徳川家康の怒りをかい豊臣家滅亡の引き金となった「梵鐘」が1番有名な方広寺。

2026年の京の冬の旅で特別公開されているので行ってきました!

本記事では当日の拝観ルートや公開内容を写真と図解で紹介し、拝観後のレビューも記載しています。

今回の特別公開に行こうか迷ってる方、事前に予習したい方の参考になれば幸いです。

■方広寺・京の冬の旅
2026年1月9日(金)~3月18日(水)
10:00~16:30(受付終了16:00)
※方広寺に拝観者用のトイレはなく、三十三間堂付近の観光トイレまで行く必要ありなのでご注意を!

なお、鐘楼以外の有料エリア内は撮影が禁止だったので公式ガイドブックや当日の看板内の写真、手書きの図面を活用してできる限り当日の様子が分かるように書いています。

では、目次を開いて気になる項目から読み進めてください。
(項目をタップ/クリックすると該当箇所に移動します)

目次
  1. 公開エリア・ルート・所要時間・撮影の可否|方広寺・京の冬の旅
  2. 公開内容・寺宝|方広寺・京の冬の旅
  3. レビュー・レア度・オススメ度|方広寺・京の冬の旅
  4. 拝観時の注意点|方広寺・京の冬の旅
  5. 御朱印・御朱印帳・授与品|方広寺・京の冬の旅
  6. 当日の様子を写真とともに紹介|方広寺・京の冬の旅
  7. 交通アクセス|方広寺・京の冬の旅
  8. 京の冬の旅関連記事

公開エリア・ルート・所要時間・撮影の可否|方広寺・京の冬の旅

公開エリア(境内図あり)

第60回京の冬の旅「方広寺」の有料公開エリアは、大黒堂・本堂・鐘楼の3カ所です。

それぞれのエリアで見られる寺宝はのちほど紹介しますね。

拝観ルート(境内図あり)

方広寺の拝観ルートは受付で支払いを済ませた後、大黒堂と本堂の間で靴を脱ぎ、大黒堂に入ります。

大黒堂の拝観を済ませたら、本堂に入り3つの部屋を順々に見ていきます。

本堂も見終わったら、再び靴を履き鐘楼に向かいます。(鐘楼ではチケットを確認するのでなくさないように!)

拝観受付 大黒堂・本堂入口 鐘楼入口

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所要時間

所要時間(目安):10~25分
■大黒堂
⇒ガイド解説1~2分
⇒解説を聞かずにさっとみるなら2~3分でも見られる規模

■本堂(客殿)
⇒ガイド説明1~2分
⇒解説を聞かずにさっとみるなら3~5分でも見られる規模
■鐘楼
⇒ガイド説明1~2分
⇒解説を聞かずにさっとみるなら1~2分でも見られる規模

方広寺さんの京の冬の旅・特別公開は有料エリアの拝観所要時間(目安)は10~25分くらいです。

境内の移動距離も短く、寺宝の数も少ないので早い人は5分くらいで見終わるかもしれません。

間取りや寺宝をメモして最低2周はする私でも40分程で有料エリアを見終わりました。

撮影可否

方広寺・京の冬の旅
大黒堂内 撮影NG
本堂内 撮影NG
鐘楼内 撮影OK

過去に方広寺さんの拝観に行った方のブログに撮影OKだったと書いてあったので、今回は撮れるのでは!?と期待していていましたが、前回の京の冬の旅同様、鐘楼内以外は撮影不可でした。

本堂(客殿) 大黒堂 鐘楼

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公開内容・寺宝|方広寺・京の冬の旅

大黒堂と本堂(間取りと寺宝配置図あり)

間取りと寺宝の配置

大黒堂の公開内容

大黒堂|公開内容・寺宝
建物 明治時代に建てられた建物
障壁画 あ:花の天井画(制作時期・作者不明)
⇒80面に異なる花の絵が描かれている

い:鳳凰や鶴などの天井画(制作時期・作者不明)
仏像 う:大黒天像(小)
⇒秀吉の護持仏ごじぶつ念持仏ねんじぶつ)と伝わる手のひらサイズの仏像
⇒大黒堂の本尊
え:大黒天象(大)
⇒本尊の御前立(本尊を模した仏像)
お左側:弁財天像
お右側:?
⇒本来の配置からすれば毘沙門天のはずだが姿が毘沙門天らしくない

