特別拝観

石峰寺の若冲忌と若冲特別展2024(期間・料金・御朱印・交通アクセス)美術館に貸し出さないレア作品が見られる貴重な1週間!

京都市伏見区の石峰寺(せきほうじ)は江戸時代の天才絵師・伊藤若冲が85歳で亡くなるまでの約10年を過ごした場所。

境内には若冲を埋葬したお墓があり、裏山には若冲が約10年かけて制作した1000体以上の石像(若冲五百羅漢)のうち530体が残されています。

毎年9月10日には「若冲忌じゃくちゅうき(命日の法要)」が行われ、法要前の約1週間だけ美術館にも貸し出さない若冲の掛け軸が方丈に特別展示されます。

本記事では毎年9月に行われる若冲特別展をメインに、石峰寺の見どころや拝観について写真と図を使って紹介していきます。

では、目次を開いて気になる項目から読み進めてください。
(項目をクリック/タップすると該当箇所へ移動します)

目次
  1. 9月の若冲特別展(若冲忌):基本情報|石峰寺
  2. 通常拝観:基本情報|石峰寺
  3. 歴史・由緒|石峰寺
  4. 拝観レビュー|石峰寺
  5. 御朱印・朱印帳・授与品|石峰寺
  6. 朱印所・授与所の場所・受付時間|石峰寺
  7. 順路に沿って見どころを写真で紹介|石峰寺
  8. 交通アクセス|石峰寺
  9. あなたにオススメの記事

9月の若冲特別展(若冲忌):基本情報|石峰寺

開催日・拝観時間・拝観料

石峰寺(せきほうじ)|若冲特別展(若冲忌)
公開日


【若冲特別展】
・毎年9月4日~10日
→2024年9月4日(水)~9月10日(火)
【若冲忌(法要)】
・毎年9月10日
→2024年9月10日(火)
拝観時間

【若冲特別展】
・9:00~16:00

※9/10の特別展は11:00~16:00
(9/10の9:00~11:00は有料会員・顕彰会のみの公開)
【若冲忌(法要)】
・11:00~本堂回向、終了次第墓前に移り回向
拝観料 【若冲特別展】
・一般:1000円

・大学生/高校生:500円
・中学生以下:無料
・顕彰会会員(石峰寺伊藤若冲顕彰会):無料
※当日顕彰会に申し込むと拝観料が無料。石峰寺の文化財保護を支援する会で年会費3000円(若冲忌の本堂内参列や拝観料無料、会報などの特典あり)
公開内容
(拝観料に含まれる内容)
【若冲特別展】
①方丈:伊藤若冲の掛け軸展示

→展示作品の事前案内はなし
②石仏・五百羅漢(若冲五百羅漢)
→裏山にある若冲が制作した石仏群
※通年公開している有料エリア

開催日時は年7月中旬頃に石峰寺の公式サイトのお知らせ(こちら)で発表されます。

Kico
Kico
2000年(平成12年)から開催されている若冲特別展。最初の頃は若冲の命日9月10日のみの展示でしたが、現在は毎年9月10日の命日1週間前から作品の展示がされています。かつては4月にも展示がありましたが現在は9月のみです。
Kico
Kico
若冲特別展開催時には上の写真にある「若冲顕彰会特別展」の看板がたちます。若冲顕彰会は石峰寺さんが立ち上げた文化財保護の会で年会費3000円で加入できます。加入者は若冲忌に本堂内で参列でき、拝観料が無料、会報が届くといった特典があります。会員じゃなくても若冲特別展は拝観料1000円で見られるのでご安心を!

<スポンサーリンクの下に記事が続きます>




若冲特別展会場・拝観受付(境内図あり)

石峰寺(せきほうじ)|若冲特別展会場・拝観受付
特別展会場 方丈
(上記画像内赤い点線の四角部分)
拝観受付の場所 庫裡玄関前
(上記画像内★印部分)

9月に行われる若冲特別展の会場は石峰寺の「方丈」(普段非公開)です。

庫裏玄関にある拝観受付でチケットを購入します。

庫裡玄関前の様子 拝観受付の様子

2024年は拝観受付で若冲グッズの販売がされていました。(2023年は玄関の室内で販売)

Kico
Kico
伊藤若冲の掛け軸は通常は非公開の方丈で見ることができます。方丈内は37畳と狭いためか、2023年はテレビ放送されたため人が多く、中に入れる人数が調整されていました。室内に人数が20人前後で調整され、前の人が出てきたらその人数分だけ人が入るシステムでした。

<スポンサーリンクの下に記事が続きます>




展示作品数・会場内の拝観ルート・作品リスト

展示作品数(目安)

  • 展示作品数
    →掛け軸13~14幅と木版6点
    ※木版画は小さな屏風に6枚貼られている状態での展示
    ※開催年によって展示作品に変更あり(虎図と木版6点のみ毎年展示)

石峰寺が所持する若冲作品の総数は非公開になっています。

ご住職曰く、展示する作品は虎図と木版以外は基本的に全部変更して、いろんな人が楽しめるように描かれるモチーフもいろんなタイプを選ぶようにしているそうです。

また、若冲マニアや玄人が見ても「お!」と思う作品を入れるようにしているとのこと。

例外もありますが、1度展示されると次に同じものが登場するのはだいたい5~6年後だとか。

Kico
Kico
テレビ放映があった際に、出演者がご住職に「若冲作品はおいくつくらいご所蔵ですか?」と聞いた際に「秘密(非公開)です」と答えられています。実際に2024年に拝観していた際、他の方がご就職に総作品数を聞いていて、同じように答えていました。

会場内の拝観ルート

上記の水色線が作品の展示場所で、赤い線が見学のルートです。

拝観ルートはあくまで目安です。

紹介している順路で人の流れができていますが、好きな順に作品を見ることも可能ですし、何周してもOKです。

なお、作品数は前述していますが毎年1~2点の増減はありますが、基本的には掛け軸13幅と木版6点(小さな屏風に6枚貼られている)です。

なお、会場の方丈は37畳くらいなので人が多い時には20人くらいずつ順番に入っていきます。

人数が少ない時には、ご住職に作品の質問をするととても丁寧に解説してくださいます。

2024年作品リスト

石峰寺・若冲展2024 作品リスト
①②黒梅図(2幅で1作品) ③牡丹図 ④芭蕉鶏図 ※昨年も展示有
⑤蕪図 ※昨年も展示有 ⑥梅樹山鳥図 ⑦橋図
⑧葡萄図
※初公開
⑨虎図
※毎年展示
⑩五百羅漢図
若冲の作品ではない今年限定
⑪蘇鉄図 ⑫鶏図 ※昨年も展示有
(羽で顔を覆う鶏)
⑬鯉図
⑭鶏図
(つるべの上に立つ鶏)
⑮拓版画「玄圃瑤華げんぽようか」6枚
※毎年展示

