一休さんゆかりの「真珠庵(大徳寺塔頭)」は通常非公開ですが、2024年秋に特別公開が行われています。(2024年9月20日~12月8日※期間中、拝観休止日あり)
今回の特別公開は400年ぶりに新調された襖絵の一般公開3回目です。
今年はなんとスマホやガラケーのカメラであれば襖絵やお庭の写真撮影がOK!
「現代作家の襖絵ってどうなの?」と思うかもですが、マンガ・アニメ・ゲームの世界の第一人者たちが、ノーギャラにもかかわらず真珠庵内で夢中になって制作した襖絵には引き込まれるものがあります。
特別公開時には真珠庵に古くからある土佐光起や狩野元信の作品なども見られるので、ぜひこちらの記事で当日の様子(写真)を見ながら行くか行かないか決めてみてはいかがですか?
目次を開いて気になる項目から読み進めてください。
(項目をタップ/クリックすると該当箇所へ移動します)
- 基本情報|真珠庵・特別公開
- 公開エリア・拝観ルート・公開内容|真珠庵・特別公開
- 見どころ1:本堂襖絵(400年ぶりの新調・現代絵師6名)|真珠庵・特別公開
- 見どころ2:4つの庭園|真珠庵・特別公開2024
- 見どころ3:書院「通僊院」と障壁画|真珠庵・特別公開2024
- 見どころ4:茶室「庭玉軒」|真珠庵・特別公開2024
- 見どころ5:その他の寺宝|真珠庵・特別公開2024
- 歴史・由緒|真珠庵・特別公開
- レビュー|真珠庵・特別公開
- 御朱印・御朱印帳・授与所|真珠庵・特別公開
- その他授与品・グッズ|真珠庵・特別公開
- 当日の様子を写真で紹介|真珠庵・特別公開
- 順路1:表門から拝観受付
- 順路2:下駄箱からクローク
- 順路3:朱印帳を預ける
- 順路4:方丈の広縁で解説待ち
- 順路5:室中(襖絵「楽園」「空花」と寺宝)
- 順路6:旦那の間(襖絵「かろうじて生きている」と修復材の展示)
- 順路7:七五三の庭(方丈西庭)
- 順路8:衣鉢の間(襖絵「寒山拾得」と狩野派屏風)
- 順路9:方丈北側廊下(日本画・一休禅師)
- 順路10:方丈北側の坪庭(村田珠光愛用の手水鉢と紫式部ゆかりの井戸)
- 順路11:書院「通僊院」(源氏物語図屏風と通僊院庭園)
- 順路12:茶室「庭玉軒」
- 順路13:書院「通僊院」(襖絵「西湖の図」狩野元信)
- 順路14:書院「通僊院」(襖絵「花鳥図」土佐 光起)
- 順路15:方丈に戻って「大書院(書院の間)」へ
- 順路16:大書院(襖絵「オトナの一休さん」と寺宝)
- 順路17:礼の間(襖絵・Purus Terrae浄土)
- 順路18:庫裡前庭(坪庭)
- 順路19:庫裡へ(原在中の屏風・御朱印・グッズ)
- 順路20:前庭と庫裡の玄関
- 拝観前に知っておきたい注意点
- 交通アクセス
- あなたにオススメの記事
基本情報|真珠庵・特別公開
公開日・拝観時間・拝観料金
拝観基本情報|大徳寺塔頭・真珠庵 特別公開2024 | |
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公開日 | 2024年9月20日(金)~2024年12月8日(日) ※10/21(月)、11/24(日)~26(火)は拝観休止 |
拝観時間 | 9:30~15:30受付終了 ※10/4(金)は11:30受付終了 ※9:30から20分毎に解説が始まる(9:30~、9:50~と続く) |
拝観料 | ・大人2000円 ・高校生1000円 ・小中学生500円(保護者同伴) ・未就学児無料(保護者同伴) |
問い合わせ先 | 京都春秋 TEL:075-231-7015 公式サイト:こちら 公式SNS:Instagram |
※拝観休止日は変更になる可能性があるためお出かけ前に京都春秋の情報をご確認ください。インスタグラムが更新されているようです。
所要時間
- 所要時間:約40~60分(解説を聞く場合の目安)
⇒説明員さんの解説を聞きながら見て回ると約40分程
⇒9~10か所で3~4分の解説があります - 所要時間:約20~30分(解説を聞かない場合の目安)
⇒解説は聞かずに各部屋や庭を2分くらいずつの間隔で見て回った場合の目安
今回の特別拝観は拝観料が2000円なので、サクサク見るのは非常にもったいないです。
1周目は解説を聞きながら、2週目は好きな場所をスキンだけといった具合に拝観するのをオススメします。
撮影の可否
- 撮影可能エリアは、スマホかガラケーで撮影可能
⇒デジタルカメラや一眼レフなどのカメラでの撮影は全エリアでNG
2024年真珠庵特別公開 | |
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撮影可能エリア | ・本堂襖絵 ・本堂庭園 |
撮影不可エリア | ・本堂仏間 ・書院「通僊院」、茶室「庭玉軒」、「源氏物語図屏風」 |
トイレの有無
- 拝観者用トイレ:あり
⇒特別公開期間中のクロークの前にトイレがある
⇒トイレのドアを開けると男性用便器が1個、その奥に洋式トイレが1個(個室)がある
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公開エリア・拝観ルート・公開内容|真珠庵・特別公開
公開エリアと拝観ルート(間取図あり)
2024年の真珠庵特別公開は次の3か所が有料拝観エリアになっています。
- エリア1:方丈(本堂)と方丈周りの庭園
- エリア2:書院「通僊院」と茶室「庭玉軒」、その周りの庭園
- エリア3:庫裡の東側の一部
⇒朱印所・授与所となっているため見られます
拝観ルートは、上の図で記載の赤点線とオレンジ点線です。
ルートは目安として書いていますが、拝観受付後は終了時間まで公開エリア内を何周でも見て回ることができます。
公開内容詳細リスト(拝観して確認)
実際に拝観するとたくさんの襖絵や屏風絵を見ることができます。
①方丈エリア・②書院「通僊院」エリア・③庫裏エリアに分けて紹介します。
①方丈エリアの公開内容
公開内容|大徳寺塔頭・真珠庵 特別公開2024 | |
方丈(本堂):室中 | |
襖絵①「楽園」 漫画家・北見けんいちの作品 (釣りバカ日誌作画担当) |
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A「ビーズの天蓋」 室町時代後期の堺の豪商・尾和宗臨が中国に発注して作成・寄進 |
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B「遺偈 (ゆいげ) 」と「一行書」 ⇒一休宗純禅師直筆の複製品 ⇒中央が遺偈、両サイドが「一行書」 |
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方丈(本堂):仏間 | |
襖絵②「空花(くうか)」 美術家・山口和也の作品 |
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C「一休和尚坐像」 没後一休の髪を植えたとされる木像 |
写真なし |
方丈(本堂):檀那の間 | |
襖絵③「かろうじて生きている」 アニメーション監督・山賀博之の作品 (元ガイナックス社長) |
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展示① 襖絵修復時の裏紙などの もともと方丈にあった襖絵修復に関する展示 |
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方丈(本堂):衣鉢の間 | |
襖絵④「寒山拾得(かんざんじっとく)」 日本画家で僧侶・濱地創宗の作品 |
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展示②「四季農耕図」屏風(六曲一双) 狩野 興以(かのう こうい)の作品 |
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方丈(本堂):大書院 | |
襖絵⑤「オトナの一休さん」 イラストレーター伊野孝行の作品 (Eテレアニメ「大人の一休さん)の絵を担当) |
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G 障壁画(貼付壁) 曽我蛇足の作品 |
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展示④:「唐子図」小屏風 江戸初期の狩野派の作品 |
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方丈(本堂):礼の間 | |
襖絵⑥「Purus Terrae浄土」 ゲームクリエーター上国料 勇の作品 (FFVⅢアートディレクター) |
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方丈(本堂)廊下:衣鉢の間横 | |
D 一休宗純禅師の肖像画 日本画家・高橋 玄輝の作品 (縦約2.5m 横約1.8m) |
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方丈庭園 | |
・方丈南庭 | |
方丈東庭「七五三の庭」 ⇒茶人・村田珠光作庭と伝わる ⇒国指定名勝の枯山水庭園 |
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②書院「通僊院」エリアの公開内容
公開内容|大徳寺塔頭・真珠庵 特別公開2024 | |
建物|書院「通僊院」 |
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・書院「通僊院」 ⇒寛政15年に正親町天皇の女御の化粧殿(けわいでん)を移築 ⇒国の重要文化財 |
※塀の奥の建物が書院「通僊院」 |
寺宝・障壁画|書院「通僊院」 | |
・展示③「源氏物語図屏風」初公開 ⇒作者不明・17世紀(江戸時代前期)の作品 ⇒六曲一双の屏風 ※書院「通僊院」の次の間に展示 |
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・h 襖絵「山水図」 ⇒狩野元信(かのうもとのぶ)の作品 ※書院「通僊院」の次の間襖絵 ※展示③の屏風でほぼ見えない |
写真なし |
・Eとi 襖絵「西湖図」 ⇒狩野元信(かのうもとのぶ)の作 |
写真なし |
・J:地袋 ⇒作者不明・タイトル不明 ・k:襖絵 ⇒作者不明・タイトル不明 ・l:屏風 ⇒作者不明・タイトル不明 |
写真なし |
・F 襖絵「花鳥図」4面 ⇒土佐 光起(とさ みつおき)の作品 ⇒納戸の間 |
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・m 襖絵「浜松図」 ⇒作者不明(土佐光起の作品ではない) |
写真なし |
茶室|書院「通僊院」に付属 |
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・茶室「庭玉軒」 ⇒江戸時代初期の茶人・金森宗和好みと伝わる ※好み=茶人が意匠などを職人に指示してつくらせたもの ⇒二畳台目の座敷 ⇒国の重要文化財 |
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庭園 | |