か:不動明王像
き:如意輪観音像
大黒天像 花天井画
本堂|公開内容・寺宝
建物 妙法院の脇寺だった日厳院の客殿を明治初頭に移築したもの(建物は17世紀創建とされる)
(客殿は貴族邸や寺院などで来客と面会するために造られた建物)
右の
部屋
A:元三大師がんざんたいし
⇒平安時代の天台宗の高僧・良源りょうげん(通称・元三大師)の像
B:「眉間籠みけんこもぶつ
⇒大仏の眉間の中に入っていた仏像
C:最澄像
⇒日本の天台宗の宗祖の像
中央
の部屋
D:本尊・盧舎那仏坐像るしゃなぶつざぞう
⇒江戸時代の作(1801年の説あり)
⇒3代目の大仏の模造(3代目の1/10サイズ)
E:掛け軸『神龍図』吉川霊華きっかわれいかの作
⇒明治44年(1911年)作・紙本墨画金彩・縦455cm横425cm
⇒明治大正時代の日本画家吉川霊華が描いた初の大作

⇒方広寺の大黒天堂内陣の天井画として描かれたが当時の住職が鼠害などで絵が失われるのを惜しで軸装した

左の
部屋
F:掛け軸「鐘銘拓本」2副
G:「龍の彫刻」左甚五郎の作(伝承)
⇒かつての大仏殿の欄間らんまの一部と考えられている豊臣秀頼による再建時の遺物
⇒江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人・左甚五郎の作と伝わる
H:旧大仏殿瓦遺物(3種)
I:銅製ぜつまたは風招
ふうしょう

J:銅製蓮肉片
⇒大仏が座る蓮弁の一部(蓮華座の内側のぼつぼつの部分)
K:風鐸ふうたく
L::掛け軸「嵩陽寺殿秀山大居士の肖像画」
⇒豊臣秀頼の肖像画
M:掛け軸「豊臣秀吉の肖像画」
本尊 龍の彫刻 神龍図

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鐘楼(寺宝配置図あり)

鐘楼|公開内容・寺宝
鐘楼 明治時代の再建
梵鐘 ・天正19年(1614年)京都三条釜座の鋳物師・名越(名古屋)三昌が鋳造
・「方広寺鐘銘事件」当時のままで重要文化財
天井画 伏見城から移築された天井画
その他 ❶:銘文「国家安康」「君臣豊楽」
❷:淀殿の横顔に見える染み(鐘の内側)
❸~❺:豊臣秀頼が再建した方広寺大仏殿の遺物
⇒❸:大仏殿の柱を固定していた鉄製の金輪
⇒❹:大仏の光背を止めていた鉄製金具
⇒❺:銅製大仏の台座(蓮弁)の一部

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レビュー・レア度・オススメ度|方広寺・京の冬の旅

レビュー:行ってよかったこと・残念だったこと

行ってよかったこと

  • 吉川霊華という存在に出会えたこと

京都の寺社はメジャーからマイナーまでかなりの数行ってますが、方広寺さんの特別公開は今回はじめてだったので、京の冬の旅の公開に行けたこと自体よかったことではあります。

その中で、吉川霊華という画家を初めて知り、拝観後に調べれば調べるほど興味がわいたので、今回吉川霊華という存在に出会えたことが行ってよかったことになります。

残念だったこと

  • 大黒堂と本堂が撮影不可だったこと
  • 本尊や寺宝の出自がよく分からないこと

お寺主催の拝観時は大黒堂も本堂も撮影OKだったようなので、今回の京の冬の旅で撮影NGなのは残念でした。

展示されている寺宝も作者や制作時が不明なものが多いのはちょっと残念でしたね。

レア度・オススメ度

方広寺・第60回京の冬の旅
レア度  4.5 
オススメ度  3.5 

方広寺さんは2023年くらいまではゴールデンウィークなどにお寺主催で特別公開をされてましたが、今後はお寺主催で積極的に公開をする予定はなく、京の冬の旅などでお願いされたら公開するスタンスとのことなので、次に堂内が見られる時期が不明なためレア度を4.5にしました。

オススメ度は2026年の京の冬の旅の中でのオススメ度です。

もし、京の冬の旅対象寺社すべてに行ったことがない方に3つ選んで!と言われたら、方広寺は入らないかも。。と思ったので3.5にとどめました。

ただ、絵画が好きな方には5.0です!吉川霊華の神龍図をぜひみていただきたいので。

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拝観時の注意点|方広寺・京の冬の旅

トイレが無く三十三間堂付近まで行く必要あり!