※「昨年も展示有」の作品は私のメモと比較して記載しているため、タイトルが同じで絵の雰囲気が似ている別の作品の可能性もあります。参考情報としてご覧ください。

「⑧葡萄図」は初公開の作品とのことでした。

「③牡丹図」は若冲が40代の初期の作品で、「⑭鶏図」は晩年の作品。

毎年「⑨虎図」は床の間に展示されているのですが、2024年は「⑩五百羅漢図」が床の間にあります。⑩は横幅が広く床の間にしか飾れなかったとのこと。

「⑩五百羅漢図」は落款がなく若冲作品ではないのですが、2024年7月にTOPPAN株式会社が伊藤若冲「釈迦十六羅漢図屏風」をデジタル推定復元したので、それに関連して展示しているとのこと。(TOPPANサイトはこちら

「⑩五百羅漢図」は石峰寺にある若冲・五百羅漢がモチーフになっている作品です。

⑮拓版画「玄圃瑤華げんぽようか」は、若冲の伊藤若冲の拓版画から6枚の作品が小さな屏風に貼られた状態で展示されています。

拓版画「玄圃瑤華げんぽようか」は京都市役所の近くにある芸艸堂うんそうどうさんが板木をもっていて同じ作品のシールやポストカードが買えるそうですよ。

ご住職は若冲作品に非常に詳しく、拝観人数が少ない時であれば作品について質問をすると丁寧に教えてくださいます。

Kico
Kico
今年は「⑦橋図」が1番好きな作品でした。若冲が敬愛する売茶翁ばいさおうが好きだった橋を描いた作品で、売茶翁を描かずして本人が好きだったものを描く「留守絵るすえ」と呼ばれる当時はやったスタイルとのこと。掛け軸の表装にも売茶翁を表す煎茶道具が入った布が使われています。

2023年作品リスト

石峰寺・若冲展2023 作品リスト
①鶏図 ②鴨図 ③魚図(カワハギ)
④魚図(シュモクザメ) ⑤鶴図(羽で顔を覆う鶏) ⑥亀図
⑦六祖像図 ⑧梅に鴬図 ⑨虎図 ※毎年展示
⑩蕉図 ⑪波鷲図 ⑫風景図
⑬芭蕉雄鶴図 ⑭拓版画6枚 ※毎年展示

⑮拓版画「玄圃瑤華げんぽようか」は、若冲の伊藤若冲の拓版画から6枚の作品が小さな屏風に貼られた状態で展示されています。


(出典元:石峰寺絵葉書セット:左から虎図・亀図・鶴図

撮影はNGなのでどんな作品か簡単にメモした写真も載せておきます。

Kico
Kico
伊藤若冲の虎図は人気が高く有名な作品だからか、床の間に飾ってありました。鶴図と亀図は祝いの席にかける掛け軸なのでお隣に展示されていましたね。

撮影の可否

若冲特別展開催会場・方丈内

石峰寺(せきほうじ)|若冲特別展
伊藤若冲の掛け軸 撮影NG
掛け軸以外の美術品など 撮影OK

※撮影基準は今後変更になることもあります。拝観日の指示に従ってください。

Kico
Kico
伊藤若冲の掛け軸は残念ながら撮影NGです。ただ、方丈内の香炉やすずりなどはとってもOKとのことだったので撮影しました。

所要時間

  • 【若冲特別展+五百羅漢エリア】
    所要時間:25~65分(境内内の移動も含む)

    →若冲特別展:10~30分
    →石仏・五百羅漢エリア:10~30分

若冲特別展開催期間に、若冲特別展+五百羅漢エリアの拝観をするのであれば、25~65分が目安です。(石峰寺の参道から境内を移動する時間と本堂参拝も含め)

五百羅漢エリアはアップダウンのある裏山(竹藪)を軽く一周します。

サクサク歩いてざっと石像を見るのであれば15分程でも見て回ることはできます。

400体近くある石像の表情などをを丁寧に見るなら30分以上かかるかもしれません。

混雑具合

  • 1番混む日:若冲忌がある9月10日
    →最終日で一般公開時間が11時からなのでめ混む
    (9~11時までは有料会員(顕彰会会員)限定の拝観となるため)
    →多い時は石峰寺の階段(参道)下まで人が並ぶ
  • 人が多い時間帯:午前中、特に開門直後の9時
  • 人が少ない時間帯:12時代
    →昼食の時間帯は少な目で特に平日は少ない

上記はあくまで目安なので参考程度にしてください。

毎年若冲の命日9月10日は9時から11時までは会員限定の公開になるのですが、それを知らずに来る一般拝観者が、多い時には石峰寺の階段(参道)下までズラッと並ぶそうです。特に2023年はテレビで紹介されたので例年になく混雑しご住職たちも大変だったそうです。

ご住職曰く、通常は一切テレビ撮影をお断りしているので平日は貸し切り状態でゆっくり見ることもできるとのこと。

Kico
Kico
2023年はテレビ放送があったので土曜の9時15分に受付を済ませ5分くらい待って中に入りました。2024年はお寺のホームページの告知だけだったので土曜の12時45分に受付を済ませすぐに中に入れました。

トイレの有無(若冲展開催期間)

  • 拝観者用トイレあり
    →境内と方丈にトイレがあり、若冲展期間中は方丈内のトイレも貸していただけます。方丈内のトイレを借りるときはお寺の方に声をかけると案内していただけます。

<スポンサーリンクの下に記事が続きます>




通常拝観:基本情報|石峰寺

開催日・拝観時間・拝観料

石峰寺(せきほうじ)|通常拝観
公開日 通年
拝観時間
9:00~16:00
拝観料 ・大人:500円
・小人:300円
公開内容
(拝観料に含まれる内容)
石仏・五百羅漢(若冲五百羅漢)
→若冲が石工と弟子と石峰寺の住職と10年かけて制作した石像群
→石峰寺の裏山部分にある
その他公開エリア ・本堂
・伊藤若冲の墓
・境内前庭

拝観エリア・拝観受付(境内図あり)