・通僊院庭園 ⇒茶室南側と書院東側の露地 ⇒江戸時代初期の茶人・金森宗和の作庭と伝わる ⇒国指定名勝の枯山水庭園 |
写真なし |
③庫裏エリアの公開内容
公開内容|大徳寺塔頭・真珠庵 特別公開2024 | ||
庫裡(朱印所・授与所横) | 襖絵や寺宝・展示など | |
・n 屏風 ⇒原 在中(はら ざいちゅう)の作品。 ⇒鶴がモチーフ ※本物か複製かは不明です |
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見どころ1:本堂襖絵(400年ぶりの新調・現代絵師6名)|真珠庵・特別公開
襖絵1:「楽園」漫画家・北見けんいち(釣りバカ日誌作画担当)
- 襖絵①「楽園」:北見けんいち(漫画家)の筆・全16面
⇒北見けんいちが別荘を構える与論島(鹿児島県)での宴の様子を「楽園」と題して制作
特別公開2024年の見どころ1つ目は襖絵。
方丈の南側中央の部屋「室中」を飾るのは、釣りバカ日誌の作画担当として有名な漫画家・北見けんいち先生の襖絵16面です。
こちら↓が北見けんいち先生。
北見けんいち先生と真珠庵の住職・山田宗正さんは昔からの友人で、今回の襖絵制作にあたって住職が最初に声をかけた人物。
襖絵に描かれている様子は、実際に鹿児島県の与論島にある北見けんいち先生の別荘で行われる宴会の様子です。
こちら↑は仏間に向かって右側(東側)の襖4面。
北見先生にとっての一番の「楽園」が20歳の時に初めて訪れてから今でもずっと与論島で、今回の襖絵のテーマにしたとのことです。
ちなみに、北見先生は写真学校に通っていた20歳の時(1961年/昭和36年)に、卒業制作の写真を撮るために友人3人と与論島を訪れ、1か月間滞在する中で島の自然と人情に魅せられたそうです。
これ以降、半世紀以上与論島に通われ、1993年(平成5年)におもいきって別荘を購入したとか。
毎年夏には漫画家仲間や全国の友人と島の人も交えて40~50人で宴会を行い、この時の様子が襖絵に描かれているというわけです。
襖絵内には島で行われる宴会の10倍、400人の人物が描かれています。
描かれた人物は、実在する島の方や先生の友人、先生が慕う故人、釣りバカに日誌のスーさんとハマちゃんです。
ネタバレになるので実際の写真は本記事の最後(こちら)で紹介します。
ちなみに、真珠庵の住職・山田宗正さんは北見先生と一緒に鹿児島県の与論島へ行っている仲だそうで、襖絵の中には住職も複数個所に描かれています。
仏間に向かって右側(東側)の襖には、マイクを持って熱唱する山田宗正住職の姿が描かれています。
山田宗正住職は、ローリング・ストーンズなどの楽曲を歌うロックなお坊さんでもあるそうです。
ちなみに、襖に描かれているテントや建物などは北見けんいち先生の与論島の別荘に実際にあるものです。
こちら↑は仏間に向かって左側(西側)にある4面です。
こちらの面には、真珠庵の襖絵修復費用を寄与した方の姿が描かれているそうです。
もともとクラウドファンディングで一休さんにちなんだ193万円分の返礼品でしたが期間内にエントリーする方がなく、後日寄与された方を描いたとのこと。
こちら↑の襖絵ののどこかに書かれているそうですが、具体的にどれなのかは分からずじまいでした。
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こちら↑は仏間側(北側)の襖絵8面です。
北見けんいち先生の別荘の目の前にある与論島の海が描かれています。
右から4枚目には海を見つめる真珠庵のご住職の姿があります。
北見けんいちさん曰く、今回の襖絵で1番難しかったのが「ガジュマルの木」だそうです。
制作の初期のころはは木を描くだけで10日かかったそうです。
こちら↑は仏間に向かって右側面の襖絵。左上に「ガジュマルの木」が並びます。
こちら↑は仏間の横(右側)の襖。
写真の右端がガジュマルの木ですが、特別公開時は1/4くらいしか見えないです。
真珠庵のパンフレットには、ガジュマルが描かれた部分もしっかり映っているのでぜひそちらで確認してみてください。
ガジュマルの木は、フリーハンドで写真を見ながら枝ぶりを描いたたそうです。
北見先生ご本人としては「うまくいった」と話されてました。
なお、北見けんいち先生は3本の連載を抱える超多の合間に何度も真珠庵に足を運び、真珠庵の離れで制作されたそうです。
さすがに16面もあるので、アシスタントも動員して取り組まれたようです。
なお、↓こちらのインスタに実際の宴会の様子が紹介されていたので興味がある方は覗いて見てください。(2枚目の写真を見ると襖絵がそのままだと分かります)
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襖絵2:「空花」美術家・山口和也
- 襖絵②「空花」:美術家・山口和也の筆・全4面
⇒早朝の坐禅で感じた闇の粒子を元に「瞬間の彼方にある永遠」を表現
美術家・山口和也さんの作品は撮影禁止の「仏間」にあるため真珠庵のパンフレットより紹介しています。
仏間の須弥壇の下にある引き戸部分の4面が作品です。
なお、美術家の山口和也さんは和紙作りから始めています。
しかも、自ら山で雁皮を取り、木づちで繊維を叩き、湧き水で紙を漉いたという徹底ぶり。
紙を完成させるだけで半年かかったそうです。
和紙作りについてさらに言うなら、今回山口さんが山でとった雁皮は、成育が遅く栽培が難しいため、野生のものを採取しなくてはいけないらしく、石川県南加賀地方の山に分け入って取ってきたそうです。
そして雁皮から作った「雁皮紙」は「紙の王」と評されるほど。
雁皮は、繊維が細く短いので緻密で緊密な紙となるそうで、紙肌は滑らかで赤クリームの自然色(鳥の子色)の独特な光沢あるだけでなく、丈夫で虫の害にも強いそうです。
作品は、山口さんが薄暗い本堂でひとり、仏像と同じ「半眼」で座禅を組んでいた時に見えた「闇の粒子」が制作の起点になっているとのこと。
自らの手で作った雁皮紙が真っ黒になるまで松煙墨を噴きかけ、その上に銀箔の星を貼り、また松煙墨を拭きける工程を繰り返し、仕上げは紙の上に染料や顔料を調合した特製花火をのせ着火するという独自の手法で、画面全体に閃光を走らせたそうです。
■松煙墨(しょうえんぼく)
松の木を燃やした煤(すす)と膠(にかわ)を原料に作られる墨
黒い画面の上に銀や青や赤の星の瞬きが見える「瞬間の彼方にある永遠」がテーマの襖絵です。
ちなみにこちら↓が美術家の山口さん。
真珠庵のご住職が山口さんに襖絵を依頼した経緯も仏教の「縁」を想起させる物語があります。
2人の縁をつないだのは、今は亡きプロボクサーの小松則幸さん。
小松則幸さんは、2009年4月に試合前の精神統一のため真珠庵で数日間の座禅修行に取り組んでいました。
そして、その翌日に滋賀県大津市の滝に誤って落ちて亡くなってしまいます。
そんな小松則幸さんを美術家の山口さんも2003年から6年間カメラで追い続けていたのです。
この世を去った小松則幸さんの姿を留めておこうと山口さんが自主制作した写真集「 KOMATSU NORIYUKI YAMAGUCHI KAZUYA 」を目にした真珠庵の山田宗正住職が、山口さんに襖絵制作を依頼したそうなのです。
山田宗正住職が山口さんが出版した写真集を手にしていなかったり、山口さんが他のボクサーを追っていたら、今ここにはない襖絵「空花」。
制作のストーリーを知ることでより神聖に感じる作品です。
もう一つ山口さんと作品にまつわるエピソードを紹介しておきますね。
山口さんの作品がある仏間は、滅多に人が入ることもなく住職や僧侶しか立ち入らない場所。
なので、山口さんに「せっかくの作品が人の目に触れることが少ないのは不満ではないですか」と聞いたそうですが、「そこが気に入っている。一休さんの木像に一番近い聖域に描かせていただけたのは光栄なこと」と淡々とした様子だったそうです。
作品の制作工程を知っていると、この発言もすごく納得ですね。
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襖絵3:「かろうじて生きている」アニメーション監督・山賀博之
- 襖絵③「かろうじて生きている」:アニメーション監督・山賀博之の作品・全8面
⇒自身が原案・脚本・監督を務め1987年に公開されたSFアニメ映画「王立宇宙軍 オネミアスの翼」の続編として制作構想されるも凍結した「蒼きウル」の世界観を体現
⇒厳しい「現世」がテーマ
方丈の南東側の部屋「檀那の間」を飾るのは、元ガイナックス社長でアニメーション監督・山賀博之さんの襖絵。
こちら↓が山賀博之さん。
ガイナックスは『新世紀エヴァンゲリオン』『ふしぎの海のナディア』を作ったアニメ制作会社です。(この2つのアニメであれば知っている方も多いのでは?)
アニメーション監督・山賀博之さんの襖絵「かろうじて生きている」は、破戒僧と呼ばれた一休禅師のお寺・真珠庵だからこそ実現したモチーフだと感じています。
「檀那の間」は、お寺を支える檀家さんなどを迎えるかなり特別な部屋。
そこに映画館のスクリーンのように「蒼きウル」というアニメーションが広がっていると考えるとなかなか奇抜ですよね。
特にテーマである「厳しい現世」の表現として、かなり直接的なモチーフが描かれ「歴史ある禅寺に戦闘機とは何事!?」と思われる方も多いのでは?
でも、「若い頃から仏教の戒律を無視し続けた型破りな破戒僧・一休禅師の塔頭ですから、なんでもありですよ」と言われれば納得せざるを得ない。
しかも、アニメーション監督の山賀博之さんは「自分はアニメ屋だけど絵は描けないし、描く気もない。一生食いっぱぐれないために有能なアニメーターを使って映画を作るんだ」と話していたそうなのでなおさらビックリ!
そんな山賀博之さんに真珠庵の山田宗正住職が襖絵を依頼した理由もまたまたユニーク。
2013年頃に真珠庵の山田住職が指導者として参加した東京(落合)の座禅会に参加していた山賀さんの深い呼吸を見て、並外れた「禅定力」を直観して依頼を決めたとか。(禅定力は精神の集中や宗教的な精神世界に入る力のこと)
しかも山田宗正住職は山賀さんの絵だけでなく「エヴァンゲリオン」すら一度も見たことがないというので、もう「眼には見えない力」での繋がりでしかありません。
とはいえ、アニメーション監督・山賀博之さんは、もともと「檀那の間」にあった襖絵の作者・長谷川等伯や仏教や禅を意識したモチーフや表現も使われています。
上の写真は、旦那の間の北側4面。
人物と松が描かれていますが、ここにあった長谷川等伯の「商山四皓図」にも人と松が描かれていました。
等伯は松の輪郭を軽快なタッチで描いていますが、山賀博之さんは墨の濃淡だけで表現する水墨画の技法で松を描いています。
また、新潟県出身の山賀さんは能登生まれの長谷川等伯にシンパシーを感じ日本海を描いています。
長谷川等伯が線で石や松を描いたのに対し、山賀さんは点を重ねて表現。
等伯が生きた時代には存在しなかったテトラポットがあるのがまた何とも言えませんね。
そして、西側の襖絵中央には円が描かれているのですが、円は禅の高僧や禅画の名手が多く描いてきたモチーフです。
円は⼤宇宙や悟りを表す形状で、この世界に最初に生まれた形のひとつ。
こちら↑の襖絵西側の右上に書かれた仏教都市は「旦那の間」と対の位置にある「礼の間」の襖絵に繋がっているそうです。
なお、左側の鳥は「ウミネコ」です。
(黒い鳥なのでカラスだと思っていました。。すみません!)
