~3月(京の冬の旅)
・本堂(方丈)廊下の天井が血天井
・特徴不明
8.栄春寺えいしゅんじ
(伏見区桃山町)
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【通年公開】
※本堂拝観は要事前予約
※血天井がある観音堂は原則非公開(交渉は可能そう)

・時間:予約時要確認
・500円

・観音堂の天井
・特徴不明
・家康の家臣で伏見城代を務めていた酒井重勝
9.瑞雲院
下京区)
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【通常非公開】
※事前の電話予約で拝観可能の情報あり
・時間:予約時要確認
・志納
・本堂縁の天井
・あまりよく分からない状態

※当サイトに掲載の内容はすべて掲載時点での情報です。変更となる可能性がありますのでお出掛け前に公式情報をご確認ください。上記リストは、新たに血天井の情報が入り次第追記していきます。

Kico
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血天井を拝観理由のメインにするなら、養源院と源光庵は必須のスポットです。養源院は倒れ込む鳥居元忠の姿が残り、源光庵は指の形までわかる足跡が残っています。1~5の寺院は拝観したので京都・血天井コンプリートまであと4寺院です!

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1.養源院(ようげんいん)・東山区|京都の血天井

歴史・由緒

  • 安土桃山時代の1594年(文禄3年)に豊臣秀吉の側室・淀殿(茶々)が父の浅井長政を供養するために開いた
  • 江戸時代の1619年(元和5年)に落雷により焼失
  • 江戸時代の1621年(元和7年)に徳川2代将軍秀忠の妻であり、淀殿の妹の崇源院すうげんいん(おごう)が伏見城の遺構を本堂として再建

【参考】
■伏見城の戦い:1600年(慶長5年)
■伏見城の廃城決定:1619(元和5年)

血天井がある理由・経緯

  • 徳川秀忠の妻である崇源院すうげんいん(おごう)が父の菩提寺で豊臣の側室である姉が建てた寺を再建するために、徳川側の説得材料としたため
    →養源院は崇源院の父の菩提寺で、姉の淀殿(秀吉の側室)が建てた寺
    →再建を徳川の家臣に反対されたので納得させるために血天井での供養を提案
    ※他寺院との差を明確にする理由をピックアップした内容

徳川将軍の妻・お江が、父の菩提寺であり姉の茶々が嫁いだ豊臣ゆかりの寺院を再建する説得材料として、伏見城の戦いで自害した徳川武士の供養を切り札にした経緯があります。

養源院の再建は、幕府の公的事業ではなくお江ごうの個人事業という形で実現しました。

また、死者を供養する血天井があればのちの世で取り壊される確率も下がるというお江の機転が伺えます。

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京都の寺院拝観で戦国武将の妻たちの話をいろいろ聞くたびに、この時代の女性たちの賢さに感嘆します。

見どころ

  • 養源院と言えば「血天井」と俵屋宗達の「ゾウの杉戸絵」が有名
  • 本堂の血天井は88メートルの長さがあり最も有名な血天井として知られる
Kico
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再建時に伏見城の戦いで自害した武士たちの弔いのために血天井と俵屋宗達の作品が誕生しています。養源院の血天井は鳥居元忠が自害して倒れたときの跡(足や頭の位置)残っています。養源院は拝観時に案内をしてもらえるので血天井を見るなら1番最初に訪れたい寺院です。

拝観情報

養源院(ようげんいん)
公開日 公開日が変則的なためインスタグラムで開示される
→公式インスタはこちら
拝観時間 10:00-15:00(14:45最終受付)
拝観料 600円
公開内容 ・本堂(客殿)
→血天井(廊下の天井)
→俵屋宗達の杉戸絵「白象図」「唐獅子図」「波と麒麟図」
→俵屋宗達の襖絵「松図十二面」
→左甚五郎の鴬張りの廊下
御朱印の有無 ・あり(書置きのみ)
血天井の場所と特徴 ・本堂(客殿)廊下の天井
・倒れ込む鳥居元忠の姿
最寄り駅 ・市バス「博物館三十三間堂前」下車、徒歩約3分
・市バス「東山七条」下車、徒歩約3分
・京阪電車「七条」下車、徒歩約10分
住所 京都市東山区三十三間堂廻り町656
問い合わせ TEL:075-561-3887
公式サイト https://yougenin.jp