山門(竜宮造) 境内前庭 拝観受付
本堂 本尊 伊藤若冲の墓
石仏・五百羅漢(若冲五百羅漢)エリア ※有料
エリア入口の山門 エリア内の様子 石像(出典:パンフレット)

撮影の可否

石峰寺(せきほうじ)|境内
境内 撮影OK
石仏・五百羅漢
(若冲五百羅漢)
撮影NG
※スケッチも禁止
残念ながら、若冲の五百羅漢は2012年以降撮影とスケッチがNGになってしまいました。
小学生が石仏を壊したり↓こちらの理由から禁止にせざるを得なくなったようです。

【撮影・スケッチが禁止される理由】

2007年(平成19年)5月に石像の地蔵菩薩約30体が倒されうち5体が損壊する事件が起り、2012年(平成24年)に写真家を名乗る人物が連れたグループが撮影会と称し、石像に帽子をかぶせたりロウソクを点けたりして柵内に入ったりしたため、石像保存の観点より現在はスケッチ・写真撮影が全面的に禁止されている。

所要時間

  • 【通常拝観】所要時間:15~30分
    ※石仏・五百羅漢の拝観をする場合(境内内の移動も含む)

通常拝観時の石仏・五百羅漢エリア(有料)の拝観であれば15~30分くらいが目安です。(石峰寺の参道から境内を移動する時間と本堂参拝も含め)

五百羅漢エリアはアップダウンのある裏山(竹藪)を軽く一周します。

サクサク歩いて、ざっと石像を見るだけであれば15分程で見て回ることはできます。

400体近くある石像の表情などをを丁寧にみていると30分以上かかるかもしれません。

<スポンサーリンクの下に記事が続きます>




トイレの有無(通常拝観期間)

  • 拝観者用のトイレあり
    →通常拝観時は境内のトイレを使用
    ※方丈内にもといれはありますが、若冲特別展以外の期間は非公開で中に入れないので境内のトイレを使用します

<スポンサーリンクの下に記事が続きます>




歴史・由緒|石峰寺

石峰寺の成り立ち・出来事

石峰寺(せきほうじ)|歴史・由緒
1704~1711年
(宝永年間)
・黄檗宗・萬福寺の6代目住職・千呆性侒せんがい しょうあんにより創建
→正確な創建年は不明。宝永年間は江戸中期。
1776年
(安永5年)頃
・伊藤若冲が裏山に石仏群(若冲五百羅漢)の建造を始める
→石ミニ寺7代目住職・密山修大和 尚の協賛を得て約10年かけて建造
→若冲が下絵を描き、本人含め石工、弟子とで彫る
1788年
(天明8年)
・絵師・円山応挙まるやまおうきょの案内で、儒学者の皆川淇園みながわ きえん、画家・呉春ごしゅん松村月渓まつむらげっせい)らが若冲五百羅漢を観覧
1789年頃 ・伊藤若冲が「石峰寺図」を描く
1791年
(寛政3年)頃
・伊藤若冲が門前の草庵そうあんに住み始める
→義理の妹・深窓真寂禅尼と住む
→門前と本堂北側の2か所に庵を構える
※現在の山門前ではなくかつての境内の門(古地図などには載っているとのこと)
→1794年に浅野家陪臣・平賀蕉斎が若冲宅を訪れた記録あり
1798年
(寛政10年)
・観音堂が完成
1800年
(寛政12年)
・伊藤若冲が観音堂の天井画「花卉図かきず」を描く
・9月10日に伊藤若冲が87歳で亡くなり土葬
1853~1868年
(嘉永6年~慶応4年/明治1年)
・観音堂が取り壊される
→若冲が制作した天井画は京都の信行寺に168面、滋賀県大津の義仲寺の翁堂に15面現存する
明治期 ・一時荒廃
→石仏・五百羅漢の散逸
1915年
(大正4年)
・本堂が焼失し、再建
1925年
(大正14年)
・椿山荘(東京都・文京区)に石仏・五百羅漢の一部が移される
→大正7年に椿山荘の所有者となった藤田財閥の大阪網島の邸宅の庭にあったものを椿山荘に移設(藤田邸に移された年は不明)
→椿山荘に20体現存し無料で見学できる
1979年
(昭和54年)
・放火により本堂が本尊の薬師如来ごと焼失
1985年
(昭和60年)
・11月に新たに釈迦如来を本尊として本堂を再建
2000年
(平成12年)
・伊藤若冲没後200年となるこの年から毎年9月10日に若冲忌(命日の法要)が行われるようになる
2007年
(平成19年)
・5月に石像の地蔵菩薩約30体が倒され、うち5体が損壊する事件が起こる
2012年
(平成24年)
・9月10日に「石峰寺伊藤若冲顕彰会」発足
五百羅漢、伊藤若冲、石峰寺の歴史文化等を学び保存・継承する会(年会費の支払いで入会可能)
・石仏・五百羅漢の保存のためにスケッチ・写真撮影が全面的に禁止となる
→この年に写真家を名乗るグループのマナーに反する行動あった

石峰寺の宗派は黄檗宗おうばくしゅうなのですが、黄檗宗は江戸時代の初期・1661年(万治4年/寛文1年)に開宗した、日本の仏教史的には新しい宗派です。

現在の石峰寺は、境内が小さくお堂数が少ないですが、かつては今の10倍近い規模(JR「稲荷」駅の線路から深草墓苑まで)の広さだったそうで、幕末前までは複数のお堂が立つお寺でした。

伊藤若冲いとう じゃくちゅう(1716年-1800年没)
江戸時代中期に京都で活躍した絵師。京都で3代続く青物問屋「枡屋」の長男として生まれる。20代後半から裕福な環境のもと独学で絵を学び84歳で他界するまでに作品を描き続けた。23歳~40歳までは家業の青物問屋を営む。

千呆性侒せんがい しょうあん(1636年-1705年没)
中国明末に生まれ日本に渡来した臨済宗黄檗派の禅僧。黄檗山萬福寺第6代住持となり、黄檗流の能書家で知られる。