なんと恐ろしいことに方広寺と豊国神社どちらも観光用トイレはなく、7分程はなれた三十三間堂東門横の観光トイレに行かなくちゃいけないそうです。お気をつけください。

御朱印・御朱印帳・授与品|方広寺・京の冬の旅

御朱印(デザイン・値段・タイプ)

1.廣福殿
(五七の桐)
2.廣福殿
(梵鐘)
3.大黒天
(梵字印)
500円・直書き 500円・書置き 500円・書置き
4.大黒天(京の冬の旅限定)
1000円・書置き・大黒天お守り付き

京の冬の旅の期間中、4種の御朱印の授与があります。(御朱印の名称は便宜上つけています。)

京の冬の旅以外の期間(普段)も授与されているのか聞いてみたところ「今はやってないんですよ、できても廣福殿(五七の桐)ですね」とのことでした。

人手不足なのか今後は拝観も御朱印も積極的にはされない方針のようですね。

京の冬の旅期間中はこちらが御朱印所になっています。この後紹介する絵葉書などもこちらで購入可能です。

梵鐘御朱印帳(5色展開)

梵鐘御朱印帳(5色展開)
値段 1200円
サイズ 小判サイズ(縦約16cm×横約11cm)
カラー 黒・グリーン・ブルー・パープル
備考 各色限定50冊

京の冬の旅期間中、御朱印帳も購入可能です。

方広寺の梵鐘が金の箔押しでデザインされたデザインで、前回の京の冬の旅(2021年)で販売されていたものと同じデザインですね。

上の写真の左(ブルー)と右下(パープル)は色が似ていますが↓このように別の色です。


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絵葉書(3種)

1.絵葉書
・釣鐘に植物
2.方広寺絵葉書 3.絵葉書
・季節の釣鐘堂
5枚セット 3枚セット 5枚セット
500円 300円 500円

どなたが絵を描かれたのか分からないのですが、京の冬の旅期間中はこちらの絵葉書も購入できます。

前回の京の冬の旅でも販売されていたようですね。

色紙・方広寺鐘楼

色紙・方広寺鐘楼
値段 1枚・3000円

絵葉書と同じ方が書いている鐘楼の色紙も販売されていました。

こちらは前回の京の冬の旅では販売はなく今回初登場のようです。

ちなみに、前回の京の冬の旅(2021年)で販売されていた神龍図の色紙は今回販売がありませんでした。

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当日の様子を写真とともに紹介|方広寺・京の冬の旅

順路1:大和大路通の太閤石垣に驚きながら拝観受付へ

今回、方広寺に行く前に京都ゑびす神社の十日ゑびす大祭に行っていたので大和大路通を北から南へ進みながら向かいました。

↑こちらの大きな石は豊臣秀吉が大仏殿を作ったときの石垣(石塁)。

秀吉が諸大名に命じて各地から巨石を献じさせたそうで、西側と南側の一部に現存しています。(方広寺、豊国神社、京都国立博物館あたり)

↑この写真から石の巨大さが伝わるでしょうか?
これを全国各地からここまで運んだのかと思うと驚きです。

石垣沿いを歩いていると左手に京の冬の旅の看板が。

↑こちらが2026年京の冬の旅・方広寺の看板。

こちらの看板のトイレがないよ!という情報が1番重要ですね(笑)


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さて、看板の横の坂を上がって方広寺の境内に入っていきます。
ここから拝観受付までは2分程です。

坂を上がってから鐘楼の左側を直進して拝観受付を目指します。

↑こちらの建物が本堂(客殿)でその右奥に拝観受付があります。

↑こちらが拝観受付の様子。

支払を済ませてチケットとスタンプラリーの台紙を受け取ります。

今回のスタンプラリーは「一服券」だけでなく、宿泊券や伝統工芸品が当たる応募はがき付ですね。

ちなみに、チケットはあとで鐘楼を見るときに提示を求められることもあるのでなくさないよう注意が必要です!