ちなみに、山賀さんは2017年秋から真珠庵に泊まり込んで襖絵に取り組み、2018年3月に襖絵を完成させたとのこと。
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襖絵4:「寒山拾得」日本画家で僧侶・濱地創宗
- 襖絵④「寒山拾得」:日本画家で僧侶の濱地創宗の作品・全4面
⇒中国唐の時代の高僧・寒山と拾得を描く
今回400年ぶりに新調された襖絵の中で最も分かりやすく禅寺らしいモチーフが描かれたのが日本画家で僧侶の濱地創宗さんの襖絵「寒山拾得」です。
方丈(本堂)の北東側の部屋「衣鉢の間」に4面描かれています。
(衣鉢の間は師匠から弟子に法を継ぐ部屋)
寒山と拾得は中国の唐時代に生きたとされる豊干禅師に師事した詩僧で、中国や日本の禅宗寺院に所属する画僧が多く描いてきたモチーフです。
こちら↓が作者の濱地創宗さんです。
濱地創宗さんは、2007年に京都精華大学芸術学部を卒業した後、真珠庵で書生として2年半居候していた縁で住職から襖絵を依頼されています。
濱地創宗さんは2012年に出家得度された僧侶で日本画家ですが、2021年に保育士資格も取得されています。
現在は京都市左京区で「子ども造形アトリみどりの会」を主催されたり、児童福祉施設で日々子どもたちと過ごされているそうです。
日々子どもたちと関わっている濱地創宗さんだからこそ、いつも子どのように遊び回っていたとされる寒山と拾得を描くことになったのでしょうか。
左に描かれているのが寒山で、右に描かれたホウキを持った人物が拾得です。
ちなみに、2人の名前は豊干禅師に拾われ養われたので「拾得」、寒山の洞窟に住んでいたから「寒山」だとか。
「寒山拾得」をモチーフにした襖絵は、多くの場合2人がデカデカと描かれますが、濱地創宗さんの寒山拾得は非常に小さくつつましやかです。
そして、襖に描かれたイチョウの葉もとても繊細で美しいの特徴的です。
木の枝についた葉は一瞬桜のようにも見えますが、地面に散った葉はしっかりとイチョウの葉だと分かる形状です。
濱地創宗さんについてはどんな方なのかといった情報がとても少なくミステリアスです。
いろいろ調べたところ『禅に親しむ』という北野大雲(長岡禅塾副塾長) 著書の挿絵を担当されているようです。
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襖絵5:「オトナの一休さん」イラストレーター・伊野孝行(Eテレアニメ)
- 襖絵⑤「オトナの一休さん」:イラストレーター・伊野孝行の作品・全5面
⇒Eテレの5分間アニメ番組『オトナの一休さん』
方丈(本堂)北西側にある部屋「大書院」には、一休宗純禅師が描かれた襖絵「オトナの一休さん」6面があります。
大書院は多くの場合「書院の間」と呼ばれる部屋で住職が書を読んだり文を書いた部屋です。
作者は2016~2017年にNHK・Eテレにて放送された「オトナの一休さん」のキャラクターデザインを担当し、全26話すべての絵を一人で描き切ったイラストレーターの伊野孝行さん。
なんと今回襖絵を手掛けた6名の作家の中で最速の2泊3日で描き終えたそうです。
こちら↓がイラストレーターの伊野孝行さん。
襖絵のこちら↓の琵琶を弾く僧は、真珠庵1代目の住職・没倫紹等なのですが、お顔は伊野孝行さんご本人をモデルにしているそうです。
ちなみに、とんがり頭の小僧さんが持っているドーナツは、伊野孝行さんが2021年出版した「となりの一休さん」の創作マンガの中に出てくる菓子「通無道」。
「通無道」は、一休宗純禅師が晩年に暮らした京都府京田辺市にある「酬恩庵(一休寺)」の田辺宗弘副住職が、伊野孝行さんの創作マンガをきっかけに実際に作ってしまったというエピソードがあります。
禅宗の僧はやはり自由な発想と行動力が重要なようですね。
話がちょっとそれたので襖絵に戻しましょう。
イラストレーターの伊野孝行さんは、番組スタッフの誘いで参加した座禅会で真珠庵の山田住職と知り合い、襖絵の制作を依頼されたそうです。
こちら↑の4面には、マイクを握り熱唱する一休さんと晩年の愛人であった盲目の美女・森女と小僧(弟子)さんたち、新右衛門さんこと蜷川新右衛門が描かれています。
蜷川新右衛門は一休和尚とほぼ同時代に活躍し、文化人としてよく知られた人物で、今でいうならスーパー官僚だそうです。
ちなみに、新右衛門は蜷川氏の当主が代々名乗った通称で、蜷川氏の8代目親当が一休さんと関わりがあったとか。
新右衛門さんこと、蜷川氏の8代目親当のご子孫は格闘家の武蔵さんなのが驚きです。
こちら↑にある一休さんの上に書かれた文字は一休宗純が「狂雲集」に残している漢詩です。
風狂狂客起狂風(風狂の狂客 狂風を起こす)
来往婬坊酒肆中(来往す 淫坊酒肆の中に)
具眼衲僧誰一拶(具眼の衲僧 誰か一拶せん)
画南画北画西東(南を画し北を画し西東画するのみ)
《意訳例》
・遊郭や酒場に行き戒律を守らない、気が狂ったような私こそが悟りを起こす。
・「さぁ、我こそは本質を見抜く見識をもつ」と自負する禅僧よ、私を推し量ってみろ。
・東西南北をはっきり区切れないように私の本質を見極めることはできないだろう。
こちら↓を参考にしてぜひご自身でも訳してみてください。
■風狂:仏教本来の常軌(戒律など)を逸した行動を破戒として否定的にとるのではなく悟りの境涯を現したものとして肯定的に評価した用語で禅宗において重要視される
■狂客:とんでもないことをしでかす人間、馬鹿なことをする男、風狂の人、風雅に徹している人
■婬坊酒肆:歓楽街・酒場
■具眼:物の本質を見抜く力
■衲僧:衲衣を着けた者の意で、特に禅僧のことを指す
■拶:禅家で門下の僧に押し問答して、その悟りの深浅を試すこと
この漢詩は、NHK・Eテレにて放送された「オトナの一休さん」のテーマソングにもなっていて、襖絵の一休さんはテーマーソングを気持ちよく歌っている姿だとか。
ちなみに、アニメ「オトナの一休さん」は、漢詩集(狂雲集)に書かれた一休さんの破天荒なエピソードをアニメ化されたそうです。
襖に描かれる骸骨↑も一休宗純にゆかりの深いモチーフです。
一休さんが正月早々に竹の先に頭蓋骨をつけて「ご用心、ご用心」と、言いながら京都の街をねり歩いたという逸話があります。
この奇行に対してもいろいろ解釈があるのですが、それを書いていると長くなるので割愛しますね。
また、21世紀まで一休の作だとされていた「一休骸骨」(人間のように振る舞う骸骨を滑稽に描きつつ、仏教の「生死一如」を説いた本)なんていうのもあります。
襖絵を描いた伊野孝行さんが、どのエピソードから骸骨を描いたかは、分かりませんが伊藤さんは真珠庵の襖絵以外でも一休さんと骸骨を一緒に登場させています。
最後に、左の襖↑に描かれた僧は、一休禅師と対立していた兄弟子・養叟宗頤です。
なお、背景の松は長谷川等伯の傑作「松林図」をオマージュして描かれているそうです。
伊野孝行さんが2021年出版した「となりの一休さん」も読んでみたくなりました。
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襖絵6:「Purus Terrae浄土」ゲームクリエーター上国料勇(FFアートディレクター)
- 襖絵⑥「Purus Terrae浄土」:ゲームクリエーター上国料 勇の作品・全8面
⇒神仏と雲海に浮かぶ仏教都市を描き「西方浄土」を表現
新調された襖絵のトリは、世界的な大ヒットゲーム「ファイナルファンタジー」のアートディレクターを務めた上国料 勇さんの「Purus Terrae浄土」です。
方丈(本堂)南西側の「礼の間」に8面描かれています。
「礼の間」は住職がお客様を通す部屋です。
こちら↓が上国料 勇さんです。
上国料 勇さんには、真珠庵の山田住職が「未来の観音菩薩」をテーマにお願いされたようです。
上国料 勇さんの襖絵で特質すべき点は2つ。
ひとつは、最初の一般公開(2018年)中も加筆されたこと。
2018年当時、「まだ100カ所は直したい」「完成は60歳」と言いながら描かれていたそうです。
なので、真珠庵のパンフレットに掲載されている襖絵の状態と2024年の今の襖絵は少し違うようなのですが、どこが違うのかは分かりませんでした。
おそらくご本人にしか分からない微差の追求なのでしょうね。
特質すべきもう1点は、襖に描かれた神仏には実際のモデルがいること。
風神、雷神は人気グループ「EXILE(エグザイル)」のメンバーを真珠庵に招いて実際にパフォーマンスをしてもらって描いたそうです。
↓こちらが雷神と風神
雷神:EXILEの佐藤大樹さんがモデル | 風神:EXILEの世界さんがモデル |
EXILE 最新ニュースに当時の投稿があったので載せておきますね。
【記事】大徳寺・真珠庵に“現代の襖絵”漫画家ら6作品、9月から一般公開
上国料勇さんは日本画顔料などを使い西方浄土を表現。風神、雷神はEXILEのメンバーをモデルに描いた。https://t.co/5YssUJe7mG
世界と佐藤大樹が風神・雷神のモデルに!