<スポンサーリンクの下に記事が続きます>




若冲の掛け軸が数多く残る理由

  • 伊藤若冲が75~76歳の頃から石峰寺の門前で暮らし、お米一斗(約15Kg)の値段で水墨画(掛け軸)を売って生活していたため

1788年(天明8年)「天明の大火」で家を焼け出されて私財を失った72歳の伊藤若冲は、大阪・京都を転々とした後、75~76歳の頃に石峰寺の門前で暮らし始めます。

この時に自分の作品の値段をお米一斗(約15Kg)分で売る生活をしていたため、石峰寺に若冲作品がたくさん残ることになりました。

なお、若冲は1800年(寛政12年)の9月10日に84歳で亡くなるまで石峯寺門前で暮らしていました。

<スポンサーリンクの下に記事が続きます>




若冲が石仏・五百羅漢を作った理由

  • 若冲に僧名を与えた萬福寺の第20代住職・伯珣はくじゅん和尚(伯珣 照浩)の菩提を弔うため

石峰寺に今も残る石仏・五百羅漢(若冲五百羅漢)は、黄檗山・萬福寺(京都府宇治市)の第20代目の住職・伯珣照浩はくじゅんしょうこうの菩提を弔うために造られました。

伊藤若冲は1773年(安永2年)、58歳のときに黄檗宗おうばくしゅうの僧になってるのですが、若冲に僧名そうみょう道名どうごう)と僧衣そうえを与えたのが伯珣照浩はくじゅんしょうこうです。

伊藤若冲のに与えられた僧名(道名)は「革叟かくそう」で「絵画に革命を起こす男」という意味です。

僧名そうみょう道名どうごう):仏道に入ってつけた号。
僧衣そうえ僧がまとう衣服。法衣。

Kico
Kico
若冲は初対面の伯珣照浩に対し「出家したいから僧名と僧衣をくれ」と言ったそうです。なかなかの強者ですね。なお、石仏を制作する資金は若冲が絵を売ったり、当時の石峰寺の住職がサポートしたようです。

石仏・五百羅漢(若冲五百羅漢)

石仏・五百羅漢(若冲五百羅漢)は、若冲が下絵を描き、若冲本人と石工と弟子とで制作にあたっています。

「五百羅漢」は、釈迦が亡くなった後(入滅後)に集まった弟子500人のことを指しますが、石峰寺の「石仏・五百羅漢(若冲五百羅漢)」は、釈迦の一生(誕生から入滅まで)を7つのシーンであらわし、最後に賽の河原の1シーンでしめくられています。

1.誕生仏 2.出山の釈迦 3.十八羅漢
釈迦の誕生シーン。「天上天下唯我独尊」のポーズをとった小さな釈迦像を中心にした石像群。
釈迦の後ろには誕生を祝うような喜びの表情の石像が並ぶ。
釈迦が6年の修行を経ても悟りを開けず、真の悟りを求めて雪山を出るシーン。釈迦を表すほっそりとした背が高い石像と小さな石像群が並ぶ。 釈迦を囲む18人の羅漢が並ぶ。

 

4.説法場 5.托鉢たくはつ修行 6.諸羅漢座禅窟
大きめの石像3体(釈迦・普賢菩薩・文殊菩薩)と小さな石像が並ぶ。 托鉢修行(修行僧が街を歩きお布施をしたい人が現れれば、ただそれを受け取る修行)を表したシーン。ほかのシーンに比べ、可愛い見た目の3連の石像がある。 羅漢たちが座禅修行するシーン。個々の石像群は表情などの堀が分かりにくい。
※このエリアは看板が立っていないです
7.涅槃場 8.賽の河原 +α
釈迦が亡くなった日の様子を表現したシーン。横たわる釈迦を中心に悲しみに暮れる人物や動物が並ぶ。 釈迦の生涯にはないシーンで若冲が付け加えた場面。親より先に亡くなった子供が行きつく冥土めいどにある河原(賽の河原)を表現したシーン。地蔵菩薩を中心に小さな地蔵がたくさん並ぶ。 涅槃場の向かい側にぽつんとひとつある石仏。片膝を立ててるような姿で全体を見渡せる場所にある。若冲の姿を現すといわれている。

※石仏は撮影NGなので、石峰寺のパンフレットや書籍「もっとしりたい伊藤若冲(改訂版)」が出典です。

上記の8シーンとは別に、涅槃場の向かい側にポツンとひとつだけ石像があり、これは若冲の姿だと言われています。

ちなみに、各シーンとシーンの合間や道の両サイドにも石像が並びます。

現在は530体しか残っていませんが完成当初は1000体ほどの石仏があり、下の図のように橋が架かっていたりしたようです。

石仏づくりが開始された年とされる1776年の2年後、1788年(天明8年)には絵師の円山応挙まるやまおうきょ(55歳)の案内で、儒学者の皆川淇園みながわ きえん(54歳)、画家・呉春ごしゅん松村月渓まつむらげっせい)(36歳)らが若冲五百羅漢を観覧しています。(この時若冲は73歳)

円山応挙まるやまおうきょ(1733-1795年没)
江戸時代後期に活躍した絵師。写生を重視した画風が特色。円山派の祖。応挙は多くの弟子を抱え、40代半ば以降、一門で数々の障壁画制作をこなす。

皆川淇園みながわ きえん(1734-1807年没)
江戸中期の京都を代表する儒学者。絵画の腕も卓越しており、山水画では、師の円山応挙に劣らずという評価も受けている。

呉春ごしゅん松村月渓まつむらげっせい)(1752-1811没)
江戸後期の画家・俳人。四条派の祖。与謝蕪村に南画、円山応挙に写生画を学び、両者を折衷して詩趣に富む花鳥画・風景画を描いた。

(↑石仏・五百羅漢がある裏山の竹藪の様子)

Kico
Kico
石仏・五百羅漢エリアは上の画像のような竹藪で、木の根が飛ぶ出ていた李と足場が悪いのでスニーカーをおすすめします。また、やぶ蚊もすごいので8月9月は虫よけスプレーが必須アイテムです。

<スポンサーリンクの下に記事が続きます>




拝観レビュー|石峰寺

行ってよかったこと(若冲特別展・五百羅漢拝観)

  • 若冲の掛け軸の保存状態が非常によい!
  • 伊藤若冲の作品を間近で思う存分見られたこと
  • 人が少なければ住職に若冲作品の質問ができること!

本来美術館でガラス越しで見るレベルの掛け軸10点以上が目の前で見られるのはここだけなので本当に行ってよかったです。

しかも、保存状態が非常に良い作品が10点以上も同時に見られて非常に感動します。

しかも人が少ない時は住職に質問ができ、若冲作品について詳しく教えてくださり、水墨画と若冲について理解が深まりました。(2回目の訪問2024年は質問たくさんしました!)