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順路2:靴を脱いで大黒堂へ

↑拝観受付のすぐ右側で靴を脱ぎ、右の建物・大黒堂から拝観します。

残念ながら大黒堂内は撮影禁止なので図とガイドブックの写真を引用しながら紹介します。

すでに本記事で紹介済みですが、大黒堂の中は↓こんな感じ。

う:大黒天像(秀吉の護持仏)/え:大黒天象(御前立)
お左側:弁財天像/お右側:?/か:不動明王像/き:如意輪観音像

奥から内内陣・内陣・外陣になっていて、今回の拝観では★1のところまで行けます。

順路3:大黒堂の外陣と内陣で天井画2種を見学

外陣・花天井

先ほどの図「あ」の部分、外陣の天井が「花天井」になっています。

こちらの花天井は大黒さまにお供えする意味を持つそうです。

お寺の公式インスタグラムでそのように書いてある投稿がありました。

大黒堂外陣の天井には、大黒天にお供えする意味で四季の花や果物などが描かれております。全てのマスには異なる絵が描かれており、様々な模様が楽しめます。
(引用元:方広寺インスタグラム

 

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内陣・鳳凰と鶴の天井画

先ほどの図の「い」の部分、内陣天井にも鶴や鳳凰が描かれた天井画がはめられています。(もしかしたら鶴ではない可能性あり)

花の天井に比べると痛みが激しい印象ですが、金地に描かれているのでゴージャスさがあります。

内陣の天井画はシェアできる写真がないので現地で確認してみてください。

順路4:大黒堂内の内内陣へ

内内陣には↑このような配置で仏像が安置されています。

う:大黒天像(秀吉の護持仏)/え:大黒天象(御前立)
お左側:弁財天像/お右側:?/か:不動明王像/き:如意輪観音像

図の「う」に安置されているのが↑こちらの豊臣秀吉の護持仏ごじぶつ念持仏ねんじぶつ)と伝わる手のひらサイズの仏像。

■護持仏/念持仏
個人が身近に置いて日常的に信仰・礼拝する小さな仏像のこと

ガイドさんの説明だと最澄が彫ったと伝わる大黒天像を秀吉が手に入れて持念仏にしたとのこと。

ただ、ネットでいろいろ検索していると最澄が彫ったものを秀吉が真似てつくらせたと書いているブログもあって何が本当なのか謎です。

ちなみに小さすぎて内内陣入口(図★1の位置)から見ても細部はよくわからずです。

しっかり見たい方は単眼鏡を持って行くのをお忘れなく。(私は持って行くのを忘れました。。。)

なお、小さな大黒様のお姿は図の「え」に安置されている御前立おまえだちで確認できます。

御前立:秘仏の本尊の代わりに参拝者が礼拝するために厨子の前に安置される仏像

↓こちらが御前立。(御前立と小さい大仏の姿は同じ)

 

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方広寺の大黒天は、一般的な大黒さまとは違い、臼の上に座り、鎧を着て険しい表情をしています。

今では大黒天と言えばにこやかな表情でご利益も五穀豊穣、商売繁盛、財運上昇、開運招福ですが、もともとは「戦勝の神」としての性格を強く持っていたそうです。

大黒天の変化が分かる説明を見つけたのでシェアしますね。

大黒天(だいこくてん)とは?
もとはヒンドゥー教の破壊神シヴァの化身で、破壊と戦闘を司る神マハーカーラが前身とされています。そのため、初期の大黒天は大日如来の命で荼枳尼天(だきにてん)を降伏させるなど戦闘色の強い神であり、大黒天に祈ると必ず戦いに勝つといわれました。日本では「だいこく」が日本神話の祭神・大国主命(おおくにぬしのみこと)と通じることから習合されるようになりました。五穀豊穣と財福の神として独自に発展し、七福神の1人に数えられるようになったといわれています。
引用元:大仏ワールド

 

大黒天の左右(図の「お」)に極彩色の衣装をまとった像があるのですが、ガイドさんに聞いてみたところ内内陣の入り口にかかっている五七の桐に「三面大黒天」とあるので、左は弁財天、右は毘沙門天だと思うが、姿かたちから毘沙門天と言い切っていいのか分からないとのことでした。