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2.源光庵(げんこうあん)・北区鷹峰|京都の血天井

歴史・由緒

  • 室町時代の1346年(貞和2年)に臨済宗大徳寺の2代目・徹翁義亨てっとうぎこうが隠居所として創建
  • その後衰退
  • 江戸時代の1694年(元禄7年)に曹洞宗大乗寺の27代目・卍山道白まんざんどうはくを迎え曹洞そうとう宗に改宗し復興
  • 現在の本堂は1694年(元禄7年)に卍⼭禅師に帰依した⾦沢の富商・中⽥静家居⼠の寄進により建⽴

【参考】
■伏見城の戦い:1600年(慶長5年)
■伏見城の廃城決定:1619年(元和5年)
■卍山道白:1636年2月19日生 – 1715年9月16日没

血天井がある理由・経緯

  • 卍山道白が復興にあたり徳川家から支援を受けた縁による
    ※他寺院との差を明確にする理由をピックアップした内容

衰退した源光庵を復興に導いた僧・卍山道白が徳川家から援助を受けていた縁で血天井があります。

源光庵に展示されている血天井の解説はこちら↓です。

見どころ

  • 源光庵といえば紅葉と2つの窓が有名
    →窓は本堂の丸い「悟りの窓」と四角「迷いの窓」
  • 血天井は足型がはっきり残る
    足のサイズ、指の形がわかるほどにくっきり
Kico
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源光庵と言えば紅葉で、シーズンには人がごった返します。血天井を目的に拝観するなら、4月下旬~8月の青モミジシーズンがおすすめです。個人的には5月の青モミジが最高だと思ってます。

拝観情報

源光庵(げんこうあん)
公開日 通年公開
拝観時間 9:00-17:00(16:30 受付終了)
拝観料 ・大人 400円(中学生以上)
※紅葉時期は500円
・子ども 200円(小学生)
公開内容 ・本堂
→血天井
→「迷いの窓」「悟りの窓」
・庭園「鶴亀の庭」
御朱印の有無 あり
※紅葉シーズンは書置きのみ
血天井の場所と特徴 ・本堂廊下の天井
・足跡
→指の形がわかるほどにくっきり
最寄り駅 市バス「鷹峯源光庵前」下車、徒歩約1分
(市バス北1系統・6系統)
住所 京都市北区鷹峯北鷹峯町47
問い合わせ TEL:075-492-1858
公式サイト https://genkouan.or.jp/

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3.興聖寺(こうしょうじ)・宇治市|京都の血天井

歴史・由緒

  • 鎌倉時代の1233年(貞永2年)中国の宋から帰国した曹洞宗の宗祖・道元どうげん禅師が京都の伏見深草に修行道場・興聖宝林禅寺を創建
    →日本初・日本最古の修行道場
  • 鎌倉時代の1236年(嘉禎2年)に伽藍が完成するも比叡山延暦寺の弾圧を受け、1243年(寛元元年)に道元禅師が越前に下向してから荒廃し、住持4代で廃絶
  • 江戸時代の1645年(正保2年)に伏見にある淀城の初代城主・永井尚政ながいなおまさが、父・直勝の菩提を弔うために萬安英種ばんなんえいじゅ禅師を招き、現在の地に再興
  • 血天井がある法堂(本堂)は1648年(慶安元年)に伏見城から移築され、改築された

【参考】
■伏見城の戦い:1600年(慶長5年)
■伏見城の廃城決定:1619年(元和5年)
■淀城築城:着工1623年(元和9年)-竣工16255年(寛永2年)
→徳川秀忠の命で松平定綱により築造
→廃城となった伏見城の資材と二条城の天守を移築

血天井がある理由・経緯

  • 興聖寺を再興をした淀城主・永井尚政が2代将軍徳川秀忠時代の側近で徳川家との縁が深かったため
    ※他寺院との差を明確にする理由をピックアップした内容

永井尚政ながい なおまさ(1587-1668)
江戸幕府2代将軍・徳川秀忠に側近として仕えて老中となり、3代将軍家光の下では山城淀10万石の藩主となり幕府の畿内支配を担った大名。淀城は1619年に廃城が決まった伏見城の代わりに築城された城。

見どころ

  • 琴坂:200メートル続く参道・新緑と紅葉の名所
  • 法堂:鴬張りの廊下や杉戸絵、血天井が残る(伏見城より移築)