作品は毎年少しずつ変わる様なので毎年行こうと思っています。

初めて訪れた2023年は、石仏・五百羅漢(若冲五百羅漢)は、事前知識なしに見てしまったのサラサラと回ってしまったことをちょっと後悔。

伊藤若冲が石工・弟子・当時の住職と協力して10年もの月日をかけて作成したものなので次回はもっとしっかり見たいと思っています。

行って残念だったこと(若冲特別展・五百羅漢拝観)

  • 石仏・五百羅漢(若冲五百羅漢)の撮影禁止だったこと

伊藤若冲の掛け軸が撮影NGなのは仕方がないかなと終えますが、裏様にある石像も撮影NGだったのは非常に残念でした。

石像なので年々劣化してしまうので、今の状態を写真におさめたかったです。

禁止になった理由が理由なだけに残念でなりません。

【撮影・スケッチが禁止される理由】
2007年(平成19年)5月に石像の地蔵菩薩約30体が倒されうち5体が損壊する事件が起り、2012年(平成24年)に写真家を名乗る人物が連れたグループが撮影会と称し、石像に帽子をかぶせたりロウソクを点けたりして柵内に入ったりしたため、石像保存の観点より現在はスケッチ・写真撮影が全面的に禁止されている。

<スポンサーリンクの下に記事が続きます>




御朱印・朱印帳・授与品|石峰寺

御朱印(デザイン・料金・タイプ)

石峰寺(せきほうじ)|御朱印
値段 300円
タイプ 直書き
墨文字 奉拝 和暦●月●日
中央 髙着眼
石峯寺
朱印 右上 石像五百羅漢
中央 石仏・五百羅漢(若冲羅漢)「托鉢修行」のシーンがモチーフのイラスト
左下 京都石峯寺深草

岩峰寺の御朱印は1種類で「髙着眼」です。

朱印帳に直書きしていただけて1枚300円です。

Kico
Kico
御朱印の当て紙にも五百羅漢のイラストがあって可愛いです。髙着眼の文字は、岩峰寺の山門の扁額に書かれている文字らしいのですが、この日は木に覆われていて気づきませんでした。次回写真を撮ってきたいと思います。

御朱印帳(デザイン・料金・タイプ)

石峰寺(せきほうじ)|御朱印帳
デザイン 伊藤若冲・虎図
値段 1500円
タイプ 蛇腹式・大判サイズ(16×11.5cm)

石峯寺では伊藤若冲が描いた「虎図」が表紙になった御朱印帳を購入できます。

裏面にはお寺の正式名称「百丈山ひゃくじょうざん 石峰寺せきほうじ」の文字と「若冲居士」の篆書体てんしょたいの文字が入っています。

こちらの御朱印帳は、伊藤若冲生誕300年の年である2016年(平成28年)に行われた「若冲忌」に限定100冊で販売されたのですが、増刷され今でも販売されています。

Kico
Kico
伊藤若冲は当時日本に虎がいなかったため、虎の絵を描くために京都の正伝寺にある「虎図」(中国・北宋の画家・李龍眠の筆)を模写しに行ったそうです。正伝寺も若冲も見たであろう枯山水がすばらしいオススメの寺院です。
正伝寺の見どころ・御朱印・拝観ガイド|枯山水・狩野山楽襖絵・血天井が有名(拝観料金・拝観時間・拝観レビュー・交通アクセス)京都市北区にある正伝寺(しょうでんじ)は、江戸初期に小堀遠州作庭し昭和初期に重森三玲が復元した枯山水や狩野山楽の障壁画、血天井が残る知る...

若冲グッズ(種類・値段)


(2023年撮影↑)

石峰寺(せきほうじ)|授与品
絵葉書セット
・掛け軸セット
7枚入り・500円
絵葉書セット
・若冲五百羅漢①
8枚入り・500円
絵葉書セット
・若冲五百羅漢②
8枚入り・500円
しおり・虎図 1枚・400円
てぬぐい・虎図 1枚・1200円

2023年の拝観時には、若冲の御朱印帳(虎図)以外に上記の5アイテムが販売されていました。

2024年は絵葉書セットが片方だけでした。(①と②どちらかだったかは忘れてしまいました)

支払は現金のみなので、小銭の用意が必須です。

(2023年撮影↑)

朱印所・授与所の場所・受付時間|石峰寺

石峰寺の朱印所・授与所は9月の若冲特別展開催期間中と通常拝観時では少し異なります。

両方紹介するのでご確認ください。

9月の若冲忌・若冲特別展開催期間中【朱印所・授与所】

石峰寺(せきほうじ)|朱印所・授与所 ※若冲特別展期間中
場所 方丈内
受付時間 9:00~17:00(御朱印は16:30まで)
※9/10の若冲忌は11:00~17:00(御朱印は16:30まで)

変更になることもあります。心配な方はお出かけ前に公式情報をご確認ください。

2023年拝観時は上記の場所で御朱印と若冲グッズの販売をされていましたが、2024年拝観時は拝観受付で若冲グッズを販売されていました。

開催年や日によって多少変わるようです。

Kico
Kico
御朱印の書き手の方はおひとりなので「若冲特別展・若冲忌」の期間中は混雑する日もあります。多い時には15~30分くらい待つ可能性もあるので掛け軸を見る前に朱印帳を預けるのがおすすめです。

通常拝観時【朱印所・授与所】

石峰寺(せきほうじ)|朱印所・授与所
場所 拝観受付(方丈玄関前)
受付時間 9:00~16:00(御朱印は15:30まで)

変更になることもあります。心配な方はお出かけ前に公式情報をご確認ください。

Kico
Kico
通常拝観の時期は拝観者も少ないので、朱印で並ぶことはほぼないと思います。ただ、ゴールデンウイークやテレビで紹介されたときなどは人が多くなるかもしれません。

順路に沿って見どころを写真で紹介|石峰寺

参道から拝観受付まで

こちら↑が石峰寺の参道入口。1分程階段を登って山門を目指します。

先ほどの階段を登りきると一度↑このような平らな道になるので、右奥の階段へと進みます。

階段上に山門が見えてきます。

こちらが石峰寺の竜宮造の山門です。

春に訪れると山門手前の右側に八重桜がきれいです。

若冲特別展示期間中に訪れると「若冲顕彰会特別展」の立て札が出ています。

山門をくぐり、拝観受付を目指します。

山門から拝観受付まで

山門から本堂までまっすぐに道が続きますが、本堂の少し手前の左側に「羅漢拝観受付」の看板が立っているので、そちらに進みます。

※羅漢拝観受付が9月の若冲特別展示の拝観受付

ちょっと見づらいですが立て看板はこんな感じ↑。
羅漢拝観受付となっていますが、若冲特別展の拝観もこちらです。

こちらの人が集まっている場所が、庫裏玄関で拝観受付になりまます。

若冲特別展示を見るためにこの日は土曜の9:15分に着いたのですが中には20人ほど、外に5人ほどと大賑わい。

どこの寺院もそうですが、特別公開がある土日の朝1番がの拝観は混雑し、みんなが昼食を食べる12時くらいが空く傾向にあります。

ちなみに、2024年の土曜日12時45分に着いた時には私ともう一人の2人だけで、13時過ぎにプラス4名の拝観者が来ただけでした。

玄関に近づくと右側に拝観受付所があり、お寺の方がいらっしゃるので若冲展拝観の旨を伝えて受付を済ませます。

※2024年はここで若冲グッズの販売をされていました。

上の写真では羅漢拝観の料金が書かれていますが、若冲特別展の拝観料は↓こちらです。

(2023年撮影)