図の「か」は見るからに不動明王坐像で、図の「き」は厨子に入った小さな仏像があるのですが、方広寺の拝観ブログを書いてる方が如意輪観音と紹介されていました。

どのようにしてこれらの仏像が大黒堂に安置されるようになったのかなどの詳細は不明です。

大黒堂を見終わったら次は反対側の本堂へ向かいます。

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順路5:本堂(客殿)右の部屋へ

A:元三大師がんざんたいし像  B:眉間籠みけんこもぶつ C:最澄さいちょう

本堂の右の部屋には3つの像が展示されています。

Bの「眉間籠り仏」が1番珍しいもので、豊臣秀頼が再興した大仏の眉間の丸ポチ(白毫びゃくごう)の裏側に納められていたそうです。

眉間籠り仏を挟む形で、Aに平安時代の天台宗の高僧・良源りょうげん(通称・元三大師)の像、Cに日本の天台宗の宗祖・最澄の像が安置されていました。

京都の方がは天台宗なので、この2体が展示されているのだと思いますが、作者や制作年は不明です。

お次は中央の部屋へ。

順路6:本堂(客殿)中央の部屋へ

D:本尊・廬舎那仏るしゃなぶつ(江戸時代の作) / E『神龍図』吉川霊華きっかわれいかの筆

本堂(客殿)中央のお部屋は仏間になっています。

こちらのお部屋には本尊の廬舎那仏と明治大正時代の日本画家・吉川霊華が描いた『神龍図』があります。

↑こちらが本尊の廬舎那仏。

京の冬の旅公式ガイドブックには「江戸時代につくられた3代目大仏の1/10サイズ」ということしか書いてないので誰がどういう経緯で作り方広寺に安置されたのかは不明。

ちなみに方広寺の大仏は↓このように何度も作り直されています。

初代 ・1595~1596年
(約1年)
・木製漆塗金張きんばり坐像
・高さ約19m
・豊臣秀吉の発願
・1595年完成・1596年地震で損壊後・解体
【参考】1595・1596年は安土桃山時代で豊臣政権
2代目

・1599~1602年
(未完成)
・1612~1662年

(約50年)
・銅製金張坐像
※未完のまま焼失分も2代目に含む
・豊臣秀頼の再建
・慶長4年(1599年)に着くり始めた2代目は1602年(慶長7年)に鋳造中の出火(過失事故)で焼失
・再度制作した2代目大仏は1612年(慶長12年)完成・1662年(寛文2年)地震で損壊
※元和元年(1615年)大阪夏の陣で豊臣氏が滅亡・大仏殿の管理が妙法院に移る
【参考】1612年は徳川秀忠(2代将軍)、1662年は家綱(4代将軍)の時代
3代目 ・1667~1798年
(約131年)
・木製金張坐像

・高さ約19m
・1667年(寛文7年)に完成・1798年(寛政10年)落雷で焼失
【参考】1667年は徳川家綱(4代将軍)、1798年は家斉(第11代将軍)の時代
4代目 ・1843~1973年
(約130年)
・木製胸像

・高さ約14m
・秀吉の故郷・尾張国(愛知県)の有志が半身像(頭部)を造り寄進
・1843年(天保14年)完成・1973年(昭和48年)火災で焼失
【参考】1843年は徳川家慶(12代将軍)の時代
現在 ・?年~現在
・木製漆塗金張きんばり坐像
・高さ約1.9m
・江戸時代に制作
・3代目の1/10サイズ

※何代目の数え方がまちまちで、2代目の未完成版と2代目の完成版を分けて考えるパターンもある。

初代は東大寺大仏殿よりも大きな仏殿と大仏を5年で建立するという強硬スケジュールだったため、工期を短くするために大仏は金銅仏ではなく木像仏に漆喰を塗って作ったそうです。

この焦りが災いして地震で大仏だけが壊れてしまったとか。(初代の大仏殿は倒壊せず)

4代目は焼失が昭和48年(2026年に53歳の方が生まれた年)なので今回の拝観者の中には実物を見たという方もいるかもしれませんね。

↑こちらの写真のように廬舎那仏の後ろ側にも仏像がありますが、拝観時は廬舎那仏の横から見るので良くは分かりませんでした。

余談ですが、大徳寺の本尊・釈迦如来坐像は方広寺の3代目大仏(1667年完成)を造るときに試作品としてつくった1/10サイズの仏像で、徳川家綱が大徳寺に寄進したようです。

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  • 掛け軸『神龍図』明治44年(1911年)吉川霊華きっかわれいかの作
  • 紙本墨画金彩・縦4.55m×横4.25m

さて、廬舎那仏の左側の壁にはこちらの「神龍図」が展示されています。

京の冬の旅ガイドブックで↑この写真と縦横4m以上の数値を見ていた時には、大きさがピンとこなかったのですが、実際に見るととても大きかったです。さすが縦横4m!