LDHTV 告知動画
→ https://t.co/adkD9q7l55 pic.twitter.com/sUgLoSv9Vm— EXILE 最新ニュース (@exnews24) May 9, 2018
こちら↑の観音さま(右)は、上国料さんと真珠庵の住職が訪れた祇園のバーの女性スタッフさんがモデル。
弁才天(左)は、上国料さんの奥様の子どもの頃のお姿だそうです。
こちら↑の中央にいらっしゃる「不動明王」は、真珠庵の襖絵を手掛けた元ガイナックス社長でアニメ監督の山賀博之さん(襖絵「かろうじて生きている」の作者)。
↓こちらが山賀博之さん
こちらのお写真は少し斜めからですが、確かに上国料さんが描いた「不動明王」ですね。
今回の襖絵を手掛けた皆さんは、真珠庵に合宿して制作にあたられてるので、きっと上国料さんと山賀さんは同じ時間を多く真珠庵ですごされたのでしょうね。
ちなみに、不動明王の左右にいらっしゃるのは、荼枳尼天(左)と吉祥天(右)です。
残念なながらこちらのモデルについては分からずです。
吉祥天の右下には龍王が描かれています。
上国料さんは、東側のこちら↑の襖絵の1番右に何を描くか随分と悩まれたそうで、最終的に真珠庵の庭を描くことに。
↑こちらの石は襖絵がある部屋の間にある庭の端の石(こちら↓)です。
写真だと葉に隠れてよく見えないので、ぜひ実際に真珠庵さんで確認してください。
個人的には上の写真にある段々になっている石が襖絵の↓こちらの仏教都市を想起させるので、この石が着想では?と勝手に思っています。
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見どころ2:4つの庭園|真珠庵・特別公開2024
庭園1:方丈東庭「七五三の庭」(国の名勝・史跡)
- 七五三の庭:方丈東側の庭
⇒侘び茶の祖であり、一休宗純に参禅した村田珠光の作と伝わる枯山水
⇒1924年(大正13年)に国の名勝および史跡に指定される
※七五三の庭と通僊院庭園を合わせて「真珠庵庭園」として登録されている
真珠庵の見どころ2番目は庭園なのですが、その中で1番古いのが「七五三の庭(真珠庵庭園)」です。
一休宗純に参禅した侘び茶の祖・村田珠光が作庭したと伝わる枯山水で、広さは50~70㎡ほど。
■村田 珠光(1423-1502没)
室町時代中期の茶人。茶の湯に禅の精神を加味することで、精神的な深みの漂う作法(侘び茶)を創り出した。
作庭時期は室町時代(15世紀後~16世紀前半)とされ、15個の石が7・5・3に分けて配石されています。
真珠庵庭園(七五三の庭) | ||
庭園左(北側) 3石 |
庭園中央 5石 |
庭園中央(南側) 7石 |
今は、低い生垣の後ろと築地塀の後ろに大きな木がありますが、かつては大きな木はなく、五山の送り火(大文字)が見えたり、葵祭の行列が見えたそうです。
今は、現代的な建物が見えないようにあえて大きな木を植えられています。
なお、「真珠庵庭園(七五三の庭)」は1924年(大正13年)に国の名勝および史跡に指定されています。
庭園2:書院前庭「通僊院庭園」(国の名勝・史跡)
写真に写っている庭園が書院前庭「通僊院庭園」(出典:京都春秋サイトキャプチャ)
- 書院前庭「通僊院庭園」
⇒寛永年間(1624-1645)に書院「通僊院」の移築と同時期に造営
※真珠庵パンフでは通僊院の移築は1638年
⇒1924年(大正13年)に国の名勝および史跡に指定される
※七五三の庭と通僊院庭園を合わせて「真珠庵庭園」として登録されている
真珠庵のお庭で2番目の見どころは「通僊院庭園」。
境内図で庭の場所を紹介します。
書院「通僊院」の右側(東側)が「通僊院庭園」です。
宗和流茶道の祖・金森宗和(金森重近)の作庭と伝わっているそうです。
■金森宗和(金森重近)(1584-1656年没)
飛騨国高山育ちの茶人で上品と繊細を特徴とする茶道の一派「宗和流茶道」の創始者。高山城主・金森可重の長男。祖父は千利休門下の茶人、父のは千利休の長男道安の弟子で代々茶の湯をたしなむ家系に育つ。30歳で父に勘当され母とともに京都へ移り住み、大徳寺で禅を学び剃髪して「宗和」となる。その後公家たちとの交流のなかで茶人として名を成す。
こちらのお庭については、案内係の方の解説は無く情報も少ないので詳しいことが分からないのですが、1924年(大正13年)に国の名勝および史跡に指定されています。
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庭園3:庫裏前庭
3つ目のお庭は、上国料 勇さんの襖絵「Purus Terrae浄土」に描かれた庫裏前庭(坪庭)。
上の写真は方丈側から見たものです。
作庭年や作庭者は不明ですが見どころのひとつです。
右奥の立石が襖絵「Purus Terrae浄土」に描かれています。
(ちょっと葉っぱに隠れて見ずらい写真なので現地で確認してください)
こちらは庫裏側から見た写真です。
庭園4:方丈南庭
4つ目のお庭は、真珠庵の方丈前庭(南庭)。
ちょっと珍しい松の木がメインの庭園です。松は赤松ではないかとのことでした。
松はグングン成長していて、2018年の特別公開の写真や映像と比べると大きくなっています。
同じに日に拝観にきていた方が前に来た時より大きくなってる!と言ってました。
なお、方丈南庭の奥には大徳寺(本山)の方丈があるのですが、2024年は修繕工事中でカバーがかかっています。
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見どころ3:書院「通僊院」と障壁画|真珠庵・特別公開2024
元は天皇の女御が使用した「化粧殿」
- 書院「通僊院(つうせんいん)」
⇒江戸前期1638年(寛永15年)に移築
⇒桁行12.2m、梁間12.1m、一重、南面入母屋造、北面切妻造、北面、
西面庇付、こけら葺
⇒1900年(明治33年)4月7日に重要文化財に指定
真珠庵の見どころ3番目は書院「通僊院」です。
この建物は正親町天皇の女御(天皇の后)が使用していた「化粧殿」を移築したもの。
御所から直接移築したわけではなく、室町時代後期から安土桃山時代の医師・半井瑞策が正親町天皇から下賜され、そののち真珠庵に移したようです。
ちなみに、1966年(昭和41年)12月に出版された『堺市史第7巻(別編)』には、半井瑞策が正親町天皇から下賜された御殿の一部を真珠庵に移したといった記載があります。
其後復隱殿の下賜があつた。恩賜の建物は、其後瑞策の甥其一半を堺に移した。卽ち現今堺市熊野町東一丁にある半井氏の邸宅で、唐破風造の玄關を有する建物、他は紫野大德寺眞珠庵通仙院の建物卽ちそれである。
引用元:堺市私立中央図書館サイト半井云也邸宅は熊野町一丁字山口筋二番地にあつた。此邸宅は正親町天皇より半井瑞策に下賜せられたものを其甥折半して一を大德寺に移して眞珠庵の通仙院とし、一を堺に移し、後云也之を傳へて其住家としたものと傳へてゐる。【舊址】今同邸は裔孫に當る半井好和氏の住居として同丁二番地に舊觀を傳へ、其構造唐破風の玄關に高き式臺を設けてゐる。
引用元:堺市私立中央図書館サイト
■正親町天皇(1517-1593年没)
日本の第106代天皇。
■半井瑞策(1522-1596年没)
室町時代後期から安土桃山時代の医師。皇后の病を治したことで正親町天皇より『医心方』30巻と「通仙院」の院号を与えられた。
室内の障壁画は狩野元信や土佐光起の作
書院「通僊院」には、上の図のアルファベット部分に障壁画があります。
複数の障壁画のうち次の2つが2024年の見どころになります。
- E:襖絵「西湖の図」狩野元信(8面)
※iを含めて8面 - F:襖絵「花鳥図(金碧花鳥図)」土佐光起(4面)
hの襖絵「山水図」(8面)は、狩野元信の作品のようですが、2024年の特別公開では襖の前に「源氏物語図屏風」の展示があり、見えなくなっています。
その他の襖絵は作者不明です。
mは説明員の方に作品名が「浜松図(金碧浜松図)」だと教えてもらいました。
F以外は写真がないので真珠庵で確認してみてください。
Fはパンフレットから紹介します。
- 「花鳥図(金碧花鳥図)」土佐光起(4面):納戸の間
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見どころ4:茶室「庭玉軒」|真珠庵・特別公開2024
金森宗和好みの茶室(雪国様式の土間あり)
(出典:京都春秋サイトキャプチャ)
- 茶室「庭玉軒(ていぎょくけん)」
⇒茶道宗和流の祖・金森宗和(金森重近)好みと伝わる
※好み=茶人が意匠などを職人に指示してつくらせたもの
⇒二畳台目茶室、水屋の間、土間より成る、こけら葺
⇒1900年(明治33年)4月7日に重要文化財に指定