拝観情報

興聖寺(こうしょうじ)
公開日 通年公開
拝観時間 10:00~16:00
拝観料 500円
※境内の庭園(前庭)は無料、堂内拝観有料
公開内容 ・法堂(本堂)
・大書院
・大書院裏の池泉庭園
・開山堂(老梅庵)
・天竺殿
・僧堂(座禅道場)
御朱印の有無 あり
血天井の場所と特徴 ・法堂(本堂)廊下の天井
・足跡、手形
→うっすらだが該当箇所に丸印が書かれて位置が分かりやすい
最寄り駅 ・JR奈良線「宇治」駅下車、徒歩約20分
・京阪宇治線「宇治」駅下車、徒歩約15分
住所 京都府宇治市宇治山田27-1
問い合わせ TEL:0774-21-2040
公式サイト https://www.uji-koushouji.jp/

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4.宝泉院(ほうせんいん)・左京区大原|京都の血天井

歴史・由緒

  • 鎌倉時代の嘉禎年間(1235年 – 1238年)に宗快法印によって創建
    →創建当初から文正年間(1466- 1467年)まで了性坊と呼ばれていた
    →平安時代の仁寿年間(851-854年)に円仁が声明専門の寺として創建したとも言われる
  • 江戸時代の1716年(正徳6年)5月に宝泉院と改められた
  • 客殿(書院)は室町時代1502年(文亀2年)の再建

【参考】
■伏見城の戦い:1600年(慶長5年)
■伏見城の廃城決定:1619年(元和5年)

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宝泉院の歴史や由緒は不明点が多くあります。お寺のパンフレットでは平安時代の創建を採用されていました。

血天井がある理由・経緯

不明・調査中

見どころ

  • 紅葉の名所
  • 樹齢700年の五葉ごようの松を眺める「盤桓園(額縁庭園)」と「血天井」が有名
    →五葉の松は近江富士をかたどった天然記念物
  • 水琴窟すいきんくつ
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宝泉院は紅葉の名所として有名なので秋は人でごった返します。血天井をメインに拝観するなら、4月下旬~8月の青モミジシーズンがおすすめです。個人的には5月の青モミジが最高だと思ってます。

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拝観情報

宝泉院(ほうせんいん)
公開日 通年公開
拝観時間 9:00-17:00(16:30 受付終了)
拝観料 ・大人900円
・中高生800円
・小学生700円
※客殿(書院)で庭を眺めながら茶菓付を頂ける
(茶菓の料金は拝観料に含まれる)
公開内容 ここに説明文を入力してください。
御朱印の有無 あり
血天井の場所と特徴 ・客殿(書院)廊下の天井
最寄り駅 京都バス「大原」下車、徒歩約15分
住所 京都市左京区大原勝林院町187番地
問い合わせ TEL:075-744-2409
公式サイト http://www.hosenin.net/

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5.正伝寺(しょうでんじ)・北区西賀茂|京都の血天井

歴史・由緒

  • 鎌倉時代の1273年(文永10年)に東巌慧安禅師とうがんえあんぜんじが師の兀庵普寧ごつたんふねいを開山として、烏丸今出川に祭殿を建立したのが始まり
  • 鎌倉時代の1323年(元亨3年)に後醍醐天皇の勅願所となる
  • 鎌倉時代の1283年(弘安5年)に賀茂社の社家しゃけ 森経久の援助を受け現在地に移る
  • 室町時代の1467~1477年の応仁の乱の兵火により荒廃
  • 豊臣秀吉が天下統一後、桃山時代の1585年(天正13年)に再興をはかるが果たされず
  • 徳川家康の援助を受け金地院祟伝こんちいんすうでんにより復興
  • 本堂は金地院祟伝によりる復興時に金地院の方丈を移築
    ※金地院の方丈が伏見城の広間「御成殿」を移築したもの

血天井がある理由・経緯

  • 徳川家康の右腕・金地院崇伝こんちいんすうでん以心崇伝いしんすうでん)が正伝寺復興の際に金地院にあった方丈(伏見城の広間「御成殿」を移築したもの)を正伝寺の方丈(本堂)として移したため
    ※他寺院との差を明確にする理由をピックアップした内容

見どころ

  • 枯山水「獅子の児渡しの庭」(小堀遠州作庭・重森三玲復元)
  • 狩野山楽の障壁画
  • 血天井
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正伝寺は血天井よりも枯山水や狩野山楽の障壁画の方が有名ですね。個人的には正伝寺の枯山水は最高なので一度訪れてみていただきたいです。狩野山楽の障壁画は2024年8月現在本物を間近で見ることができます。