方広寺の公式インスタの↓こちらを見るとガイドブックの写真より大きい印象が得られるかも。

 

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作者は明治大正の日本画家の吉川霊華きっかわれいか

「れいか」の響きから女性なのかな?と思いましたが男性でした。

吉川霊華(1875-1929年)
東京湯島の儒学者・吉川澹齋たんさいの三男。明治大正の日本画家/美術評論
流れるような美しい細線を生かした清雅な絵画表現が特徴。写実やモダニズムに向かう近代日本画壇と距離を置き「線の探求者」として独自の存在感を示した。

今回の京の冬の旅まで「吉川霊華」というお名前を知らなかったのですが、とにかく線画が美しい画家で、ご本人も筆から生み出す線にこだわっていたようです。

線へのこだわりが書かれた文章をシェアしますね。↓

霊華の線は、始筆と終筆がはっきりとし、スピードを持って引かれることで、独特の強さとムーヴメントを生んでいる。霊華はこれを「春蚕吐絲描(しゅうさんとしびょう)」と名付け、その修練を怠らなかった。霊華は筆選ぶ画家のなかでも特に筆を選び、硯海堂の得應軒という名人が作った筆を20本位買っても、その中から1,2本くらしか使わなかったという。引用元:ウィキペディア

ちなみに、吉川霊華は回顧展がサントリー美術館(1983年)や東京国立近代美術館(2012年)で開催されるレベルの画家。

方広寺の「神龍図」は吉川霊華がまだ無名の頃(36歳の頃)に描いた初の大作で、約3年の準備期間を経て制作に臨んだ彼の代表作そうです。

2012年の回顧展(東京国立近代美術館)でも展示されていようですね。

個人的には龍の右前足(画像の左手前)が非常に生々しく印象的でした。

龍の口上部が平たく伸びた表現は古典を大切にしていた吉川霊華のこだわりポイントで、鎌倉時代以前の龍本来の「荘厳神秘の趣」を大切にした表現だそうです。

吉川霊華は調べれば調べるほど魅力的でこれからはまってしまいそうです。

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順路7:本堂(客殿)左奥の部屋へ

F:掛け軸「鐘銘拓本」2副
G:「龍の彫刻」左甚五郎の作(伝承)

H:旧大仏殿瓦遺物(3種)/I:銅製ぜつまたは風招ふうしょう
J:銅製蓮肉片 / K:風鐸ふうたく 
L:掛け軸「嵩陽寺殿秀山大居士(豊臣秀頼)の肖像画」
M:掛け軸「豊臣秀吉の肖像画

本堂(客殿)1番奥のお部屋には↑こちらの過去の大仏や大仏殿の遺物と秀吉・秀頼の肖像画が展示されていました。

写真が撮れないので、ガイドブックや公式インスタに載ってるものだけ紹介します。

こちらが図のGにある左甚五郎作と伝わる龍の木彫。

左甚五郎:江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人で日光東照宮の「眠り猫」が有名

豊臣秀吉の三男・秀頼が再建した大仏殿の欄間の一部と考えられているようです。

余談ですが、京都には左甚五郎作と伝わる彫刻がいたるところに残っています。

■京都で左甚五郎作と伝わる彫刻
祇園祭の山鉾・鯉山:御神体の鯉
祇園祭の山鉾・八幡山:初代のつがい鳩
石清水八幡宮:回廊の目貫きの猿
南禅寺:方丈広縁の透かし欄間
慈雲院(相国寺):焼失した相国寺三門の欄間「麒麟きりん

↓こちらのインスタの4枚目の画像(枝豆みたいなボツボツの画像)が図Jの「銅製蓮肉片」です。

「銅製蓮肉片」は↑こちらの画像3枚目に移ってる蓮の台座の小さいツブツブ部分です。

本堂中央の部屋に廬舎那仏像は3代目の1/10サイズで、本堂左の部屋にある「銅製蓮肉片」は実際(10倍)の大きさです。

本堂(客殿)を見終えたら、靴を履いて鐘楼に向かいます。

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順路8:鐘楼へ

こちらが方広寺の鐘楼。

梵鐘に記された「国家安康」「君臣豊楽」の文字が家康の怒りをかい「方広寺鐘銘事件ほうこうじしょうめいじけん(京都大仏鐘銘事件)」と呼ばれる大坂の陣のきっかけになったとして有名です。