真珠庵の見どころ4番目は、茶室「庭玉軒」です。
茶道宗和流の祖・金森宗和(金森重近)が作らせたと伝わる二畳台目下座床の茶室です。
金森宗和が雪国の飛騨高山出身なことから、庇屋根と壁で囲まれた「土間(内坪)」を設えた珍しい造りの茶室になっています。
2024年の特別拝観時は、↓の間取りにある「1▶」から土間を「2▶」から茶室を見学します。
■金森宗和(金森重近)(1584-1656年没)
飛騨国高山育ちの茶人で上品と繊細を特徴とする茶道の一派「宗和流茶道」の創始者。高山城主・金森可重の長男。祖父は千利休門下の茶人、父のは千利休の長男道安の弟子で代々茶の湯をたしなむ家系に育つ。30歳で父に勘当され母とともに京都へ移り住み、大徳寺で禅を学び剃髪して「宗和」となる。その後公家たちとの交流のなかで茶人として名を成す。
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見どころ5:その他の寺宝|真珠庵・特別公開2024
源氏物語屏風(17世紀の作品)初公開
- 源氏物語屏風
⇒作者不明、17世紀(江戸時代前期)の作
⇒六曲一双(各縦1m、横2.7m)
普段は京都国立博物館に寄託している「源氏物語屏風」が今回初公開されます。
大きさは縦1mなので、正座で座った状態で頭と同じくらいになる屏風です。
#紫式部 ゆかりの #大徳寺 ・真珠庵で「#源氏物語図屏風」…重文の書院や茶室も公開 : 読売新聞オンライン https://t.co/9emkgjQ2lR
— 読売新聞オンライン (@Yomiuri_Online) September 25, 2024
源氏物語全54帖の中からピックアップされたシーンが3つずつ描かれています。
- 右隻(―帖・桐壺、三帖・空蝉、二十四帖・胡蝶)
- 左隻(七帖・紅葉賀、十七帖・絵合、十四帖・澪標)
■源氏物語・7帖「紅葉賀(もみじのが)」
主人公光源氏の18歳の秋から19歳の秋までの1年の出来事を描いた巻
■源氏物語・17帖「絵合(えあわせ)」
光源氏31歳春の出来事を描いた巻
■源氏物語・14帖「澪標(みおつくし)」
光源氏28歳10月から29歳冬の出来事を描いた巻
■源氏物語・1帖「桐壺(きりつぼ)」
桐壺帝と桐壺更衣の契りから光源氏12歳までの出来事を描いた巻
■源氏物語・3帖「空蝉(うつせみ)」
光源氏17歳夏の出来事を描いた巻
■源氏物語・24帖「胡蝶(こちょう)」
光源氏36歳の春から夏の出来事を描いた巻
真珠の天蓋(室町時代の特注品)
- 室町時代後期の堺の豪商・尾和宗臨が中国に発注して作成・寄進
室町時代からある天蓋です。たくさんの色が使われてとてもきれいです。
真珠やラピスなども使われているとか。
狩野派の屏風「四季耕作図」「唐子図」
「四季耕作図」屏風
- 「四季耕作図」屏風・狩野興似の作
⇒種まき・田植え・秋の収穫など春夏秋冬の農作業の様子を描いた絵(縁起の良い図案)
⇒六曲一双
方丈の「衣鉢の間」に狩野興似の「四季耕作図」屏風が展示されています。
■狩野興以(?-1636年没)
安土桃山時代から江戸時代の狩野派(江戸狩野)の絵師。狩野光信に弟子入り。高台寺大方丈障壁画、や二条城など元和から寛永期の重要な障壁画制作に参加。
「唐子図」屏風
- 「唐子図」屏風・狩野派の作
⇒唐(中国)の子供を描いた絵(縁起の良い図案)
⇒六曲一双
方丈の「大書院」には、狩野派が描いた「唐子図」屏風が展示されています。
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歴史・由緒|真珠庵・特別公開
成り立ち・出来事
■室町時代 | |
---|---|
1491年 (延徳3年) |
・7月6日に開庵 ⇒堺の豪商・尾和宗臨が一休宗純を開祖に創建 ⇒一休宗純が亡くなったあと10年後に塔頭が完成した大徳寺では稀なケース ⇒方丈の襖絵は一休禅師の弟子でもあった曾我蛇足の作と伝わる ⇒この時に最初の方丈が立つ ※創建は諸説あり |
■江戸時代 | |
1601年 (慶長6年) |
・長谷川等伯が襖絵「商山四皓図」「蜆子猪頭図」を描く ⇒10月に10日間で描かれた |
1609年 (慶長14) |
・庫裡がつくられる |
1638年 (寛永15年) |
・方丈が再建される ⇒京の豪商・後藤益勝の寄進による ⇒現在の方丈はこの時再建されたもの ⇒この時、曾我蛇足の作の襖絵は新しい建物に合わせてカットされたとか ・書院「通僊院」が移築される ⇒御典医の半井瑞策が正親町天皇から拝領した屋敷の一部を真珠庵に寄進 ⇒建物は第106代天皇・正親町天皇の女御の「化粧殿(けわいでん)」だったもの ※化粧殿は身分の高い女性が日常の化粧の際に用いる殿舎 |
■明治時代 | |
1900年 (明治33年) |
・方丈(本堂)と書院「通仙院」(茶室「庭玉軒」含む)が国の重要文化財に指定される |
■大正時代 | |
1924年 (大正13年) |
・真珠庵庭園(七五三の庭と通仙院庭園)が国の名勝・史跡に指定される |
■昭和 | |
1962年 (昭和37年) |
・庫裏が国の重要文化財に指定される |
■平成 | |
2014年 (平成26年) |
・方丈の襖絵の修復作業開始 ※2015年開始の情報もあり |
2016年 (平成28) |
・通仙院(書院)と庭玉軒(茶室)のこけら葺屋根修復 |
2018年 (平成30年) |
・襖絵修復のためのクラウドファンディングを実施 ⇒曾我蛇足と長谷川等伯の襖絵修復費用を集める ・現代作家の6人の描いた襖絵初の一般公開 ⇒2018年9月1日~12月16日 |
■令和 | |
2020年 (令和2年) |
・日本最古の百鬼夜行絵巻と現代作家の6人の描いた襖絵の一般公開 ⇒9月19日~10月14日、10月24日~11月23日 |
2021年 (令和3年) |
・修復後の方丈襖絵(曾我蛇足と長谷川等伯の筆)の一般公開 ⇒2021年10月9日~12月5日(曽我蛇足・長谷川等伯 方丈襖絵修復完成記念 特別公開) |
真珠庵の創建は諸説あります。
真珠庵では一休宗純が亡くなられてから10年後の1491年(延徳3年)に堺の豪商、尾和宗臨によって建てられたとされています。
いろいろと調べてみたところ1961年(昭和36年)に書かれた日本建築学会技術報告集第69号には次のように書かれていました。
延徳三年(1491) に敷地が大徳寺山内に設定されたことが同院敷地渡状にみ
え,同年七月六日に庵開が行なわれた。
(引用元:日本建築学会技術報告集第69号)
■一休宗純(1394-1481年没)
室町時代の臨済宗大徳寺派の僧。出自は後小松天皇(100代目天皇)の子(身分の高い正妻以外の子)と伝えられている。
■尾和宗臨(生年不詳)
室町時代後期の堺の豪商。海外貿易で巨利を得るかたわら大徳寺の一休宗純に参禅する。応仁の乱後、大徳寺の方丈や仏殿、その他塔頭を再建する。
※参禅とは禅の修行をすること。臨済禅では師から与えられた問題(公案)に取り組み師から点検してもらうこと
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レビュー|真珠庵・特別公開
行ってよかったこと
- 撮影OKエリアが思ったより多かったこと
⇒新しい襖絵だけでなく仏間以外であれば方丈内の寺宝や広縁から見える建物なら写真が撮れたこと - 京都春秋のサイトに記載のない貴重な寺宝がたくさんあったこと
⇒狩野派の襖絵のてんじなどもあり予想以上に見る場所がたくさんありました - ご住職やスタッフの方が皆さん良い方だったこと
⇒真珠庵のファンになりました
残念だったこと
- 撮影ルールを守らない輩が野放しだったこと
⇒京都春秋のスタッフさんにちゃんと注意してもらいたい - 源氏物語図屏風で狩野元信の襖絵が見えなかったこと
⇒屏風をもう少し前に展示して襖絵も見えるようにしてもらえたらありがった方ですね
拝観料2000円の価値はある?
- 2000円の価値あり!
⇒拝観する前は2000円は高すぎる!と思ってましたが方丈エリア内は割と自由に写真も取れて、名のある作家の寺宝も見られたので拝観が終わった後には2000円は安く感じました!
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御朱印・御朱印帳・授与所|真珠庵・特別公開
御朱印(種類・値段・タイプ)
ご住職バージョン | 副住職(?)バージョン |
1枚300円(直書き) |
特別公開中は基本的にご住職が朱印帳に直接書いてくださいます。
ご住職が対応できないときは他のお寺の方(副住職?)が書いてくださいます。
真珠庵の御朱印は他にはない特徴があるのですが、なんと筆ではなく祇園祭の期間に販売される粽(厄除けのお守り)の柄の部分で書かれます!