拝観情報

正伝寺(しょうでんじ)
公開日 通年公開
拝観時間 9:00-17:00
拝観料 ・大人500円(高校生以上)
・中学生300円
・小学生200円
公開内容 ・本堂(方丈)
→狩野山楽筆の障壁画「西湖の図(山水図)」(重要文化財)
→広縁(廊下)の血天井
→「大涅槃図」辯栄上人・筆
・方丈庭園「獅子の児渡しの庭」
→江戸初期に小堀遠州作庭と伝わり昭和に重森三玲が修復
御朱印の有無 あり
血天井の場所と特徴 ・本堂(方丈)廊下の天井
・手の指の腹の跡が大量
→色あせていて指先を引きずったような跡がたくさんあり少し分かりずらい
最寄り駅 市バス「光神院前」下車、徒歩約15分
※上記は山門までの分数で、山門から拝観受付まではプラス約6分
住所 京都府京都市北区西賀茂北鎮守菴町72
問い合わせ TEL:075-491-3259
公式サイト http://shodenji-kyoto.jp

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拝観ガイド・レビュー

公開内容や実際に拝観してのレビューを写真と図を使って紹介しています。

正伝寺の見どころ・御朱印・拝観ガイド|枯山水・狩野山楽襖絵・血天井が有名(拝観料金・拝観時間・拝観レビュー・交通アクセス)京都市北区にある正伝寺(しょうでんじ)は、江戸初期に小堀遠州作庭し昭和初期に重森三玲が復元した枯山水や狩野山楽の障壁画、血天井が残る知る...

交通ガイド

最寄りのバス停からの道順を写真付で紹介しています。

正伝寺・交通アクセス|最寄りのバス停「光神院前」から山門、山門から拝観受付まで小堀遠州作の枯山水で有名な「正伝寺」の最寄り駅・市バス「光神院前」からのルートを写真付を使って紹介します。 バス停から正伝寺までは...

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6.神應寺(神応寺/じんのうじ)・八幡市|京都の血天井

歴史・由緒

  • 平安時代の貞観年間(859-877年)に石清水八幡宮を開いた行教ぎょうきょうに応神天皇の霊を祀るために創建(この時は応神寺という呼称)
  • 桃山時代の慶長年間(1596-1615年)に尾張国中島郡下津村の青松山正眼寺(現在小牧市に移転)の末寺として再興
  • 桃山時代 の1589年(天正17年)に豊臣秀吉朱印状により寺領120石を与えられ発展
    12代目の住職・弓葴善僵きゅうしんぜんきょうが豊臣秀吉と同郷(尾張)で親交が厚く、正室の北政所の帰依を受ける
  • 江戸時代には歴代の徳川将軍から援助をうけ八幡宮領内や近隣に末寺数ヶ寺を組織した
    →19代目の住職世廓翁鉤然かくおうこうねんが、大奥総女中頭右衛門佐局の支援を受け、徳川綱吉と御台所から袈裟を賜り、各地を勧進行脚して寺観を整えた
  • 明治の神仏分離以前は石清水八幡宮の神宮寺だった
  • 法相、天台、真言と変わり、室町時代に曹洞宗に改宗
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神応寺は山門前まで行ったことはあったのですが、特に歴史など知らなかったのでノーマーク状態でした。今回記事を書く中で血天井があると知り、12代目の住職・弓葴善疆きゅうしんぜんしょうが、豊臣秀吉の正室の北政所(ねね)が晩年に東山の高台寺に移り住む際に高台寺の創建に関わったとしり、がぜん興味が湧きました。

血天井がある理由・経緯

  • 豊臣家・徳川家両方から支援された寺だから
    ※他寺院との差を明確にする理由をピックアップした内容

見どころ

  • 紅葉の名所
  • 伏見城の遺構の本堂・書院
    →血天井

    →行教律師像(重要文化財)
    →狩野山雪の杉戸絵や襖絵

拝観情報

神應寺(神応寺/じんのうじ)
公開日 通年公開
※11月の紅葉祭り開催日以外は事前予約が必要
拝観時間 10:00~15:00
拝観料 500円(説明案内有り)
※11月の紅葉まつりは予約なし(無料)で拝観可能
公開内容 ・本堂/書院
→血天井
→行教律師像(重要文化財)
→狩野山雪の杉戸絵や襖絵
御朱印の有無 不明
血天井の場所と特徴 ・本堂
・特徴不明
最寄り駅 京阪本線「石清水八幡宮」駅下車、徒歩約6分
住所 京都府八幡市八幡高坊24
問い合わせ TEL:075-981-2109
公式サイト 公式サイトなし