鐘楼は事件当時のものが現存していて、重要文化財に指定されています。

方広寺鐘銘事件:1614年(慶長19年)に徳川家康と豊臣秀頼(秀吉の嫡男)の間で起きた「方広寺」の鐘銘に記された漢詩「国家安康」「君臣豊楽」をめぐる事件のこと。大坂の陣のきっかけとされている。

事件当時は今とは違う場所に鐘楼があったようです。(方広寺はどんどん縮小しているため現在の位置に鐘楼がある)

ちなみに、階段前の掲示に「チケットを確認します」と書いてありますが私が拝観した日はノーチェックした。(チェックするときもあると思うのでチケットなくさないように注意です)

順路8-1:梵鐘に浮き上がる淀殿を見上げる

この日はガイドの方が最初に梵鐘の内側にある豊臣秀吉の側室・淀殿よどどのの顔を紹介してくれました。

↑鐘の結構上の方(上の写真の赤丸部分)に↓このように女性の顔に見える部分があるのです。

顔を線でなぞると↑こんな感じ。

方広寺の梵鐘は淀殿が大坂冬の陣で自害するに至ったきっかけになっているので、「女性の顔に見える=淀殿」となっているようです。

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順路8-2:梵鐘の大きさを知る

次に方広寺の梵鐘は知恩院よりも大きく鐘の厚さは約30cmあると教えていただきました。

この話を聞くまで知恩院が京都では1番大きいと思っていたので驚きです。

ちなみに日本三大梵鐘を比較するとこんな感じ。

日本三大梵鐘・比較
寺院名 鋳造年 高さ(総高) 直径(口径) 重さ(重量)
方広寺
(京都)
慶長19年
(1614年)
約4.2m 約2.8m 約82.7t
知恩院
(京都)
寛永13年
(1636年)
約3.3m 約2.8m 約70t
東大寺
(奈良)
天平勝宝4年
(752年)
約3.86m 約2.71m 約26.3t

この巨大な方広寺の梵鐘を作った人たちを調べてみたことろ、京都で三条釜座さんじょうかまんざと呼ばれた梵鐘や茶釜の鋳造を特権的に行っていた鋳物師集団とのことでした。

棟梁・名越三昌(なごしみつまさ/さんしょう)の指揮の元製造されたそうです。

ちなみに、鐘楼(周りの建物)は明治17年(1884年)に再建されたものです。

順路8-3:方広寺鐘銘事件の銘文を確認

次にガイドさんから梵鐘に記された「国家安康」「君臣豊楽」の紹介がありました。
上の画像の赤い丸部分。

あまりに有名だからかガイドさんもサラッと「あれだよ」くらいの扱いでしたね。

↓該当箇所のアップです。

方広寺鐘銘事件の「国家安康」「君臣豊楽」の文字は目立つように白く囲って文字も白になってます。

方広寺鐘銘事件:1614年(慶長19年)に徳川家康と豊臣秀頼(秀吉の嫡男)の間で起きた「方広寺」の鐘銘に記された漢詩「国家安康」「君臣豊楽」をめぐる事件のこと。大坂の陣のきっかけとされている。

梵鐘は重要文化財に指定されているので、指定される前に目立つようにしたのだと思います。

順路8-4:鐘楼天井画を見上げる

次にガイドさんから天井画の紹介がありました。

方広寺さんの公式インスタでは天井画は「伏見城から移築された」と紹介されていました。

天井画の中央は琵琶やそう(琴)や羯鼓などの楽器、その周り8面は楽器を奏でる天女や迦陵頻伽かりょうびんがが描かれています。

迦陵頻伽:仏教の経典に登場する極楽浄土に住む想像上の鳥。上半身は美しい女性で下半身は鳥の姿で比類なき美しい声で鳴く。

9面を同じ方向に並べてみると↓こなります。

1.迦陵頻伽・楽器なし?
2.天女・琵琶(びわ)
3.迦陵頻伽・楽器なし?
8.天女・鞨鼓(かっこ)
箏・琵琶・羯鼓
4.天女・笙(しょう)
7.迦陵頻伽・縦笛
6.天女・横笛
5.迦陵頻伽・楽器なし?