↓ご住職が持っているのが粽。
(庫裏前の坪庭の写真を撮った際に映り込んでいたのを切り出しています)
ちなみに祇園祭の粽は↓こちらで、玄関に飾る厄病・災難除けのお守りで笹の葉で作られています。
粽は30種以上あり、真珠庵さんがどの粽で御朱印を書いているのかは聞きそびれました。
御朱印帳(種類・値段・タイプ)
寺宝シリーズ
1.百鬼夜行の朱印帳 | 2.一休禅師の朱印帳 |
1冊3000円(御朱印代込) 大判サイズ・蛇腹式 表紙の裏にイラストや文字つき |
1冊3000円(御朱印代込) 大判サイズ・蛇腹式 表紙の裏にイラストや文字つき |
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襖絵シリーズ
襖絵修復費用を集めるクラウドファンディングの返礼品として造られた御朱印帳が今回の特別公開では購入できます。
1.襖絵「楽園」の朱印帳 | 2.襖絵「空花」の朱印帳 |
漫画家・北見けんいち作の襖絵柄 | 美術家・山口和也作の襖絵柄 |
1冊3000円(御朱印代込) 大判サイズ・蛇腹式 表紙の裏にイラストや文字つき |
1冊3000円(御朱印代込) 大判サイズ・蛇腹式 表紙の裏にイラストや文字つき |
3.襖絵「かろおうじて生きている」の朱印帳 | 4.襖絵「寒山拾得」の朱印帳 |
アニメーション監督・山賀博之の襖絵柄 | 日本画家で僧侶・濱地創宗の襖絵柄 |
1冊3000円(御朱印代込) 大判サイズ・蛇腹式 表紙の裏にイラストや文字つき |
1冊3000円(御朱印代込) 大判サイズ・蛇腹式 表紙の裏にイラストや文字つき |
5.襖絵「オトナの一休さん」の朱印帳 | 6.襖絵「Purus Terrae浄土」の朱印帳 |
イラストレーター伊野孝行の襖絵柄 | ゲームクリエーター上国料勇の襖絵柄 |
1冊3000円(御朱印代込) 大判サイズ・蛇腹式 表紙の裏にイラストや文字つき |
1冊3000円(御朱印代込) 大判サイズ・蛇腹式 表紙の裏にイラストや文字つき |
クラウドファンディングの返礼品は、表紙の裏のイラストや文字が襖絵を書かれた作家さんのものだったようですが、今は住職の文字やイラストが描かれています。
こちらも1冊1冊違うので、実際に見て好きなものが選べます。
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朱印所・受付時間
(庫裏前の坪庭の写真を撮った際に映り込んでいたのを切り出しています)
- 場所:庫裡
⇒上の写真の建物左側 - 時間:特別公開の拝観時間中
⇒正確な時間が公表されていませんが、拝観受付が15:30で終了するので御朱印の受付は15:30前後で終了になると思われます。
御朱印が欲しい方は、拝観受付後にクロークで荷物を預けたら最初に朱印所に預けるのがおすすめです。
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その他授与品・グッズ|真珠庵・特別公開
唐納豆(大徳寺納豆)
- 1箱:1000円
⇒内容量約115g(購入したものを計測)
⇒保存は湿気の少ない涼しいところで保存し、冷蔵庫には入れないこと
庫裡の朱印所の横では、真珠庵のご住職お手製の「唐納豆(大徳寺納豆)」が販売されています。味見もさせていいただけます。
唐納豆(大徳寺納豆)は、京都で昔から愛される発酵食品のひとつです。
ゆでた大豆を発酵させて塩水につけて1か月ほど熟成させています。
■大徳寺納豆(唐納豆)
京都で昔から愛される発酵食品のひとつ。唐から製法が伝わり大徳寺の第47代目住職・一休禅師が大徳寺に伝え室町時代から大徳寺の塔頭で作られるようになった。(現在は瑞峯院と真珠庵)。瑞峯院と大徳寺山門前の通りにあるお店(大徳寺一久、本家磯田、山国屋細見酒店)では通年購入可能。(味や見た目はそれぞれに異なる)。なお、真珠庵は特別公開時に販売される。
↓こちらの豆皿にのってる黒い丸い粒が唐納豆(大徳寺納豆)です。
箱の絵は一つ一つ手書きで、特別拝観毎に変わるようです。
ちなみに、箱の中はこんな感じでチャック付きの袋に約115g入っていました。
オリジナルTシャツ
(庫裏前の坪庭の写真を撮った際に映り込んでいたのを切り出しています)
- 白黒Tシャツ:3000円
- カラーTシャツ:5000円
御朱印所の横では百鬼夜行のイラストなどが入ったオリジナルTシャツも販売されていました。
上の写真のようにハンガーにかけられた見本と、右奥に袋に入ったTシャツがありました。
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当日の様子を写真で紹介|真珠庵・特別公開
順路1:表門から拝観受付
こちら↑は2024年特別拝観の看板です。
真珠庵さんは、大仙院さんの前(横)を通って表門に向かいます。
大徳寺境内で真珠庵がどこにあるかは本記事の最後(こちら)に紹介しているので合わせてご覧ください。
こちらが真珠庵の表門。
表門をくぐると松が植えられたお庭があるので、石畳に沿って中門までまっすぐ進みます。
中門から次の唐門まで飛び石があるのですが、横長の石と石の間に7・5・3で飛び石が配置されているそうです。
私は拝観後にこの情報を知ったので、ぜひこれから拝観する方は確認してみてください。
中門をくぐった左側は、庫裏です。その奥が方丈(本堂)になります。
反対側はこんな↑感じ。
塀の奥の工事中の建物は、大徳寺(本山)の方丈です。2024年は修繕工事中。
さて、こちら↑の唐門下が拝観受付です。
順路2:下駄箱からクローク
拝観受付で支払いを済ませると、パンフレットと拝観証を受け取ります。
下駄箱に靴を預けたら、まずクロークに向かいます。
クロークには、貴重品以外の荷物をすべて預けます。
順路3:朱印帳を預ける
真珠庵の特別公開期間は、御朱印がいただけます。
真珠庵の御朱印は毛筆ではなく、祇園祭で授与される厄除けの粽(柄の部分)で書かれるのでかなりレアです。
御朱印の詳細は本記事のこちらをご覧ください。
(庫裏前の坪庭の写真を撮った際に映り込んでいたのを切り出しています)
ちなみにこちら↑が御朱印所の様子です。
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順路4:方丈の広縁で解説待ち
御朱印を預けたらまず方丈へ。こちら↑は方丈の南側の庭園。
2024年の特別公開はツアー形式ではないのですが、9時30から20分毎に案内係の方が解説をしてくれます。
最初の解説は方丈の広縁(廊下)で真珠庵の歴史などを教えてもらえます。
こちら↑は9時半の解説まちのときに撮影した写真です。各部屋の襖が閉じられています。
ちなみに、拝観時間は9時半からですが拝観受付は9時20分頃から始まります。
最初の解説が終わったあとは室中の間はずっと障子が開かれています。
こちら↑は方丈の扁額。特に落款もなく、案内係の方の解説もあり舞えんでした。
■扁額
神社の鳥居や社殿や寺院の本堂などに掲げられている看板のこと。
神社の扁額は「神額」、寺院の扁額は「寺額」、天皇の直筆による扁額は「勅額」と呼ぶ。
■宸筆
天子の筆跡。天皇の直筆
方丈「室中」の入り口の扉の彫刻もいつもチェックしています。
建物によって彫られているモチーフが違って面白いですよ!
真珠庵の模様はシンプルです。
こういうシンプルなものほど作るのは難しかったりするものですよね。
順路5:室中(襖絵「楽園」「空花」と寺宝)
広縁での解説が終わるといよいよ方丈内の襖絵とご対面!
最初の部屋「室中」には、漫画家の北見けんいち先生の襖絵「楽園」があり、正面の仏間の中には美術家の山口和也さんの襖絵「空花」があります。
2つの襖絵のテーマや制作過程などの詳細は見どころで解説済みなのでこちらで割愛して、見どころで紹介していない写真を載せていきますね。
襖絵「楽園」:漫画家北見けんいち
漫画家の北見けんいち先生の襖絵「楽園」には、鹿児島県の与論島にある北見先生の別荘で夏に行われる宴会の様子がえがかれています。
なぜ、与論島の宴会が楽園なのかなどは見どころで紹介したのでここでは割愛しますね。
実際の宴会は40~50人で行われるそうですが、襖絵には400人もの人が描かれています。
襖絵「楽園」の中には、実際の北見先生の友人や島の方、故人や漫画の登場人物の姿も。
襖に描かれたマンガの登場人物
北見先生の代表作『釣りバカ日誌』のハマちゃんとスーさんは襖絵の2か所に登場します。
ひとつ目がこちら↓です。
こちら↑がどこの襖にあるかといえば、部屋の正面(仏間面)の左から3番目にあります。
↓こちらの赤丸部分です。
もう一カ所の『釣りバカ日誌』のハマちゃんとスーさんはこちら↓です。
ハマちゃんの左側の人物は、実写版でハマちゃんを演じた西田敏行さんに似てると思うのですが、特に解説がなかったので誰を描いたかは不明です。
上の写真は仏間の左側面の右から2番目にあります。
↓こちらの赤丸部分です。
ハマちゃんとスーさんの後ろの黒いTシャツの男性はおそらく真珠庵のご住職だと思われます。
襖に描かれた北見先生の師匠・赤塚不二夫
北見けんいち先生の師匠、漫画家の赤塚不二夫先生も襖絵に登場します。
赤塚不二夫先生が描かれた襖は、仏間に向かって右側面の1番左です。
↓こちらの赤丸部分です。
襖絵に描かれた北見先生と北見夫人
北見けんいち先生の奥様(故人)は、仏間に向かって右側面(東側)襖の1番右の上に書かれた建物の中にいます。
室内からシャンパンを渡している女性が北見夫人です。
引きで見るとこんなかんじ↓です。
他の人物よりも一段高い位置に描かれているのには理由があり、北見先生にとって仏さまと同じ位置にいる人だからだそうです。
北見先生ご本人は、部屋の正面、仏間の右側の2番目の襖の高台にいます。
ちょっときれいな写真が撮れていなかったので、ぜひ真珠庵で確認してください。
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襖絵「空花」:美術家・山口和也
美術家・山口和也さんの襖絵「空花(くうか)」は、仏間の中にあるため拝観当日は残念ながら写真の撮影ができません。
こちら↑の写真にあるように襖と襖のあいだから薄暗い仏間を見るので、作品自体も目を凝らさないと良く見えません。
ちなみに、山口さんの「空花(くうか)」は制作過程や山口さんの人柄を先に知ってから見るのがおすすめです。
本記事の見どころで詳しく紹介しているので、まだの方は是非読んでみてください。
室町時代に造られたビーズの天蓋
真珠庵の「室中」の天井からこちら↑の色鮮やかな「天蓋」がつるされています。
室町時代に真珠庵を立てた堺の豪商・尾和宗臨(おわそうりん)が中国に発注して作成・寄進したもの。
中央にはビーズで作られた鳥(鳳凰?)。
天蓋の中には「真珠了紫~」と文字が入っています。
拝観時に書かれた文字についての解説もあったのですがメモできでした。
室町時代の文字なので右から左へ読んでいきます。
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一休宗純の「遺偈(ゆいげ)」と一行書(複製品)
仏間前の壁には一休宗純の「遺偈(ゆいげ)」と一行書(複製品)が掛けられています。
上の写真の中央が遺偈です。
遺偈は、高層が亡くなる前に、門弟や後世のために残す自分の思いや信仰を書いた漢詩。
武士が残した「辞世の句」の僧侶版と言えばなんとなくイメージがつくでしょうか。
■一休宗純「遺偈」
須弥南畔 須弥(山)の南畔
誰会我禅 誰か我が禅を会せん
虚堂来他 虚堂来るなり
不直半銭 半銭に直(あたい)せず
東海純一休
<意訳例>
日本中を探しても、私の禅の心を理解する者はいない。
例え今、祖師・虚堂智愚(きどうちぐ)が現れたとしても何の足しにもならない。
■一休宗純「一行書」
・「諸悪莫作(しょあくまくさ)」
・「衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」
七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)の初めの2句を書したもの「悪いことはするな、よいことをせよ」という意味です。
仏間中央には一休和尚坐像(重要文化財)
仏間中央には、真珠庵の開祖・一休宗純の木像「一休和尚坐像」が安置されています。
多くの寺院では仏間の中央に本尊を置きますが、大徳寺とその塔頭では開祖をメインに安置されているそうです。
真珠庵の木像・一休和尚坐像には、一休宗純の頭髪や髭が植え付けてあるそうです。
真珠庵の一休木像は書籍やネットでもほとんど画像が見つけられずなので、ぜひ真珠庵で本物を見てください。
次の部屋「檀那の間」へ。
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順路6:旦那の間(襖絵「かろうじて生きている」と修復材の展示)
室中の右隣「檀那の間」には、アニメーション監督で元ガイナックス社長・山賀博之さんの襖絵「かろうじて生きている」があります。
また、こちらのお部屋では室町時代の襖絵を修繕した際の様子などの展示がされています。
襖絵「かろうじていきている」
こちらはアニメーション監督で元ガイナックス社長・山賀博之さんの襖絵「かろうじて生きている」西側の4面です。
描かれている海は日本海で、左の鳥はウミネコ、右には戦闘機となかなかお寺の障壁画では目にしないモチーフが並びます。