拝観チケットを購入し順番を待つ

茶苦衷特別展のチケットと石峰寺のパンフレットを受け取り、庫裏玄関前(拝観受付の横)で中に入る順番待ちをします。

若冲の掛け軸が展示されている方丈は37畳ほどなので、作品保護や蜜を避ける観点から20人くらいずつ入って見学します。(2023年はテレビ放映されたので異例の混雑ぶり!)

ガラス戸の向こうに見えるのは、授与所で御朱印や若冲グッズの販売をされています。

庫裡の玄関前
↑ホオズキや栗が季節を感じさせます ↑かつては屋根に乗っていただろう飾り瓦 長刀鉾なぎなたほこちまきが飾られてます

待っている間に玄関前を見るだけでも楽しかったです。

京都に引っ越してから、各寺院がどこの粽を飾っているのか気になるようになりました。

■長刀鉾の粽
祇園祭の山鉾巡行やまほこじゅんこうの先頭を飾る長刀鉾のお会所で販売されている厄除けのお守り。長刀鉾の粽は毎年人気が高く、販売開始から2時間以上行列ができることも。

靴を脱いで方丈内へ

順番が来たら靴を下駄箱に預けて中に入ります。

チケット購入から5分くらいで入れましt。

ちなみに、9月はまだ残暑が厳しいので中には素足にサンダルで拝観する方もいらっしゃるかもしれませんが、汗や皮脂で床や畳を汚さないためにも靴下を持参するのをお忘れなく!

朱印所で御朱印を依頼

石峰寺では直書きの御朱印「髙着眼」がいただけます。

▶石峰寺の御朱印情報を見る

書き手の方がおひとりなので、混んでいるときは15~30分待ちになるので掛け軸を見る前に預けるのがオススメ。

2023年訪問時は特に番号札などを渡されなかったので、依頼者が多い時は御朱印帳の取り間違いに注意です。

若冲の掛け軸を気が済むまで堪能

方丈には、若冲の掛け軸がこれでもか!というくら壁一面にかけられています。

2023年訪問時は↓こんなかんじで14作品の展示がありました。

順路としては↓こんな感じで皆さんみてるのでその流れに乗ります。

2023年は14点(①~⑭)の作品が展示されていました。
作品名は次の通りです。

石峰寺・若冲展2023 作品リスト
①鶏図 ②鴨図 ③魚図(カワハギ)
④魚図(シュモクザメ) ⑤鶴図 ⑥亀図
⑦六祖像図 ⑧梅に鴬図 ⑨虎図
⑩蕉図 ⑪波鷲図 ⑫風景図
⑬芭蕉雄鶴図 ⑭(作品名不明)

作品名だけではどんな作品かイメージしずらいですよね。。

撮影はNGなのでどんな作品か簡単にメモした写真も載せておきます。

2023の作品中、3作品は石峰寺で販売されている絵葉書セットに含まれていました。
左から、⑨虎図、⑥亀図、⑤鶴図です。

余談ですが、伊藤若冲は京都の正伝寺にある虎図を模写しに行ったそうです。

方丈内の美術品も堪能

掛け軸を堪能した後は、方丈内の美術品もじっくり見学。

上の写真は虎図が飾られている床の間の上にある書です。

特に説明書きがないものでもものすごく価値のあるものがさらりと置かれているのが京都の寺院。

もっと知識をつけて価値を理解したいものです。

こちらは同じく床の間に置かれていた硯。ご住職に聞いたところこの硯は水墨画を描く先生方に頂いたものだとか。

いろんな形がありますね。

こちらは床の間の左側の棚にあった茶釜。写真では小さく感じますが結構大きいです。

こちらは床の間の左側の天袋(?)

寺院に行ったら引き手も必ずチェックです!

こちら↑は釘隠し。

こちら↑も釘隠し。

こちら↑は「止静しじょう」と書かれた板。

「止静」は座禅(坐禅)の際に大衆を寂静にどどめる時間のこで、この時間は禅堂の出入りも一切許されないそうなので、お堂の入口などにかけて使うのでしょうか?

こちら↑は滋賀県の唐崎老松の絵でのようです。著名な方が書かれたのかは不明です。

ちなみに、方丈内で25分くらいくら過ごしました。
作品名をメモしたりしていたので長い方だと思います。

御朱印を受け取り若冲グッズを購入

さて、方丈内の若冲掛け軸やお寺の装飾品を見終わたので、最初にお願いしていた御朱印を受け取り、若冲グッズを購入。

写真撮影NGなので、若冲の掛け軸と五百羅漢の絵葉書セットを購入しました。

グッズの種類や値段は本記事で紹介してるので合わせてご覧くださいね。

▶石峰寺若冲グッズを見る

御朱印はこんな感じ↑。当て紙に五百羅漢をモチーフにした絵が描かれていてかわいいです。

御朱印中央は、石仏・五百羅漢(若冲羅漢)の「托鉢修行」のシーンがモチーフです。

▶石峰寺の御朱印情報を見る

方丈を出て本堂へ

方丈を出て今度は本堂へ。

現在の本堂は1985年(昭和60年)に再建されたもの。

堂内には入れず、外から参拝するスタイルです。

扁額には「石峯寺」とあります。今は「石峰寺」と書くことが多いようですが、かつては「峯」だったのですね。

ご本尊は「釈迦如来」です。

石峯寺の本尊はかつて「薬師如来」だったそうなのですが、1979年(昭和54年)の放火によって本堂が本尊と一緒に焼けてしまい、本堂再建時に釈迦如来へと変更されたとのこと。

釈迦如来像の作者は鈴木白峰禅師で石峰寺の裏庭の木で作られているとか。

伏見という場所柄なのか、五百羅漢の撮影禁止になった原因の撮影会や放火といろいろと大変ですね。

本堂内部左 本堂内部右

本堂内部は禅の道場になっています。

9月10日の若冲忌(若冲命日の法要)はこの本堂内と若冲のお墓の前で行われます。
※招待客(若冲顕彰会会員・関係者)は本堂内で一般参拝者は本堂外で参列

本堂の柱の下の石↑や欄干らんかん勾欄こうらん)の模様が中華風です。↓

本堂を囲む卍型の欄干らんかん勾欄こうらん)↑。

本堂の周りはぐるっと1周できるので回ってみました。

同じことを考えているマニアックな方が前を歩いてますね。

本堂に向かって左横には鐘があります。

鐘をアップにするとこんな感じ。

回廊横の塀にも卍デザインが!