拡大版も紹介。

まずは中央から

丸の中に東西南北と書かれていたようです。現在西と東は文字が読み取れます。

西の文字の左は、箏(お琴)で右は羯鼓だと思います。

西の文字の下にある楽器が木琴のようですが、雅楽の楽器でこれが何になるのか調べても分かりませんでした。

東の文字の右は琵琶、左は何かしあべ手も分からりませんでした。

次に周りの八面をご紹介。天女や迦陵頻伽の顔立ちがそれぞれ違うのが興味深いです。

1.迦陵頻伽・楽器は持っていないようです。尻尾がふわふわでゴージャスです。

2.天女が琵琶(びわ)を引いています。

3.迦陵頻伽で楽器は持っていないようです。
羽がかなりするどいのでもしかすると迦陵頻伽ではない可能性ありです。

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4.天女が笙(しょう)を持っています。

5.迦陵頻伽が何かお皿のようなものを持っていますが謎です。お皿に花がのっているようにも見えますね。

6.天女が横笛を吹いています。

7.迦陵頻伽が縦笛を持っています。ラッパのように見えますが、縦笛だと思います。

8.天女が鞨鼓(かっこ)を叩いています。

以上が鐘楼の天井画でした。

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順路8-5:秀頼再建時の大仏殿遺物をチェック

豊臣秀頼が再建した方広寺大仏殿の遺物
❸:大仏殿の柱を固定していた鉄製の金輪/❹:大仏の光背を止めていた鉄製金具
❺:銅製大仏の台座(蓮弁)の一部

最後に鐘楼内に置かれている大仏殿遺物を見ていきます。

大仏殿遺物は、鐘楼というか囲い(建物の中)ではあれど、直置きなのがびっくりです。

↑こちらの輪(図の❸)は秀頼再建時の大仏殿の柱を固定していた鉄製の金輪。

↑こちら(図の❹)はガイドさんは何か分からないと言ってなのですが、調べてみたところ、大仏の光背を止めていた鉄製金具という情報がありました。

↑こちら(図の❺)は銅製大仏の台座(蓮弁)の一部。

↑こちらの輪(図の右下❸)も秀頼再建時の大仏殿の柱を固定していた鉄製の金輪。

鐘楼内にこんなものが置いてあったとは今回訪問するまで知りませんでした。

さて、鐘楼まで見終われば有料エリアの拝観は終了です。

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順路9:御朱印をいただきに朱印所へ

京の冬の旅期間中は鐘楼前のエリアに仮設の朱印所があるのでそちらに向かいます。

↑こちらが仮設の朱印所。

京の冬の旅期間中、御朱印・御朱印帳・絵葉書・色紙が授与されています。

種類や値段は本記事内(こちら)で紹介しています。

非常に美しい字を書いていただけて筆文字マニアとしては大満足です。

順路10:敷石をチェックし大仏殿の跡地へ

本堂を拝観しているときにガイドさんが教えてくれたのですが、仮設朱印所の後ろにあるこちらの敷石は、寛文7年(1667年)に豊臣秀頼が再建した3代目の大仏殿の敷石だそうです。

この敷石の奥にある細い道を左に進むと秀吉が作った大仏が安置されていた跡地「大仏殿跡緑地公園」に行くことができます

↓ここを直進1分でいけます。

こちらが秀吉が作った大仏が安置されていた跡地「大仏殿跡緑地公園」

少し盛り上がってる芝地に秀吉が作った大仏が安置されていたそうです。

公園の奥の方には大仏殿の支柱の跡などものこっています。

豊国神社の本殿の裏側も見れます。

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順路11:方広寺に戻って建物の外観をチェック

大仏殿跡緑地公園から方広寺に戻って先ほどゆっくり見ていなかった大黒堂と本堂の外観をチェックしに向かいました。

↑こちらが大黒堂の正面。

外からも花天井は見ることができました。

大黒堂は蔀度しとみど(子の吊り上げ戸)があるタイプの建物でした。

こちらは方広寺の本堂(客殿)。元々は妙法院の脇寺「日厳院」の客殿で、明治初頭に移築されたそうです。

ちなみに中央の仏間は外からも撮影NGの札が立っていました。

方広寺を初めてしっかり拝観したので個人的には大満足でしたね。

この後はブラタモリでも紹介された「大仏餅」を買いに甘春堂かんしゅどうさんへ行きました。

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交通アクセス|方広寺・京の冬の旅

交通アクセス|方広寺
最寄り 市バス「博物館三十三間堂前」下車徒歩約5分
京阪電車「七条」駅下車、徒歩約10分
住所 京都市東山区茶屋町527-2

京都駅から市バスに乗る場合、206か208系統です。

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