襖絵のテーマや描写のポイントは本記事の見どころで詳しく解説したので割愛して、まだ紹介していない写真を中心にお見せしますね。
ぜひ、真珠庵に行った際には細かな点で描かれた海を襖の近くでチェックしてみてください。
こちらは北側の4面。
先ほどの西面4枚とはうって変わって静かな雰囲気です。
女性の洋服のタッチが独特ですよね。
女性の紙や植物の傾きで風がリアルに感じられるところが、さすがアニメ監督の作品です。
大迫力のウミネコや戦闘機と違いはかなげな表現が多いのが北面です。
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展示品
檀那の間には、元々この部屋にあった旧襖絵(長谷川等伯の商山四皓図)を修復した際の展示があります。
こちらも写真をとっても大丈夫ということだったので紹介しますね。
こちら↑は修復時の様子を株式会社岡墨光堂さんがまとめた資料。
次の説明が書いてあります。
調査
損傷や過去の修理の痕跡について映像と文字で記録します。
調査作業は修理中も継続します。
解体
襖の形から本紙料紙を取り除きます。
裏打紙の除去
複数枚の接着された裏打紙を本紙料紙の裏面から取り除きます。
補修
亀裂や欠損部分に補強や穴埋め用の紙を裏面から接着します。
過去の補修の余分な重なり(糊代)はできるだけ削り取ります。
新規の裏打作業
第一層目に美濃紙、第二層目には炭酸カルシウムを漉き込んだ裏打紙を接着します。
下張り
下地骨を修理し、そこに6種類の下張りを施します。
裏打作業に使われた紙がこちら↓。
下から2番目のグレーの紙が炭酸カルシウムを漉き込んだ裏打紙です。
酸性劣化を抑える効果があるため襖絵などの修復時によく使われているようです。
こちら↑は、修復時にはがした裏打紙のうち「肌裏紙」です。
修復の資料が展示されている「檀那の間」西面の襖4面それぞれからはがしたものが4つの袋に分けて入れられています。
肌裏紙:作品の裏に作品を支持し補強するた目に直接貼る紙
こちら↑の4つの袋は修復時にはがした裏打紙のうち「下張紙」。
文字が書かれた紙が含まれていますが、かつては紙は貴重なものだったため使える紙を裏打ち紙として再利用していたようです。
先ほどの「肌裏紙」と同じく、こちらも「檀那の間」西面の襖4面それぞれからはがしたものが4つの袋に分けて入れられています。
その隣には、修繕した襖の下地骨の木です。
下地骨は丸っと取り換えるのではなく、修繕が必要なところだけ切り出して交換するそうですよ。
次は旦那の間の北側の部屋へ向かいますが、その際に庭を見学します。
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順路7:七五三の庭(方丈西庭)
こちらが「七五三の庭」です。
見どころ紹介済みですが、侘び茶の祖・村田珠光の作と伝わる枯山水で、1924年(大正13年)に国の名勝および史跡に指定されています。
■村田 珠光(1423-1502没)
室町時代中期の茶人。茶の湯に禅の精神を加味することで、精神的な深みの漂う作法(侘び茶)を創り出した。
庭の石は右側(南側)から7・5・3の配石になっているため「七五三の庭」と呼ばれています。
↑南側の5石。
↑中央の7石。右端の石はかなり平たく苔で隠れて見えにくいです。
右側(北側)の3石。
庭を見学したら次は「衣鉢の間」へ
順路8:衣鉢の間(襖絵「寒山拾得」と狩野派屏風)
方丈の北東の部屋「衣鉢の間」には、日本画家で僧侶の濱地創宗さんの襖絵「寒山拾得」と狩野 興以の「四季農耕図」屏風があります。
まず、こちらが濱地創宗さんの襖絵「寒山拾得」。
左の木の陰にいる人物が寒山で、右のホウキを持った人物が拾得です。
襖に描かれた期はイチョウの木です。
地面に散ってるイチョウの葉の表現がとてもきれいですよね。
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狩野興似の屏風
こちらは安土桃山時代から江戸時代の狩野派絵師・狩野興以(かのう こうい)の作品「四季農耕図」屏風(六曲一双)です。
四季農耕図は、 種まき・田植え・秋の収穫など春夏秋冬の農作業の様子を描いた絵で、右側から左に向かって時間が流れています。
ちなみに耕作図は、豊作となる様子を描いた縁起のよいもので、特に江戸時代に特に人気あったそうです。
■狩野興以(?-1636年没)
安土桃山時代から江戸時代の狩野派(江戸狩野)の絵師。狩野光信に弟子入り。高台寺大方丈障壁画、や二条城など元和から寛永期の重要な障壁画制作に参加。
こちら↑は右の屏風(右隻)。中央は牛を使って田の土を耕している様子を左側は田植えの様子が描かれています。
こちら↑は左の屏風(左隻)の1番左側で、収穫した稲を運んでくる様子と脱穀している様子が描かれています。
当時使われていた道具がわかって興味深いですね。
個人的にはこのおじさんの顔がかわいくて好きです。
隣を歩く馬(ロバ?)の顔はなかなか険しいけど、御主人の方を向いている感じがなんだか愛らしいですね。
さて、襖絵と屏風を堪能したら次は衣鉢の間の北側にある廊下へ。
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順路9:方丈北側廊下(日本画・一休禅師)
衣鉢の間をでた廊下には昭和30年代に日本画家・高橋玄輝さんが描いた一休宗純禅師の肖像画です。
仏間に安置されている一休和尚坐像をモデルに描いた縦約2.5m、横約1.8mととても大きな作品です。
現在ガラスの額に入っている理由は、2010年11月に野生のアライグマに穴を開けられてしまったからだそうです。
今は修復済みなのですが、こちら↑の白くなっているところに、子どものこぶし大の穴と複数の引っかき傷ができてしまったので、それ以降ガラスの額に入れているそうです。
ちなみに、アライグマはここで柿を食べようとしていたとのこと。
これに対して、住職は「アライグマに罪はない。静かな場所で柿を食べようとしただけ」と苦笑されていたそうです。
さて、お次は書院に向かうのですがその前に庭の前で解説を聞きます。
順路10:方丈北側の坪庭(村田珠光愛用の手水鉢と紫式部ゆかりの井戸)
こちら↑は先ほどの一休さんの絵を見ていた廊下の北側。
書院に続く渡廊下の横にある坪庭です。
ここにある手水鉢は、侘び茶の祖・村田珠光が愛用していたと伝わるもの。
村田珠光は真珠庵の七五三の庭を作庭した人物とされている人ですね。
■村田 珠光(1423-1502没)
室町時代中期の茶人。茶の湯に禅の精神を加味することで、精神的な深みの漂う作法(侘び茶)を創り出した。
村田珠光が愛用の手水鉢は、表面と裏面に梵字が刻まれています。
おそらく梵字の「バン」だと思います。「バン」は大日如来を表す梵字です。
裏面は3つの梵字。
おそらく上の梵字は「キリーク」、下の左は「サク」、右は「サ」。
「キリーク」は阿弥陀如来、「サク」は勢至菩薩、「サ」は観音菩薩で、なので阿弥陀三をが彫られているのだと思います。
こちらの井戸は、紫式部の産湯に使われたといわれる井戸です。
手水舎と井戸の解説を聞い跡は、渡廊下を通って書院「通僊院」へ。
※書院「通僊院」エリアは写真撮影がNGになります。
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順路11:書院「通僊院」(源氏物語図屏風と通僊院庭園)
書院「通僊院」では、最初に次の間にある「源氏物語図屏風」を見学します。
上の図のピンクのギザギザ部分に襖が展示されています。
源氏物語図屏風
左側の屏風(左隻)には、源氏物語の七帖・紅葉賀、十七帖・絵合、十四帖・澪標のシーンが右側から順に描かれています。
右側の屏風(右隻)には、源氏物語の―帖・桐壺、三帖・空蝉、二十四帖・胡蝶のシーンが右から順に描かれています。
■源氏物語・7帖「紅葉賀(もみじのが)」
主人公光源氏の18歳の秋から19歳の秋までの1年の出来事を描いた巻
■源氏物語・17帖「絵合(えあわせ)」
光源氏31歳春の出来事を描いた巻
■源氏物語・14帖「澪標(みおつくし)」
光源氏28歳10月から29歳冬の出来事を描いた巻
■源氏物語・1帖「桐壺(きりつぼ)」
桐壺帝と桐壺更衣の契りから光源氏12歳までの出来事を描いた巻
■源氏物語・3帖「空蝉(うつせみ)」
光源氏17歳夏の出来事を描いた巻
■源氏物語・24帖「胡蝶(こちょう)」
光源氏36歳の春から夏の出来事を描いた巻
#紫式部 ゆかりの #大徳寺 ・真珠庵で「#源氏物語図屏風」…重文の書院や茶室も公開 : 読売新聞オンライン https://t.co/9emkgjQ2lR
— 読売新聞オンライン (@Yomiuri_Online) September 25, 2024
今回、「源氏物語図屏風」でほとんど見えませんが、↓hには狩野元信の襖絵「山水図」
があるそうです。
通僊院庭園
(引用元:京都春秋サイトキャプチャ)
「源氏物語図屏風」がある部屋の右側(西側)に広がる庭が見どころ3で紹介した「通僊院庭園」です。
茶室「庭玉軒」を移築したころに造園されたようです。
こちらの庭園の作庭は、茶室「庭玉軒」を作った宗和流茶道の祖・金森宗和(金森重近)と伝わっています。
こちらの庭については、説明員の方から詳しい紹介もなく詳しいことが分からずです。
次は書院の廊下を歩いて茶室の見学です。
順路12:茶室「庭玉軒」
こちら↑は見どころ4で紹介した金森宗和好みの茶室「庭玉軒(ていぎょくけん)」です。
2024年の真珠庵特別公開では↓下の図にある「1▶」から土間の中を、「2▶」から茶室の中を見学します。
なので、茶室は上の写真の角度から中を見ることはできません。
拝観当日こちらの茶室についてもほとんど解説は無しでした。
(拝観者が多い時は解説もなく見学のみ)
茶室を見たら書院内のお隣の部屋へ移動します。
順路13:書院「通僊院」(襖絵「西湖の図」狩野元信)
茶室の2つとなりの部屋、Eとiの襖絵が狩野元信の「西湖の図」です。
「西湖の図」は浙江省杭州の西湖を題材にしたものでいろいろな方が描かれています。
ちなみにjは地袋ですが誰が描いたものかは不明です。
「西湖の図」を堪能したら、書院西側の3部屋を進んでいきます。
上の図にあるKには襖絵、lには屏風が平らにして設置されていますが、作者やタイトルは不明です。
lの屏風はおそらく西側の襖がボロボロになっているので、襖代わりに設置しているようです。
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順路14:書院「通僊院」(襖絵「花鳥図」土佐 光起)
書院「通僊院」の納戸の間には土佐光起の襖絵「花鳥図(金碧花鳥図)」があります。
先ほどの間取りでいうならFが土佐光起の襖絵「花鳥図(金碧花鳥図)」です。
同じ部屋のmも金碧の襖ですが、こちらは作者不明の「浜松図(金碧浜松図)」です。
書院をぐるっと1周したら、方丈に戻ります。
順路15:方丈に戻って「大書院(書院の間)」へ
書院から渡廊下を歩いて方丈に戻ります。
順路の案内に従って方丈の廊下を進みます。
方丈北側は、苔がきれいです。
方丈北側に手水鉢があり、飛び石もあるので非公開エリアに他の茶室があるのかもしれません。
廊下の端にある部屋が「大書院(書院の間)」なので、こちらに進みます。
部屋の襖が閉じていたら、近くにいる案内係の人に声をかけて開けてもらってください。
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順路16:大書院(襖絵「オトナの一休さん」と寺宝)
方丈「大書院(書院の間)」では次の3つの作品が見られます。
- イラストレーター伊野孝行の襖絵「オトナの一休さん」(5面)
- 曽我蛇足?の障壁画(貼付壁)(1面)
- 狩野派の屏風「唐子図」(六曲一双)
1番から順位写真を紹介していきます
襖絵「オトナの一休さん」
こちらが方丈の北西の部屋「大書院」にある、イラストレーター伊野孝行さんの襖絵「オトナの一休さん」です。
NHKのEテレで放送された「オトナの一休さん」の作画をすべて担当されたのが伊野孝行さんです。
こちらの襖絵については見どころ1でがっつり紹介したので説明は割愛しますね。
襖の前には登場人物紹介の用紙がおいてあります。
こちらはEテレ「おとなの一休さん」のテーマソングを熱唱する一休さん。
一休さんとゆかりがある骸骨も描かれています。
松の陰から一休さんを見つめるのは、Eテレのアニメにも登場した一休さんと対立する兄弟子・養叟宗頤です。
曽我蛇足?の障壁画(貼付壁)
ラストレーター伊野孝行さんの襖絵「オトナの一休さん」の横には、古い障壁画がのこされています。
こちらの障壁画は、貼付壁なのでそのままここにあるそうです。
説明員の方のお話だと、曽我蛇足の「破墨山水」ということでした。
この貼付壁の絵は、東側の壁にあるのですが東から登る太陽が描かれています。
木には鳥が止まっています。
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狩野派の屏風「唐子図」
方丈「大書院」には、狩野派の屏風「唐子図」(六曲一双)が展示されていました。
かなり高い位置にあったので、ちょっとよく見られなかったです。
さて、大書院の見学が終わったら廊下にでて最後の「礼の間」へ移動します。
※礼の間も人がいないとすぐに障子戸がしめられてしまうので、相手なければスタッフの方に開けてもらいましょう!