お寺の名前が入った瓦です。

一周して戻ってきました。

若冲のお墓へ

本堂の次は、伊藤若冲が眠るお墓を目指します。

拝観順路の立て札があるところに入っていきます。

お墓に向かう途中には地蔵堂↑があります。ミニサイズでかわいらしいお地蔵さんです。

道なりに進むとキリシタン地蔵像があります。

先ほどの地蔵堂を解体修理した時に祠の下から発見されたとか。

道なりに進むと今度は「伊藤若冲の墓」と書かれた立て看板があるので矢印の方に進みます。(ここから1分ほどのところにお墓はあります)

ちなみに、若冲のお墓に進まず、道なりに直進すると石仏・五百羅漢(若冲五百羅漢)のある裏山に着きます。

墓地を道なりに進みます。

1分ほどあるくと伊藤若冲の墓とか書かれた立て看板が再び現れます。

看板に向かって左側を向くと若冲が眠るお墓です。

こちら↑が伊藤若冲が土葬されたお墓です。

墓石には「斗米庵とべいあん 若冲じゃくちゅう 居士ろうし墓」と書かれています。若冲の戒名です。

晩年の伊藤若冲は「斗米庵とべいあん」や「米斗翁べいとおう」の画号を使っていました。

この画号は、晩年の伊藤若冲が石峰寺でお米一斗(約15Kg)と掛け軸一幅を交換してほそぼそと生活していたた自らそう名乗ったそうです。

9月10日の若冲忌(若冲命日の法要)では、若冲が青物問屋の主人だったことや「果蔬涅槃図かそねはんず」にちなんで墓前に野菜がお供えされます。

■果蔬涅槃図(伊藤若冲・筆)
釈迦の入滅を描く涅槃図の登場人物を大根やトウモロコシなどの野菜や果物に置き換えて表現した水墨画。1779年(安永8年)に若冲の母が亡くなった後、一族の冥福を祈って描かれたという。一族の菩提寺・宝蔵寺を通じて誓願寺に寄進されたが明治時代に京都国立博物館に寄贈された。制作時期は若冲が亡くなる前の6年間、1794年(寛政6年)~1800年(寛政12)の可能性が高いとされるが、様式的にもっと早い時期の制作とする見方もある。

墓石の右奥の先が尖った石は筆塚です。

ひっそりと立っていますが、どうやらこちらの筆塚も歴史や文化的価値があるようです。

いろいろ調べた結果をまとめるとこんな感じ。

  1. 若冲が生前、孫の清房(若冲生家・枡源7代目)に筆塚を立てるよう遺言を残す
  2. 遺言に従い筆塚を立てる
  3. 筆塚が1830年(文政13年)の地震でた倒れる
  4. 1833年(天保4年)の若冲三十三回忌に若冲の孫・清房が修理して立て直し、その時に江戸時代後期の書家・貫名海屋ぬきなかいおく菘翁すうおう)のが撰文せんぶんした
    ※撰文は記念碑などに刻む文章を作ること
  5. この筆塚は貫名海屋(菘翁)の傑作として評価が高い

この内容↑がどこまで正確かは分からないので参考までに!

天保4年(1833)に石峰寺の若冲墓横に建立された筆塚にも記されている。「三年前に大地震が京の地を襲った。いたるところで崩れ砕けしたが、石峰石像の五百応真像も同様であった。天保四年にいたって、若冲居士の孫の清房が、修理復旧につとめた」。

興味がある方はぜひ、文献で調べたり、石峰寺伊藤若冲顕彰会の会員になってご住職に聞いてみてください。(結果をシェアしてくださるとうれしい)

■筆塚
使いふるした筆の供養のために、筆を地にうめて築いた塚や書道の師や文筆家がなくなった後その人物の功績をたたえて弟子たちによって建てられた一種の供養塔。

貫名海屋ぬきなかいおく(貫名菘翁すうおう:1778生-1863年没。
江戸時代後期の儒学者・書家・文人画家。幕末の三筆のひとり。
書・儒・医学を学び、高野山で叔父霊瑞和尚のもと空海の書を学び研鑽を重ねた後、懐徳堂の都講となり、その後京都に私塾「須静堂」を開いた。

<スポンサーリンクの下に記事が続きます>




裏山の石仏・五百羅漢へ

若冲のお墓参りをした後は、裏山の石仏・五百羅漢へ。

若冲のお墓から来た道をを戻り、立て看板があるところまで戻ります。

伊藤若冲の墓の看板の隣に「羅漢参道」の看板があるのでその矢印にしたがって正面の階段を上がっていきます。

階段奥の赤い山門の奥が石仏・五百羅漢(若冲五百羅漢)エリアです。

※石仏・五百羅漢(若冲五百羅漢)エリアの拝観は有料です。若冲特別展期間は展示拝観料に含まれます。通常拝観時は拝観受付で拝観料の支払いが必要です。

石峰寺入口の山門同様、丸いフォルムがかわいいです。

山門をくぐって中へと進みます。

なお、五百羅漢エリアの所要時間はサクサク見るなら10分~15分、そこそこじっくり見る人なら15~30分が目安です。

ちなみに、石像1個1個の表情もじっくり見ながら2週した人で2時間という強者もいるようです。

裏山の石仏・五百羅漢(若冲五百羅漢)エリアは、やぶ蚊がたくさんいるので8・9月の拝観時には虫よけスプレーが必須です。

若冲特別展期間は暑さも落ち着いた9月なので人間を待ち構えていた蚊の攻撃がすごいです。

私が行った日は、ハーフパンツの男性の足が蚊に刺された跡だらけになっていました。

途中から石の階段ではなく、上の写真のような土と竹になります。

ゆるやかではありますがアップダウンもあり、木の根もたくさん出ているので、スニーカーでの拝観をおすすめします。

しばらく歩くと右側に灯篭が見えてきます。(石像は撮影NGなので撮ってないです)