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7.妙心寺塔頭 天球院(てんきゅういん)・右京区花園|京都の血天井

歴史・由緒

  • 1631~1635年(寛永8~12年)に岡山藩主・池田光政兄弟が伯母・天球院のため建立
  • 開山は江山景巴

血天井がある理由・経緯

※不明・調査中

見どころ

  • 狩野山楽と山雪が手掛けた障壁画
    →襖絵と杉戸絵あわせて152面(重要文化財)※現在一部はレプリカ(デジタル複製)
    →禅寺に珍しい金碧画「竹虎図」「梅の遊禽図」
  • 血天井

拝観情報

妙心寺塔頭 天球院(てんきゅういん)
公開日 非公開
※不定期の特別公開あり
→直近の特別公開は2019年1月~3月(京の冬の旅)
拝観時間
拝観料
公開内容 ・本堂(方丈)
→狩野山楽と山雪の杉戸絵・障壁画
→血天井
・庭園
御朱印の有無
血天井の場所と特徴 ・本堂(方丈)廊下の天井が血天井
最寄り駅 ・市バス「妙心寺北門」下車、徒歩2分
・JRバス「妙心寺北門」下車、徒歩2分
・京福電車「妙心寺」下車、約2分
・JR「花園」下車、徒歩約13分
住所 京都市右京区花園妙心寺町46
問い合わせ
公式サイト http://www.tenkewin.com

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8.栄春寺(えいしゅんじ)・伏見区桃山町|京都の血天井

歴史・由緒

  • 室町時代から安土桃山時代への移行期の1568年(永禄11年)に京伏見で最初の曹洞宗寺院として開創
  • 開祖は傳養和
  • 1596年に慶長の大地震により被災
  • 1597年に徳川家康の家臣・酒井重勝が亡き妻の菩提を弔い、お堂の造営を行い開基になる
  • 本堂は江戸時代の1839年(天保10年)の改築で徳川家康の家臣であった酒井重勝(酒井作右衛門重勝)が寄進
  • 血天井がある観音堂は江戸時代の1814年(文化11年)の建立

血天井がある理由・経緯

  • 徳川家康の家臣で伏見城代を務めていた酒井重勝(酒井作右衛門重勝)の縁による
    ※他寺院との差を明確にする理由をピックアップした内容

見どころ

  • 本堂:絵天井、内陣龍図天井
  • 総門:伏見城の遺構

本堂裏手の墓地には伏見城の土塁が一部が残されているそうです。

拝観情報

栄春寺(えいしゅんじ)
公開日 通年公開
※本堂拝観は事前予約
※一般公開寺院だが血天井がある観音堂内部は非公開
予約時に依頼して観音堂内を見学した方もいるようなので交渉は可能そうです)
拝観時間 9:00~17:00
※予約時に要確認
拝観料 500円
公開内容 ・本堂
→絵天井、内陣龍図天井
※境内自由参拝(観音堂外観は拝観可能)
御朱印の有無 あり
血天井の場所と特徴 ・観音堂の天井
・特徴不明
最寄り駅 ・近鉄「丹波橋」駅下車、徒歩約10分
・京阪「墨染」駅下車、徒歩約7分
住所 京都市伏見区桃山町丹下30
問い合わせ 075-641-2070
公式サイト 公式サイトなし

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瑞雲院(ずいうんいん)下京区|京都の血天井

歴史・由緒

  • 1602年(慶長7年)日蓮宗の僧・日求にちぐが豊臣秀吉の正室・高台院の甥・小早川秀秋の菩提を弔うため、本圀寺の塔頭・玉陽院を改称して開創
  • 寺領が100石であったことから百石寺、百石さんと呼ばれる

【参考】
■伏見城の戦い:1600年(慶長5年)
■伏見城の廃城決定:1619(元和5年)

血天井がある理由・経緯

不明・調査中

見どころ

調査中

拝観情報

瑞雲院(ずいうんいん)
公開日 通常非公開
※事前の電話で予約で拝観可能の情報あり
拝観時間 要確認
拝観料 志納
公開内容 ・本堂、庭園
・書院
御朱印の有無 あり(題目)
血天井の場所と特徴 ・本堂の縁の天井
・非常に分かりにくい状態
最寄り駅 ・市バス「堀川五条」下車、徒歩約5分
※9番
・京都バス「大宮五条」下車、徒歩約10分
※81・84番
住所 京都市下京区岩上通五条上る東側柿本町682
問い合わせ TEL:075-811-0093
公式サイト なし

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