順路17:礼の間(襖絵・Purus Terrae浄土)
方丈「礼の間」の襖絵は、ゲームクリエーター上国料勇さんの「Purus Terrae浄土」です。
8面の襖の中に仏神が描かれています。
ちなみに、見どころ1で「Purus Terrae浄土」のについて詳しく紹介しているので、細かい解説は割愛しますね。
襖の前には登場人物紹介の用紙がおいてあります。
こちらは東面の襖絵。左側から描かれているモチーフを紹介しますね。
こちら↑の顔が1つで腕は、真珠庵の解説用紙に記載がないので正確には何の神か不明です。
個人的には1番このモチーフが好きです。
こちら↑は雷神。EXILEの佐藤大樹さんがモデルです。
こちらは、左が弁財天で、右は観音菩薩。
弁才天は上国料さんの奥様の若い頃がモデルで、観音菩薩は上国料さんと真珠庵住職が言った祇園のバーの女性スタッフさん。
こちらは風神で、モデルはEXILEの世界さん。
こちらは、真珠庵の庫裡前庭にある石。後ほど、写真で実物を紹介しますね。
東側と北側には船のような仏教都市。
こちら↑は、北側の襖絵4面。
中央は不動明王、左は荼枳尼天、と右は吉祥天です。
不動明王は、襖絵「かろうじて生きている」の作者・山賀博之さんです。
荼枳尼天と吉祥天のモデルは不明です。
吉祥天の右下には龍王です。
次は、庫裏前庭(坪庭)と庫裏にある原在中の屏風をぜひチェックしてください。
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順路18:庫裡前庭(坪庭)
こちら↑が「礼の間」を出てすぐの庫裡前庭(坪庭)です。
方丈を背にして庫裏前庭(坪庭)の右側にある石が、上国料さんの襖絵に描かれている石です。
庫裡前庭をチェックしたら、御朱印所と授与所がある庫裏へ向かいます。
庫裡側には↑こちらの渡り廊下を通ります。
順路19:庫裡へ(原在中の屏風・御朱印・グッズ)
原在中の襖絵はこちら↑の写真の赤い矢印のところにあります。
ご住職曰く、襖がボロボロなんで隠すために設置しているとのこと。
襖の目隠しに使われている原在中の屏風は、鶴がモチーフになっています。
■原在中(1750-1837没)
江戸時代後期の絵師。京都出身。生家は医師だったが、在中が絵師となったことで、原家は絵を家業とするようになる。
庫裏エリアは撮影可能エリアではないので、庫裏側から坪庭を撮った際に写り込んでいたものを紹介しているため、絵柄がぼやぼやなのはご了承ください。
ぜひ、実物を真珠庵で実物をを確認してください。
ちなみに、原在中の屏風の前には、真珠庵のオリジナルTシャツが並んでいます。
本記事でグッズの値段なども紹介しているので合わせてご覧ください。
Tシャツ以外に真珠庵のご住職が作る大徳寺納豆(唐納豆)も販売されています。
こちら↑は朱印所・授与所の様子です。
真珠庵の御朱印は筆ではなく、祇園祭の粽(厄除けのお守り)で描かれてとてもカッコいいです!
朱印帳は各襖絵の絵柄もあり、1冊1冊表紙の裏に書かれた文字がちがいます。
御朱印や御朱印帳についても本記で値段などを紹介してるので合わせてご覧ください。
今回は百鬼夜行の朱印帳を購入しました。
クロークに預けた荷物を受け取ったら、最後に前庭と庫裡の入り口をチェックして帰ります。
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順路20:前庭と庫裡の玄関
唐門と中門を出たら、右側にある庫裏をチェック!
庫裡玄関の戸に障子がないのを確認します。
一休宗純があばら家に住む楊岐方会に深い思いを寄せていたことから、あえて障子をはらずにあばら家のようにしているとのことです。
■楊岐方会(992-1049没):中国の宋代の臨済宗の僧
以上が、2024年真珠庵特別公開、当日の様子でした!
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拝観前に知っておきたい注意点
1.クロークに貴重品以外の荷物を預ける
真珠庵の方丈も書院「」も非常に狭い部屋や廊下が多くあります、大きなリュックやカバンで文化財を傷つけないためにクロークに貴重品以外を預けます。
女性の場合、ポケットがない服の方も多いと思うのでメインのバックとは別に小さなカバンを持っていくのをオススメします。
拝観時に↓このような拝観章を渡され、この色と番号でクロークが管理されます。
なお、今回の特別公開は一部エリアの撮影が可能ですが使用できるのはスマホかガラケーのみです。
一眼レフなどもクロークに預けることになるので心配な方は、真珠庵の拝観日にはもっていかないことをお勧めします。
2.見逃し防止のために案内に合わせて見学するのが吉
今回の特別公開はツアー形式ではないのですが、9時30分から20分ごとに解説があります。
この解説に合わせて拝観するのがおすすめです。
なぜなら、文化財保護のために部屋の障子戸がすぐに閉められてしまうので、本来見られるはずの部屋(襖絵)を見逃す可能性があるからです。
実際に私は障子が閉まってる部屋は見れないのだと思って、方丈で3部屋見逃して帰るところでした。
なので、1周目は説明員さんについて見学し、2周目は自分のペースで見るのがおすすめです。
自由に回るときに部屋の障子が閉まっていたら、近くにいるスタッフに声をかけて開けてもらいましょう。
3.虫よけ必須
最近の京都は9月末の涼しくなってから蚊が精力的に活動します。
10月は涼しくはなっていますが、まだまだ日中の気温は25度くらいあるので虫よけスプレーやムヒを持っていくのがおすすめ!
私は9月にうっかり虫よけスプレーを持って行くのを忘れてしまい、3か所くらい蚊にさされました。
服の上からでもガンガンさしてくるので、服の上から虫よけを振りかけておきましょう!
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交通アクセス
最寄りの駅
真珠庵交通アクセス | |
---|---|
最寄りバス停 | ・市バス「大徳寺前」下車、徒歩約5~10分 ※どこの入り口から真珠庵に向かうかで異なる |
最寄り鉄道駅 | ・地下鉄烏丸線「北大路」駅下車後、「北大路バスターミナル」に移動し、市バスに乗車し、市バス「大徳寺前」下車、徒歩約5~10分 ※北大路駅から歩くと30分くらいです |
住所 | 京都府京都市北区紫野大徳寺町52 |
真珠庵の場所(大徳寺山内図で紹介)
大徳寺は上の図の★A~Eの4か所入口がありますが、★Aの総門または★Bの南門から向かうのがススメです。
- 市バス「大徳寺前」⇒★Aの総門⇒真珠庵:約8~10分
- 市バス「大徳寺前」⇒★Bの南門⇒真珠庵:約5~8分
上記の目安時間の幅は、サクサク歩いた場合と普通に歩いた場合です。
普段からゆっくり歩く方はプラス3~5分足した時間を目安にしてみてください。
大徳寺山内は敷石がきれいに敷かれてるので歩きやすいです。
特に初めて大徳寺に行く方は、★Aの総門前のお店なども見た方が楽しいので総門を通るコースで真珠庵に向かってみてください。
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大徳寺・本山と塔頭の拝観情報
大徳寺の本山と塔頭の拝観情報をまとめています。
せっかく真珠庵にいくのであればぜひ、他の塔頭も見学してみてください!
京都で開催される特別拝観一覧
真珠庵のように通常は非公開でも春や秋に特別公開される寺院がたくさんあります。
特別公開に特化して公開情報をまとめているので、ぜひご活用ください。