灯篭を通り過ぎ、上の写真に映って階段を上がると左側に最初の五百羅漢の石像群【誕生仏】がでてきます。

石仏・五百羅漢の9シーンをぐるっと一周

石仏・五百羅漢(若冲五百羅漢)は、裏山を登り降りしながら一周するような形で拝観します。

釈迦の一生を表す7シーンと賽の河原の9場面あります。

石仏・五百羅漢(若冲五百羅漢)の構成
9つのシーン 【1.誕生仏】→【2.出山の釈迦】→【3.十八羅漢】→【4.説法場】→【5.托鉢修行】→【6.諸羅漢座禅窟】→【7.涅槃場】→【8.賽の河原】
離れた位置にある羅漢 全体を俯瞰する位置にある石像の羅漢
→伊藤若冲の姿と言われています

各場面のの間や道の両端にも石仏が並びます。

「6.諸羅漢座禅窟」は2024年9月現在看板がたっていないので、普通に見て回るとどこにあるのか分からない状態です。

「5.托鉢修行」を見た後、下りの階段がああるのですが下りながら右側をみると石像群がありそれが「6.諸羅漢座禅窟」です。

ご住職曰く、看板を立てると羅漢さんとかぶってしまうので外しているとのこと。

9シーン概要

9つのシーンの概要を紹介します。(公式情報はないので一般論と見た印象など)

文字だけだとつまらないので羅漢の横にある立て看板の写真を載せておきます。
(パンフレットや書籍に掲載されている写真があるものは石仏を掲載)

1.誕生仏 2.出山の釈迦
釈迦の誕生シーン。「天上天下唯我独尊」のポーズをとった小さな釈迦像を中心にした石像群。
釈迦の後ろには誕生を祝うような喜びの表情の石像が並ぶ。
釈迦が6年の修行を経ても悟りを開けず、真の悟りを求めて雪山を出るシーン。釈迦を表すほっそりとした背が高い石像と小さな石像群が並ぶ。
3.十八羅漢 4.説法場
釈迦を囲む18人の羅漢が並ぶ。 大きめの石像3体(釈迦・普賢菩薩・文殊菩薩)と小さな石像が並ぶ。
5.托鉢たくはつ修行 6.諸羅漢座禅窟
托鉢修行(修行僧が街を歩きお布施をしたい人が現れれば、ただそれを受け取る修行)を表したシーン。ほかのシーンに比べ、可愛い見た目の3連の石像がある。 羅漢たちが座禅修行するシーン。個々の石像群は表情などが分かりにくい。
7.涅槃場 8.賽の河原
釈迦が亡くなった日の様子を表現したシーン。横たわる釈迦を中心に悲しみに暮れる人物や動物が並ぶ。 釈迦の生涯にはないシーンで若冲が付け加えた場面。親より先に亡くなった子供が行きつく冥土めいどにある河原(賽の河原)を表現したシーン。地蔵菩薩を中心に小さな地蔵がたくさん並ぶ。
涅槃場の向かい側にぽつん置かれた石仏。片膝を立ててるような姿で全体を見渡せる場所にある。若冲の姿を現すといわれている。
Kico
Kico
事前知識なしで五百羅漢エリアに入ると、見る順番や何を表現しているのかよく分からないので、上記の概要を当日見ながら回るのがおすすめです。(サイトのブックマーク推奨)

竹藪の中、五百羅漢を堪能したら先ほどの山門に戻ります。

前庭に戻って前庭の植物や石碑を見学

五百羅漢エリアの入り口にある山門まで戻ります。

階段を下ります。

ここを若冲と親交のある超名人も通ったかと思うと感慨深いです。

本堂横を通り前庭へ向かいます。

前庭まで戻りました。

前庭にはいろんな植物が植えられてます。季節ごとにいろんな花が咲くようです。

鈴鹿野風呂すずかのぶろの鈴鹿野風呂すずかのぶろがあります。

刻まれた句は「春風に五百羅漢のとはれかお

残念ながら俳句などは苦手で、現代語訳を調べても見つけられずだったのでどんな心情を呼んだ句なのか紹介することができません。

鈴鹿野風呂すずかのぶろ(1887-1971年没)
京都生まれの俳人。「京大三高俳句会」を母体として日野草城らとともに「京鹿子」創刊。「京鹿子」発行所でもあった生家は現在は京鹿子社により野風呂記念館として運用。

Kico
Kico
鈴鹿野風呂の句碑は、椿と紅葉の名所平岡八幡宮(京都市右京区)にもありました。平岡八幡宮の本殿内陣天井には「花の天井」と呼ばれる極彩色の「花卉図かきず」があり、春と秋の年2回特別公開されます。

<スポンサーリンクの下に記事が続きます>




交通アクセス|石峰寺

最寄り駅

石峰寺(せきほうじ)|交通アクセス
最寄り駅 ・JR奈良線「稲荷」駅下車、徒歩約10分
・京阪電車「龍谷大前深草」駅下車、徒歩約5分
住所 京都市伏見区深草石峰寺山町26

石峰寺へは、JR「稲荷」駅か京阪「龍谷大前深草」から向かいます。

京都駅から行く場合にはJRで向かいます。

稲荷駅は各駅停車のみが止まる駅で、京都駅からは2駅目で約5分で着きます。

伏見稲荷大社から向かう場合、稲荷駅に戻らずとも稲荷大社内の「東丸神社」の横の道からも石峰寺に行けるようです。

稲荷駅から石峰寺までのルート

初めて稲荷駅から石峰寺に向かったとき、GoogleMAPを見ながら行っても道を間違えたので写真付の道案内記事も作成しました。

ぜひご活用ください。

石峰寺アクセス(所要時間・写真付ルート)|JR稲荷駅からの行き方を詳しく紹介!江戸時代の天才絵師・伊藤若冲ゆかりの寺「石峰寺(せきほうじ)」への行き方を写真付で紹介しています。 石峰寺がある伏見区深草周辺は京...

<スポンサーリンクの下に記事が続きます>



あなたにオススメの記事

普段は非公開寺院の特別公開に興味がある方にはこちらの記事がおすすめです。

京都特別公開・特別拝観2024年一覧・秋冬(11月・12月)点在している京都の特別公開・特別拝観の情報をまとめました!京都に住んでいるからこそ知ることができる情報を随時更新しています。...